ネットワーク的読書 理系大学院卒がおすすめの本を紹介します

本と本の意外な「つながり」ってありますよね

【山で繋がる警察小説】書評:マークスの山/高村薫

マークスの山(上) (講談社文庫)

マークスの山(上) (講談社文庫)

 

概要

 高村薫さんが直木賞を受賞した作品です。上川隆也さん主演で映像化もされています。主人公は警部補の合田雄一郎。彼の活躍はシリーズ化され、「照柿」や「レディ・ジョーカー」などでも描かれています。

おすすめポイント

 思いっきり無骨な警察小説です。刑事たちの手柄争いとそれに伴う葛藤を堪能できる作品です。キーワードとなる「山」を背景に、過去と現在が入り交じる重厚なミステリーです。

感想

警察小説の最高峰

 とある殺人事件を捜査することになった合田。単純な事件かと思いきや、背後にきな臭い雰囲気を嗅ぎとります。どこからか横槍が入り、思うように捜査が進展しない内に2件目の事件が起きてしまいます。

 一方で事件の犯人と思しき青年「水沢」の視点も登場しますが、殺人事件にどのように彼が関わっているのかが不明瞭。何か薄暗い事情が裏にあるのは感じますが、なかなかその正体がわかりません。

 ジリジリと、まるで高い山に登るかのように解明されていく謎。刑事たちは抜け駆けや衝突を繰り返し、徐々に真相に近づいていきます。その様子はすごく生々しくてスリリングです。

年がら年中顔を合わせ、角を突き合わせ、怒鳴り合い、悦び合い同じ成果と失意を共有してきた男らも、ときどきに生活も感情も違う他者の分厚い壁を見せる。捜査が微妙な山場を迎えているそのときに、ふいとそんな壁を見せる方が悪いか、見せられる方が悪いか、合田はちょっと考えてみたが、たぶん後者だという答えは初めから出ていたような気もした。いったん捜査にかかると、事件で頭をいっぱいにすることで逆に自分を慰め、事件が山場を迎えると、今度はまだ何かある、まだ何かあると執拗に探り続けて、自分の無為を救おうとする。そうして私生活も何もない空っぽの人生を埋めている男に、たとえば今夜は広田が「ノー」と言ってくれただけだった。 

 妻と離婚し一人刑事として生きている合田。一方で同僚は結婚している人が多く、すれ違いが起きてしまいます。一見すると無骨な物語で、ただただ謎を追いかけるミステリーに見えるのですが、内面の葛藤も鋭く浮かび上がらせています。外側と内側のバランスがお見事でした。

 文章が胸に響いてきます。言葉の重ね方、感情の表現の仕方などなど、少し読み進めづらいところもあるのですが、物語の雰囲気にぴったりです。

所轄時代から六年の付き合いになる同僚の感情も、過去の事件に引きずり回されて大揺れもいいところの自分自身の感情も、どちらもが今はただ不快で不安だった。自分の尻に火がついているときに、真っ先にやったのが、同僚一人を脅しすかして道連れにすることだったか。こうしている間にもいつ四件目の犯行に及ぶか知れないホシを逃しながら、とにかく刑事の自尊心とやらを自分に確認するのが先だったか。そうか、これが自分という人間の正体か。認めるも認めないも、合田はただ不快で不安だった。 

 真相の解明か、己の保身か。合田の刑事魂が問われます。「警察小説の最高峰」との宣伝文句がついていますが、外と内の両面から刑事のすべてを描こうとしているところに作者の気概を感じます。

なぜ山に登るか

 物語には終始「山」が関わってきます。おそらく高村さんも登山の経験があるのではないかと思います。登山のルートや装備品に関する詳細な記述がたびたび出てくるだけではなくて、登山の精神的な部分に深く切り込んでいて、これは実際に体験しないと書けないよなあと思ったからです。 

山に登ると、日常の雑多な思いは面白いほど薄れ落ちていき、代わりに仕事や生活や言葉の 覆いをはぎ取られた自分の、生命だけの姿が現れ出る。凝縮され、圧延され、抽出され、削ぎ落とされていくそれは、自分でも驚くような異様な姿をしているのが常だったが、その体感は一言でいえばこの世のものでない覚醒と麻痺だった。登り続けるうちに鼓膜が耳鳴りを発し、皮膚は寒さを感じなくなり、筋肉や心臓の苦痛が陶酔になる。その麻痺が、ほとんど死に向かう爆発や開花のようになる。ザイル一本で天空にぶらさがった身体に満ちる歓喜は、生命の最期を待ち望む一瞬に近く、底雪崩の轟音に耳をすます身体の鈍麻は、おそらく死そのものの鈍麻に近かった。その異様な一刻一刻が、或る強烈な心地よさと解放感に変わる瞬間があった。合田はある時期、そうして自分や加納がなぜ、より高くより険しい過激な登山を繰り返すのかを知ったが、自己破壊の、あのおぞましい衝動を止めることが出来るぐらいなら、初めから山には登っていなかった。

 他人から聞いただけでこんなにかっこ良い文章が書けるものでしょうか。僕はたぶん書けませんね。

 「そこに山があるから」という有名なセリフがありますが、合田はそれよりも具体的に登山の楽しみを語っています。命を削るようなスリルを楽しむために登山を繰り返していたと。登山をまったくしたことがない僕には狂気だとしか思えません。

お互いにさまざまな感情や生活や仕事の問題を抱えながら、話し合う言葉を持たず、自分の向かうべき方向を知らず、何もかも叩き潰すようにしてひたすら登り続けたのが山だったのだ。しかしまた、ほんとうはどうだったのだろうかと合田は思った。そうしてむき出しの生死を共有することで、ほんとうはどれほど強い感情がそこに生まれていたか。身体の麻痺と生命の興奮の刹那に、どれほど倒錯した執着が生まれていたか、と。浅野剛が慎重に言葉を選んで遺書に記したのは恐怖と麻痺だけだったが、野村久志を埋めた五人の間に、なにがしかの至福感はなかったと言えるか。十三年経って過去を振り返る浅野の言葉のすみずみに、おぞましい郷愁はなかったと言えるか。山とは何だろうー。  

 「むき出しの生死を共有することで」生まれる強い感情があると合田は自分の経験から予測し、山に人を埋めた5人の狂気に思いを馳せます。「なにがしかの至福感」とありますが、頂上に到達した達成感を分かち合うように、殺人をやってのけた仲間たちとの思い出に何らかのポジティブな感情、「おぞましい郷愁」が生まれていたのではないかと、合田はそのように想像したわけです。僕には全然理解できたものではないのですが、心の奥に潜む感情をここまで緻密に分析できるものかと、そしてそれを書こうと思うのかと驚愕した次第です。

 ラストシーンは美しい富士山を拝んでの幕ぎれとなります。なぜ水沢は北岳に登ったのか、イマイチ不明瞭だったその動機は、最後に鮮やかに解明されます。真知子が見たいと言っていた富士山が見えるから。鳥肌が立ちました。(まあ明言されたわけではないんですけどね。)

 ここで合田が山に登る理由との対比構造が見えるわけです。誰かのために山に登った水沢と、スリルを求めて山に登っていた合田。合田自身もきっと思うところがあったでしょう。

 また、水沢は外から見ればどうしようもない凶悪犯なわけですが、彼の内面を理解し、優しく連れ添った真知子に、もう少し救いが訪れてほしかったなと思いました。

 

下巻はこちら

マークスの山(下) (講談社文庫)

マークスの山(下) (講談社文庫)

 

 

その他、僕が読んだ警察小説

横山秀夫さんの警察小説はいくつか読みましたが、どれも面白くて大好きです。 

 

佐々木譲さんの書いた田舎の警官が奮闘する物語。

 

 雫井脩介さんが書いた奇抜な捜査が行われる警察小説。

 

 

オススメの本はこちらにまとめています。

A. 誰にでもおすすめできる/是非読んで欲しい作品

B. 大多数の人が面白いと思うはず/この作家さんが好きなら絶対読むべき作品 

 

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【抑圧と解放の王道ファンタジー】書評:獣の奏者 1闘蛇編, 2王獣編/上橋菜穂子

獣の奏者 1闘蛇編 (講談社文庫)

獣の奏者 1闘蛇編 (講談社文庫)

 

概要

 獣と密接なかかわりを持つ異世界を舞台にしたファンタジー長編です。NHK系列でアニメ化されて話題になりました。全4巻の作品ですが、2巻で一旦物語が終結するので1巻と2巻を合わせた感想を書きます。 

おすすめポイント

 心躍る王道のファンタジーにして、大人のダークな部分がにじみ出る重厚的なお話です。夢中になって読み進め、最後には深い感動を味わえる作品です。

感想

清濁併せ呑む主人公エリンの人柄

 主人公のエリンが、母親と悲劇の死別をするところからスタートするこの物語。心に深い傷を負ったエリンは、常に心に暗いものを抱えていて、それが見え隠れします。こういう単純ではないキャラ設定は個人的にすごく好きです。

 交わってはならないとの戒律を破って生まれた混血のエリン。定められたルールを守らず獣と心を通わせるエリン。彼女は自分が世の中の異端であることを認識しながら、しかし自分の生き方を貫こうとします。鋼の心を持っているわけではないので常に葛藤を抱えているのですが、それでも己の信念を曲げずに力強く生きるその姿に心を打たれます。

 エリンの成長に驚かされることがたびたびあるのです。状況も分からず母親の元へ向かってしまった幼き日のエリンは、ジョウンの下で育てられた時期、そして王獣舎での生活を経て、たくましく成長していきます。特に王獣舎を出てから降りかかる苦難と、それに伴う精神的な成熟は目を見張るものがあります。

人というものが、こんなふうに物事を考えて、進んでいく生き物であるのなら、そのまま行ってしまえばいい。人という生き物がころしあいをしながら均衡を保つ獣であるのなら、わたしが命を捨てて〈操者ノ技〉を封印しても、きっと、いつかまた同じことが起きる。そうやって滅びるのなら、滅びてしまえばいい・・・ 

 人間の愚かさを痛感し、もう滅びてしまえばいいとなげやりになるエリン。いつからこんなに大人になったんだっけと目を丸くしてしまいます。今まで純粋に育ってきたと思っていたエリンは、僕が気づかぬ間に現実をすっかり認識していました。

 そのことを僕は寂しく思いました。人間界の下らない黒さに触れないでいてほしかった、と。でも、現実は現実であり、僕らも再確認することになるのです。ああ。この下らなさが人間なんだと。

抑圧と解放、そして破壊

 上で少し触れたように、ただのファンタジーではないのです。獣と人間が心を通わせることが1つのテーマになっていますが、しかしそれに終止しているわけではありません。獣と人間の関係を通じて、人間と人間の関係性を考えざるをえないのです。

音無し笛で王獣や闘蛇を硬直させるように、あなた方は、罪という言葉で人の心を硬直させている。そんなやり方は、吐き気がするくらい、嫌いです

 とてつもなく強い力を持った王獣と闘蛇は、音無し笛という笛で気絶させることができます。それが彼らを手懐ける唯一の手段だとルールで決められていますが、エリンはこれを嫌います。獣達の野生の生態を壊す力を持っていることを観察によって見抜くからです。

 音無し笛を介した獣と人の関係は、抑止力を手元に控えた人間同士の関係に還元できます。直接的な武力が抑止力になったり、「罪」のような言葉で相手を縛ることも抑止力の一種だと考えられます。何かに従うこと、何かを従わせること、上下関係、支配関係、枠にはめ込むこと、鎖に繋ぐこと、そんなことが次々に頭をよぎります。

 この物語では何かに縛られている存在がたくさん登場します。人に操られる王獣や闘蛇もそうですし、城に縛り付けられている真王も、真王の盾として生きることを強いられるセザルもそう。何かに支配され、抑圧されています。

 そしてそれは情報を制限されている場合も同じ。

 一生を王獣の保護に捧げている自分たちにさえ、知ることを許されぬ、なにかがある。それが、エサルは腹立たしかった。人を無知なままにして、まにかを守ろうとする姿勢が、エサルは吐き気がするほどに嫌いだ。判断は、事実を知ったあとにするものだ。事実を知らせずにおくということは、判断をさせぬということである。 

 無知なままにしておくことでもやはり、人を縛ることができるのです。

 上で挙げた形のある抑圧や形のない抑圧もすべて、エリンの行動によって打ち払われていきます。最初は小さな小さな存在にすぎなかったエリンは、国の根幹を揺るがす力を手に入れ、すべてを解放します。

 物語は非常に綺麗にハッピーエンドを迎えます。対立構造によって作られた憎悪の感情は残るかもしれませんが、あらかたの抑圧はすべて解放されて、ゼロからのスタートになってしまう。その破壊の過程がこの物語だったといってもいいと思います。

 エリンの旅路は決して平坦ではありませんでした。苦難の連続でした。ラストで聞けるエリンの本音は、彼女のここまでの努力を全て物語る最高に美しいセリフです。感動しました。

(ー知りたくて、知りたくて・・・)エリンは、心の中で、リランに言った。おまえの思いを知りたくて、人と獣の間に狭間にある深い淵の縁に立ち、竪琴の弦を一本一本はじいて音を確かめるように、おまえに語りかけてきた。おまえもまた、竪琴の弦を一本一本はじくようにして、わたしに語りかけていた。深い淵をはさみ、わからぬ互いの心を探りながら。ときにはくいちがう木霊のように、不協和音を奏でながら。それでも、ずっと奏で合ってきた音は、こんなふうに、思いがけぬときに、思いがけぬ調べを聞かせてくれる。おまえにもらった命が続くかぎり、わたしは深い淵の岸辺に立って、竪琴を奏でつづけよう。天と地に満ちる獣に向かって、一本一本弦をはじき、語りかけていこう。未知の調べを、耳にするために。

 深い断絶が横たわる関係も、両者が諦めず歩み寄る努力を続けて入れば、いつかきっと分かり合える瞬間がある、そんなメッセージを受け取りました。誰でも楽しめて、大人には大人なりの気付きがある素晴らしい物語でした。Aランクに入れます。

 3巻と4巻も読み次第感想を書きたいと思います。

 

2巻はこれです。

獣の奏者 2王獣編 (講談社文庫)

獣の奏者 2王獣編 (講談社文庫)

 

 

 

 獣の奏者にハマったひとは是非ブレイブストーリーも読んでみてください。こちらも大人が十分に楽しめる内容です。 

 

 

 

オススメの本はこちらにまとめています。

A. 誰にでもおすすめできる/是非読んで欲しい作品

B. 大多数の人が面白いと思うはず/この作家さんが好きなら絶対読むべき作品 

 

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【選んで決める難しさ】書評:薄闇シルエット/角田光代

薄闇シルエット (角川文庫)

薄闇シルエット (角川文庫)

 

概要

 主人公ハナ、37歳。古着屋の共同経営者。なんとなく付き合っていた恋人から受けたプロポーズをなんとなく断ったところから始まる日常を、角田さんの鋭い目線で切り取った長編小説です。

おすすめポイント

 「結婚できない女」というものをひとつのテーマに据えている感じですが、それだけにはとどまらない懐の深い作品でした。変わりたい、でも変わりたくない。その狭間で揺れる心の機微を巧みに描き出した作品でした。

感想

 主人公のハナはとにかく決められない人間です。そのくせ嫌なことには不満を並べ、自分から動こうとしません。タケダという恋人から受けたプロポーズを断ったのも、仕事と結婚に揺れているようで、単にやりたいことが見つけられない人間なんだなと後々わかってきます。やりたいことが明確ではないから、自分で自分がどうしたいのか、何が不満なのかわからない。したくないことでしか構成されない人間です。

な、気づいた?あんたやおれの話って、したくないことでしか構成されていないんだよ。中古のブランド品は扱いたくない、消費社会に流されたくない、どこかに属して盲目的に服従したくない。したくないことを数え上げることで、十年前は前に進むことができたけど、今はもうできないとおれ思うんだ。したくないって言い続けてたら、そこにいるだけ。その場で駄々こね続けるだけ。 

 しかしハナに対して僕はイライラすることはなく、むしろ共感さえ覚えてしまいます。おそらく多くの方がそうなのではないかと思いまし、上の引用が心にぐさっと刺さるのは僕だけではないはずです。やりたいことが100パーセント明確になっている人なんてきっとこの世にはほとんどいなくて、動きたいのに動けない自分に苛立ちを感じなら日々生きているのではないでしょうか。そんな自分の中の怠惰な部分がハナにオーバーラップします。

 結婚するつもりなどないのに「退屈だから」という理由で恋愛に手を出すが上手くいかない。母が亡くなり、共同経営者のチサトが結婚する。母の遺品整理から着想を得た新しい企画に夢中になるも、圧倒的な才能を持つクリエイターに手柄を持っていかれてしまう。いろいろなものを掴んでは失くして、理解しては取り返しのつかなさに愕然とする。ハナの不器用な生き方は、やはり自分の中の一部に重なって、深い共感を呼びます。

私たちはかつていっしょに歩いていた。ほしいもの、求めるもの、ずっと先にあるものばかり目で追って、理想論ばかりをくりかえして歩いていた。それなのに、いつのまにか、みんな自分のほしいものを手に入れるすべを知っている。着々と手に入れている。母が、長い年月をかけてあの場所を作ったように、みんなそういう場所を手に入れつつあるのだ。チサトも、キリエも、キリエのまわりの女たちも、ナエも、タケダくんも、タケダくんの妻になった人も、きんちゃんも、私以外のだれも彼もが。気に入った家具で満たすために、引っ越して二ヶ月たつ私の部屋は、今も段ボール箱だらけの仮住まいだった。その部屋は私だった。気に入ったものが何ひとつ見つけられない。間に合わせのものすら選べない何もない部屋。 

 終盤、ハナは自分の人生を思い返し、上のような感想を抱きます。気に入ったものだけを置こうと決意するも、気に入るものがそもそも見つからないので部屋ががらんどうになってしまっている。間に合わせのものすら買えない。それはひどく寂しいことですが、言いたいことはありありと伝わってきます。

 自分の人生において、「これだ!」と決断できることがどれぐらいあるでしょうか。僕は多くないです。なんとなく良さげなもで済ませているものもあれば、ハナのように迷いいつまでも決められずにいるものもあります。

私はしげしげとそのカップを眺めた。いかにもちゃちなこのカップを、毎日眺め、毎日手にしていたら、いつか、いとおしく思うことができるだろうか。自分にとってたいせつなものに思えてくるんだろうか。これがほしい、というよりむしろ、私はそんなことを知りたかった。 

 大きなきっかけがあるわけではなく、ハナは自分らしく一歩一歩進んでいくことを誓って物語は終了します。その終わり方にはありきたりさを感じますが、ハナの心境がどのタイミングでどのように変わっていったかを追うのはなかなか難しいなと思いました。

そうだ、空っぽの部屋を嘆くことなんかない。だってこれから、いくらでもものを満たしていける。百円だろうが、百万円だろうが、だれの目も気にせずほしいものを手に入れればいい。私はふと立ち止まり、広げたてのひらに視線を落とす。あの部屋のように、何ひとつつかんでいないからっぽのてのひらが、淡い闇に頼りなく浮かび上がっている。なんにもつかみとっていない、なんにも持っていないーそらはつまり、これからなんでもつかめるということだ。間違えたら手放して、また何かつかんで、それをくりかえして、私はこれを持っていると言えるものが、たったひとつでも見つかればいいじゃないかそれがたとえ六十歳のときだって、いいじゃないか。

 ここまでの優柔不断さを見ているとハナはまた再び迷うのではないかと思います。でも迷うたびにこうやって答えを確認して、ふらふらしながらでもいいから前に進んでいけばいいのかなと思います。迷いながらでもいいのだということが、僕にとっては希望に見えます。

 

 

 

 角田光代さんが直木賞をとった作品。過去と現在を行き来して人間関係の難しさを紡ぎ出します。

 

こちらも角田さんの作品。誘拐した子どもを育てた女と、育てられた子どもの一生を描く物語。

 

「選択」というところでこちらも。究極の選択を迫られる夫婦の物語。

 

 

オススメの本はこちらにまとめています。

A. 誰にでもおすすめできる/是非読んで欲しい作品

B. 大多数の人が面白いと思うはず/この作家さんが好きなら絶対読むべき作品 

 

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【新興国で勝てる決定力】サムスンの決定はなぜ世界一速いのか/吉川良三

サムスンの決定はなぜ世界一速いのか (角川oneテーマ21)

サムスンの決定はなぜ世界一速いのか (角川oneテーマ21)

 

概要

 著者の吉川さんはサムスンに10年に渡って勤め、再生に貢献した人物です。サムスンの躍進の秘密に迫る一冊です。

おすすめポイント

 グローバルな市場で何が起きているかがわかりやすく書かれており、国内とは違った環境下で勝つためには何が必要かということについてヒントを得られる内容です。お説教のような部分もありますが、参考になることもあると思います。

感想

グローバル化と判断速度

 グローバル化が進んでいることはすべてのビジネスパーソンが念頭に置いているでしょう。しかし吉川さんは、グローバル化が進むとはどういうことなのかを真に理解している人が少ないと主張します。

これまで日本の企業は、国内の企業同士で、前回は勝ったけれども今回は負けた、という感覚のリーグ戦を続けてきたともいえますが、現在は、世界中の企業を相手にした「トーナメント戦」に舞台が移っています。 

 吉川さんは、リーグ戦とトーナメント線になぞらえてグローバル市場の戦いを説明します。今まで新興国は人件費の安い「工場」として捉えられる立場にありました。しかし工場ではなく「市場」としての存在意義がどんどん大きくなってきているそうです。そんな中で重要なのが、経済の発展が進む購買意欲旺盛な新興国の人たちに、いかにして自社のブランドを認知してもらうかということです。

こうした状況にあるからこそ、従来以上に「判断速度」が問われるようになりました。新興国でヒットする製品を世界中のどの企業よりも早く提示できるかどうかが重大な鍵を握るようになったためです。他のメーカーに先駆けてヒット商品を世に送り出すことができれば、その製品をつくったメーカーとして、"その国のブランド"になることもできます。サムスンはまさにそれに成功しました。 

 つまり、「家電と言ったらサムスン」という認識を広めることこそが大きなシェア獲得につながります。大多数の人が家電ブランドとして認識してくれた結果、たくさんの人がサムスンの家電を買います。新興国には他のブランドがまだあまり輸入されていないので、勝者がすべてを持ち去ることも不可能ではありません。リーグ戦ではなく、トーナメント戦だとした理由はこの辺にあります。

 新興国の市場で勝つためには判断速度を上げることが重要だと吉川さんは書いています。おちおちしていると他のメーカーが乗り込んでくるからです。タイトルもサムスンの決定が非常に早いという趣旨にしてあります。

 しかし最重要であるはずの判断速度に関する情報は個人的にちょっと物足りなかったかなと思いました。一応、社内システムを一から作り直し、ITによって「見える化」を進めたことが成果につながったと書かれています。じゃあ、サムスンの強さはそのシステムだけってこと?という感じで少しインパクトが弱かったです。企業秘密にしたい部分もあるのでしょうかね。

ニーズへの対応

 新興国の市場を調査するために、その国に溶け込み、その国の人たちの隠れたニーズを掘り起こす専門の人材を育てているという解説もありました。これは非常に面白い取り組みだなと思いました。まるでスパイです。日本にいる僕らがアフリカの人たちが欲している商品なんてわかるわけありません。その国に住んでいるからこそ分かることがたくさんあるのでしょう。これは素晴らしい戦略だなと思いました。いくら技術力が優れていても、その国で不必要な機能ならば無用の長物です。グローバル化にうまく対応しているなと感心しました。

 もうひとつ、日本製品(主に電化製品)は不要な機能がごちゃごちゃとたくさんくっついているというのはいつも批判の対象になります。吉川さんもそれをかなり強い口調で批判されていました。その弊害は、商品を企画するときのコスト計算に現れてくるそうです。

日本の製品であれば通常、製品の価格は、それをつくるために必要となったコストを計算し、製造原価や確保したい利益分を加算して決められます。いわば「足し算方式」ですが、サムスンはまったく逆です。サムスンでは、市場ごとに消費者の経済力などを調査していき、売れるために適当と考えられる価格をはじめに設定します。そして、その価格にするために削減を許されるコストを算出して製品開発を進めていく「引き算方式」になっています。 

 これは目から鱗でした。僕もこの引用文中の「日本の製品」のコストの決め方が普通だと思っていたのですが、それじゃあ競争力は得られないわけです。商品が売られている場所をまったくイメージできていないですものね。

 日本人と韓国人の性格の違いなども書かれていましたが、僕らは僕らが生まれ持った長所を活かしていくしかないですからね。その辺はあまり参考にはならないかなと思いました。サムスンのやり方を知ると、日本の電機メーカーが不振なのもうなずけますね。こんなにやり方が違っていて、しかもサムスンの方がグローバル市場に対応できているわけですから。学ぶべきところは真摯に学ばなければならないなと思います。

 

 

 

最近読んで面白かったビジネス関連の新書。 

デフレの根本原因とその対策を探る一冊。

 

シャネルの創業者がいかにしてファッション業界を変えたかを解説する一冊。

 

 

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【ジェネレーションギャップミステリ】書評:アルキメデスは手を汚さない/小峰元

アルキメデスは手を汚さない (講談社文庫)

アルキメデスは手を汚さない (講談社文庫)

 

概要

 1973年に発売され、江戸川乱歩賞を受賞した作品です。複数の高校生を主役にしたミステリーです。少し古い作品ですが、東野圭吾さんが推理小説を書くきっかけとなった本として有名です。

おすすめポイント

 簡単には真相を見破ることのできない重厚な作品です。二転三転する推理の果てに、明かされる結論とはいかに。そして、若者と大人のジェネレーションギャップに関する記述が多いのも面白いです。

感想

 ネタバレするので読んでいない方はお気をつけください。

 かなり古い作品ですが、東野さんが有名になったこともあって、今も書店に並んでいる作品です。個人的にミステリとしてそこまで完成度の高い作品ではないと思います。あっと驚くトリックが仕掛けられているわけではなく、偶然や勘違いから生まれた謎が読者を惑わせます。

 個人的に面白いなとおもったのは、高校生たちと大人の間の価値観の違いにスポットが当てられた記述が多い点です。

いまの少年たちは、俺たちの若いころよりも、啄木よりも、はるかにフランクだってことさ。啄木のように、"花など買いて"と上品ぶったり"妻としたしむ"などと持って回った表現はしない。あけっぴろげに自分の気持をぶちまけるね。飾ったり照れ隠しをしたりしないってことだよ。だから尋問するときも、先入観を持たずに、素直に彼らの言葉を聞かなくちゃ捜査を誤るかも知れない。 

 こんな感じで「俺たちの若いころ」と今の高校生を比較する表現がたくさん出てきます。しかしこの作品自体が古くなってしまっているので、石川啄木がどうのこうのと説明しても全然ピンとこないというところが玉にキズです。

 逆に、昔から大人たちはジェネレーションギャップに苦しんできたのだと言うことができるでしょう。デジタル化が進んだ現代ならではの問題ではないということです。僕がおっさんになったときは、たぶん下の世代の考えていることがわからないとぼやくことになるのでしょう。それはもう、諦めるしかないのだなと思いました。

 タイトルに仕掛けられた裏の意味には非常にしびれました。物語の真相を言い当てていると同時に、高校生たちがしでかしてしまったことへの哲学的な考察を含んでいます。

いいかい、アルキメデスが発明した殺人機械は、大勢のローマ兵を殺した。彼は殺人機械を発明しただけで、実際に操作したのはシラクサの兵士たちだ。だからアルキメデスの手は汚れていないと言えるだろうか。彼が名利を超越した学者だという伝説を、僕は信じないね。君の言うように、"美と高貴の具わっている事柄にのみ自分の抱負を置く"人だったら、いくらヒエロン王に命じられたって殺人機械の設計はしなかっただろうからね。

 大勢の敵兵を殺すことを分かっていながら、殺人兵器を作ることは罪に当たるかどうか。アルキメデスの時代から原子爆弾投下までを貫く永遠の難問が、高校生の前にも立ち現れるわけです。

お互いに、もうお伽噺の年齢は過ぎたんだぜ。汚れた世間には、手を汚して立ち向かおうじゃないか。

 この締めもなかなか素敵。子供から大人へと目まぐるしく成長していくこの時期ならではの青臭い言葉です。高校生ひとりひとりの個性の書き分けがイマイチだったのが残念。もっともっとキャラが立っているとより面白かったのになと思いました。

 

 

 

東野圭吾さんのミステリー小説の中で面白かったもの。

ガリレオシリーズ第2段。オカルトのような事件を科学的に解決するガリレオ先生の活躍を描きます。

ガリレオシリーズ第3段。ガリレオ先生の内面にスポットが当たる作品。

どっちを選んでも地獄。究極の選択を迫られる夫婦の物語。

 

 

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【年功序列の負の側面】書評:若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来/城繁幸

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)

 

概要

 「なぜ新卒入社の若者がすぐにやめてしまうのか」という問いに対して、年功序列システムが時代にそぐわないからだと主張する一冊です。

おすすめポイント

 様々な角度から年功序列制度の批判が展開されます。今や逆に年功序列の良いところを見直すべきだとの声さえ聞こえてきますが、まずはこの時期に問題提起されたことが大きかったのでしょう。時代を的確にとらえた鋭さが光ります。 

感想

 最初から最後まで年功序列制度の弊害を指摘し続けるわかりやすい一冊です。年功序列には様々な解釈の仕方がありますが、この本では若者の現在の労働力と将来出世させてあげるという約束を交換する制度だとされています。50代になったときに管理職ポストとそれに見合うだけの給料を払うという手形を切ることで、若者は下積み時代を耐えます。

途切れる若者のキャリアパス

 景気が上向きで、企業の成長が続いていた時代は年功序列制度は大変うまく機能していました。しかし現在の不況下にあって、若者を全員管理職にするだけのポストはありません。若者が思い描いていた会社でのレールが、実は途切れてしまっていると著者は言います。

また、その崩壊プロセスを見れば、年功序列制度が持つ本性がうっすら見えてくる。それは、けっして万人に優しい制度ではない。レールの上に乗ることのできた人間にのみ優しく、乗れなかった人間を徹底的に踏み台にして走り続けるシステムなのだ。 

 もちろんレールの上に乗れる人もいます。しかし多くは同期入社のうち全員が課長になれるわけではないというように、レールから落ちてしまう人がたくさんいるのが現実です。

 自分がレールに乗れる人間なのか、乗れない人間なのか。それが分かるのは30代なのだと著者は言います。

企業のなかでレールに乗って順調に進めるか、それとも完全にキャリアパスが止まってしまうのか。それが自分ではっきりとわかる年齢は、おおかたの企業において三〇代だ。これが、企業内で三〇代が壊れていく最大の理由だろう。プレッシャーというよりは、閉塞感というほうが正しい。 

 この閉塞感を感じ取った若者が、若くして転職していく若者だというのです。確かに、この先給料も上がらず職務内容も変わらずの状態がずっと続くとなれば、やめたくなるのが当然だと思います。

 企業はどうすればいいのか、という点はこの本の主題ではないのであまり詳しくは触れられていませんでした。しかし随所に染み出ているのは、昭和的価値観の打破です。もう、昭和は終わったということを認識し、年功序列の悪いところを直視する必要があうのでしょう。そして、組織の風土に適したやり方で、成果主義を取り入れていくしかないのではないでしょうか。それにプラスして、成果以外のところで若者のモチベーションを保つ方法を取り入れるべきでしょう。

閉塞感を打ち破れ

 一方で、若者はどうすべきなのか。

いずれにせよ、まず若者にはやるべきことが一つある。それは、"心の鎖"を解き放つことだ。われわれは年功序列システムのなかで、いつの間にか心にまで枠をはめられてしまっている。その枠とは、「待っていれば誰かが必ず正答を与えてくれる」という固定観念だ。それを捨てて、自分にとっての正答は何か、一度問い直さなくてはならない。いわば、失われた動機を取り戻すのだ。「なんのために働くのか」こんなことを書くと哲学的な響きで敬遠されそうではあるが、実はこれは、自分のレールについて考えるとき、絶対に避けては通れないプロセスだ。自分がいまのレールから降りるべきかどうか。そして降りると決めたら、次にどこに向かうべきか。これらの問題に直面すると、人は嫌でも「何を求めるのか」というテーマに直面せざるをえないからだ。 

 著者は年功序列制度は学校教育にまでさかのぼることができると主張しています。幼いころから叩きこまれた教育は、唯一絶対の正解を誰かが与えてくれるという幻想を植え付けます。その鎖から解き放たれなければなりません。

 何かを選ぶときは、基準を設定する必要があります。転職するか否かの議論をするとき、その基準は常に自分の内部に見出すべきである。これが著者の主張でした。

彼ら"転職後悔組"に共通するのは、彼らが転職によって期待したものが、あくまでも「組織から与えられる役割」である点だ。言葉を換えるなら、「もっとマシな義務を与えてくれ」ということになる。同期の根源が内部ではなく外部に存在するという点で、彼らは狼たちと決定的に異なるのだ。転職が独立か。それともまったく別の生きがいを求めるか。いずれにせよ、いま自分が感じている閉塞感の原因を突き詰めることが必須だろう。それが、自らの動機を回復する第一歩なのだ。 

 変革を社会や政府にだけ頼っていてはいけないと思います。自らの閉塞感は自らが作り出している可能性が高いのです。まずはそこを突き詰めなければならないのでしょう。覚えておきたいことです。

 さて、社会はどうなっていくべきかについても言及されていました。それは転職市場の拡大です。この本が書かれたことよりもさらに転職市場は拡大しているに違いありません。とくにITの分野では非常に流動性が高くなっていると聞きます。これは多くの人にとって悪いことではないような気がします。期待したいです。 

 

 

その他僕が読んだビジネスや就職に関する新書です。

就活の滑稽さを指摘する一冊。

 

バブル経済から日本がおかしくなったということを指摘する一冊。

 

 

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【恋は差別を打ち砕けるか】書評:GO/金城一紀

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概要

 金城一紀さんが直木賞を受賞した作品です。 主人公は在日韓国人の杉原。差別に苦しみながらも、一人の女性と恋に落ちる様が描かれます。

おすすめポイント

 在日の方々が理不尽に差別される現実を突きつけられます。しかし杉原の心は強く、桜井の心は美しく、彼らの恋愛は非常に爽やかです。すごく救われた気分になります。

感想

 在日朝鮮人在日韓国人に関して並々ならぬ問題があるのは知っていました。しかしこの小説を読み、国籍が少し違っただけでなぜ手酷く差別されなければならないのかと疑問を抱くようになりました。見た目はほぼ同じですし、日本で生まれていれば日本語ネイティブ。大きな違いなどないはずなのに。

 差別があるのは歴然たる事実です。だから読者は杉原の先の見えない未来を憂います。しかしその暗雲を晴らすかのごとく描かれる爽やかな恋。いつか現実が二人を引き裂いてしまうと予感がある。でも、彼らは出会ってしまったのです。その危うげな恋がまた、読者の心をとらえます。

もし自分の素性を打ち明けて嫌われたら、なんて思っちゃったから、ずっと打ち明けられなかったんです。彼女は差別をするような女じゃない、なんて思いながらも。でも、結局は彼女のこと信じてなかったんですよね・・・。俺、たまに、自分の肌が緑色かなんかだったらよかったらいいのに、って思うんです。そうしたら、寄ってくる奴は寄ってくるし、寄ってこない奴は寄ってこない、って絶対に分かりやすくなるじゃないですか・・・ 

 たぶん多くの読者がこの展開を無意識に予期するでしょう。でもだからこそ、二人の関係はとても好ましく見えますし、応援したくなります。そして杉原の葛藤を知っているからこそ、桜井と分かり合えなかった現実は僕らをも悲しませます。

 物語では結局ハッピーエンドとなりまして、すごく爽やかな読後感を味わえるのですが、この先二人がどういう苦難にぶち当たるかはわかりません。しかしひとつ確かなことは、二人がどういう人生を歩むことになっても杉原は桜井と出会えたことが大きな経験になったということです。在日だろうと、日本人と分かり合えることはできる。それを知ることができたということは、杉原にとって財産になるのでしょう。そういった、先の先まで想像させてくれるという点で、すごくいい小説だなあと思いました。 

 

 

 公安に追われる朝鮮人が出てくる物語です。 

 

 最近読んだ直木賞受賞作の中で、面白かったのはこれですかね。 

 

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