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本と本の意外な「つながり」ってありますよね

【少年少女は論理の果てに何を見る】書評:ソロモンの偽証/宮部みゆき

ソロモンの偽証: 第I部 事件 上巻 (新潮文庫)

ソロモンの偽証: 第I部 事件 上巻 (新潮文庫)

  • 作者: 宮部みゆき
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/08/28
  • メディア: 文庫
 

概要

 文庫にして6冊の大長編。ある雪の日、中学校の校舎の屋上から生徒が転落死する。自殺で決着がつくかと思いきや他殺だと証言する告発状が届き、中学生たちは自分たちの手で真相を明らかにしようと学内裁判を行います。

おすすめポイント

 スーパー中学生たちのロジカルな戦いと、中学生らしい心の揺れ動きが違和感なく共存する物語。宮部みゆきさんだからできる繊細な書き分けに感動します。

感想

 これだけ長い物語にも関わらず、読みやすいお話だなと思いました。登場人物の数はそれほど多くなく、覚えておかないといけない事実や伏線も意図的に絞られている印象でした。すっきりしています。

 群像劇の形式で、登場人物それぞれが様々な想いを背負って学内裁判に臨むことになります。裁判なので大きなアクションやハプニングはありません。議論しているだけ。しかし、ひとりひとりにしっかりとしたバックボーンがあって、ただの議論がとても面白く、スリリングで、時に非常に重たい。

 個人的に話のボルテージが上がるクライマックスのシーンは2つあったかなと思いました。

 1つは大出君が証人として尋問を受けているとき、弁護人の神原君が不良少年の大出君の過去の悪行を片っ端から糾弾する場面。嘘つきの三宅さんを救済すると同時に、大出君に対する最大限の弁護になっている。鬼気迫るものを感じて鳥肌が立ちました。

 もう1つは神原君が証人として尋問を受ける場面。1巻の冒頭で描かれた電話ボックスのシーンからここまでが全て繋がる種明かしが行われます。そしてここまでの裁判で積み重ねてきたものを土台にしつつも、いろいろな前提をひっくり返してしまうどんでん返し。このシーンで印象深かったのは、弁護人の助手を務める野田君の心情でした。

いや違う。助手の務めをまっとうするためだけじゃない。僕は知ってるから、僕にはわかるから、だから黙っていられなかった。僕は知ってる。父さん母さんをこの世から消してしまおうとしたあの夜、殺意というものがどんなふうに僕のそばに現れ、何を求めて僕をせき立てたのか。 

 彼が体験したこと、助手として弁護人の人となりを見つめてきた想い、彼自身の成長などなどが一気に流れ込んでくる感慨深いシーンでした。

 ページ数が多いので、登場人物はひとりひとりかなり深いところまで掘り下げられています。その一方で、転落死してしまった柏木君に関してはなかなか情報が出てこず、彼の人物像が焦点を結びません。もちろんそのように意図して書かれている。真相は明らかになったのに、彼の心のうちは不気味なままです。

どんな悲劇でも、平凡よりはいい。劇的な人生が欲しい。自分は断じて〈そこらの誰か〉ではないと自負しながら〈そこらの誰か〉でいることに甘んじるより、悲劇が欲しい。

たいていの十代が、一度は考えそうなことだ。だが不運にも、卓也の前にはそういうお手本がいた。現物がいた。ただの想像の産物ではなく、生きてそばにいて、一緒に笑ったり勉強したりしていた。

卓也は彼になりたかったのだ。

 柏木君の兄が彼の心情を分析した一説。しかしこれも真実なのかはわかりません。暗黒面に陥ることは誰にだってある。そんな警告が聞こえてくるような気がしました。

 

オススメの本はこちらにまとめています。

A. 誰にでもおすすめできる/是非読んで欲しい作品

B. 大多数の人が面白いと思うはず/この作家さんが好きなら絶対読むべき作品 

 

宮部みゆきさんの他の本 

【お金の時代は終わるかも】書評:お金2.0 新しい経済のルールと生き方/佐藤航陽

お金2.0 新しい経済のルールと生き方 (NewsPicks Book)

お金2.0 新しい経済のルールと生き方 (NewsPicks Book)

 

概要

 メインテーマはシンプル。テクノロジーによって資本主義は価値主義に移行していくという提言でした。斬新な考え方を中心におきつつ、暗号通貨を含めた最新技術のトピックスをわかりやすく解説していく1冊。

おすすめポイント

 お金というものの歴史を紐解きつつ、お金がそこまで重要なものではないと気付かせてくれる1冊。もしかしたらお金というものは僕が生きているうちに役目を終えるのかもしれない。わくわくする未来を想像させてくれました。

感想

 長い歴史の中で見てみると、お金はそもそもけっこう新しい概念で、人間がそれを使いこなすようになってから長い年月が経っているとは言えない。そんな説明がまずは印象に残りました。

 お金の代わりになるポテンシャルを秘めた技術として、仮想通貨が紹介されています。仮想通貨は、既存のお金を仕事にしている人ほど理解しにくい概念であると言います。

新しいものが出てきた時に、それに似た業界の前提知識があると、その知識に当てはめて新しいものを見てしまう傾向があります。しかしそれは危険です。仮想通貨も既存の金融業界の人ほど理解に苦しみ、全く前提知識のない若者や一般の人のほうが自然に受け入れて使いこなしています。

 既存のお金に慣れ親しみすぎると仮想通貨の本質を見誤ることになる、と。

 また、年齢によっても新しい技術に対する姿勢が変わってくるとの主張もありました。これも面白い。

イギリスの作家ダグラス・アダムスが生前に面白い言葉を残しています。人間は、自分が生まれた時にすでに存在したテクノロジーを、自然な世界の一部と感じる。15歳から35歳の間に発明されたテクノロジーは、新しくエキサイティングなものと感じられ、35歳以降になって発明されたテクノロジーは、自然に反するものに感じられる。

 僕はいま15歳から35歳の間なので、仮想通貨のテクノロジーはエキサイティングなものとして見ています。拒絶しないだけそれは幸運なことですが、自然な世界の一部とはとらえられない運命にあります。それをきちんと認識し、仮想通貨に向き合っていきたいと思いました。

 仮想通貨もお金も単なる道具、ツールです。

一方で、お金をうまく扱えず困っている人ほど、お金に特別な感情を抱いていることが多いです。私もそうでした。それがないことによって起きる困窮や不安から、お金に感情をくっつけてしまい、道具以上の意味を感じてしまいがちです。お金や経済を扱うためには、お金と感情を切り離して1つの「現象」として見つめ直すことが近道です。

 お金に感情をくっつけてしまっている。これは目からうろこの考え方でした。お金はあくまで道具。それはわかっているのですが、なくてはならないものと捉えてしまって、異常に執着してしまっている自分がいます。気を付けなくては。

アインシュタインがこんな言葉を残しています。空想は知識より重要である。知識には限界がある。想像力は世界を包み込む。大切なのは、疑問を持ち続けることだ。神聖な好奇心を失ってはならない。

 これは素敵な言葉だなと思いました。理系出身の人間として、そしてゲーム会社に勤めている人間として心に刻み付けたいです。想像力は世界を包み込む。僕らは自分が考えている以上にすごいことを想像することができるはずです。

 

 

その他お金に関する他の本。

オススメの本はこちらにまとめています。

A. 誰にでもおすすめできる/是非読んで欲しい作品

B. 大多数の人が面白いと思うはず/この作家さんが好きなら絶対読むべき作品 

【引っ込み思案に読んでほしい】書評:内向型を強みにする/マーティ・O. レイニー

内向型を強みにする

内向型を強みにする

 

概要

 性格によってすべての人は内向型か外交型に分類され、両者に優劣などないと主張する一冊。引っ込み思案で自分に自信が持てない人にとくにおすすめです。自分は単に内向型の人間なだけで、人として劣っているわけではないのだと勇気をもらえる内容です。

おすすめポイント

 僕自身が典型的な内向型の人間なので非情に感銘を受けました。嫌いだった自分の性格が、単にそういう気質なのだと考えることで楽になりました。特に僕と同じような理系人間の方には多いと思いますので、読んでみてください

感想

 ①内向型と外交型の分類とは何か、②両者の違いを生むものは何か、③内向型の人間が生きやすくなるためのヒント、という順番に論が展開されていきます。とにかく序盤だけでも読んでみて、内向型という考え方があることを知ってほしいです。救われる人がたくさんいると思います。

 内向型/外交型を分ける一番大きな特徴は、エネルギーの蓄え方/消費の仕方だと本書では書かれています。

 以下は本書における内向型の人のエネルギーの傾向を説明した一文。

内向型の人のもっとも顕著な特徴は、そのエネルギー源である。内向型の人は、アイディア、感情、印象といった自身のなかの世界からエネルギーを得ている。彼らはエネルギーの保有者だ。外の世界からの刺激に弱く、すぐに「もう手一杯」という気持ちになる。これはイライラ、あるいは、麻痺に似た感覚なのかもしれない。

 逆に外向型の人を説明した一文。

では、外向型の人のもっとも目立った特徴はなんだろう?それは、外の世界、つまり、さまざまな活動や人や場所や物からエネルギーを得ている点だ。彼らはエネルギーの消費者なのである。長時間、のらくらしたり、自己反省したり、ひとりで、もしくは、ひとりの人を相手に過ごしたりすると、彼らは刺激不足におちいる。

 とにかくこの文章にすべては帰結します。自分はどういうときにエネルギーを充電できて、どういう時にエネルギーを消費してしまうのか。それを知るだけでぐっと生きやすくなると思いました。

 大学院生として日々研究に励んでいるときは、朝から晩まで根を詰めて研究をしていても、心地よい疲労感を覚える程度でした。それが社会人になると、実働時間は研究をしている時よりも短いにも関わらず、家に帰ってきたときに凄まじく疲弊してしまっているのです。

 これはなぜかと考えると、研究はひとりで自分の内側の世界に没入していく作業であること(自分の内側に潜っていくこと)に対して、仕事は大勢の人に囲まれながら、分担作業とコミュニケーションで進めていくもの(外からの刺激を受けながら活動すること)であるからだと考えることができます。研究は僕のような内向型の人間の得意分野ですが、仕事はそうではないのです。

 でも、僕は今の仕事が好きです。なるべく円滑に楽しく仕事を進めていくためには、自分のエネルギーの状態を理解することが必要だと思いました。「今日は初対面の人にたくさん出会うのでエネルギーを消費しがちな一日になる。だから一人の時間を意識的に作ってエネルギーを補充しながらこなしていこう。」といった風に。

 内向型の人間の特徴は、下手をすると人間として何か欠落があるのではないかと疑ってしまうものだと思います。でも、そうではありません。内向型の人間が苦手なこともあれば、得意なこともある。単に違いがあるだけなのです。それを知るだけでも、読んだ価値がありました。

 

 

人間の心理に関する他の本。

 

オススメの本はこちらにまとめています。

A. 誰にでもおすすめできる/是非読んで欲しい作品

B. 大多数の人が面白いと思うはず/この作家さんが好きなら絶対読むべき作品 

【何もしない投資法】書評:お金は寝かせて増やしなさい/水瀬ケンイチ

お金は寝かせて増やしなさい

お金は寝かせて増やしなさい

 

概要

 インデックス投資の入り口から出口までをわかりやすく解説した一冊。とっつきやすい漫画もついています。

おすすめポイント

 とにかく平易ですらすら理解できます。難しい数式などはありません。著者が金融業界の人間ではないというのもポイント

感想

 自分は売買を前提とした投資をやろうとすると、株価を気にしすぎてしまうだろうなと思ったので、この本を読んでみることにしました。素敵なタイトルですね。

 うさんくささはなく、わかりやすい理屈でインデックス投資の利点を解説しています。なぜ何もしなくていいのかをきちんと理解しないとこの投資法はできないですね。

 印象的だったのは、人間がお金儲けの欲望を持ち続ける限り、全世界の株価は永遠に上がり続けるという理論に則っているというところ。だから定額を積み立てていくだけで利益が上がり続ける。これをきちんと信じることができれば、この投資法は非常にメリットの多いものだと思いました。その理論を信じられなければやめたほうがいいかなと思います。

 自分も、今後30年ぐらいはその理論は成り立ち続けると思います。中国もインドもどんどん発展し続けるでしょう。気になるのは、最後のフロンティアと言われているアフリカが発展しつくしてしまった先に、人類にさらなる発展はあるのかというところですね。

 アフリカの次は宇宙空間を開拓しているかもしれないですね。もはや科学を超えたSFの世界です。

 

  こちらも同じ著者の本です。

全面改訂 ほったらかし投資術 (朝日新書)

全面改訂 ほったらかし投資術 (朝日新書)

 

 

 

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A. 誰にでもおすすめできる/是非読んで欲しい作品

B. 大多数の人が面白いと思うはず/この作家さんが好きなら絶対読むべき作品 

【飲み物で歴史を探索】書評:歴史を変えた6つの飲物 ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、茶、コーラが語る もうひとつの世界史/トムスタンテージ

歴史を変えた6つの飲物   ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、茶、コーラが語る もうひとつの世界史

歴史を変えた6つの飲物 ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、茶、コーラが語る もうひとつの世界史

 

概要

 人類の歴史に大きな影響を与えた6つの飲み物を取り上げ、その1つ1つがどのようなインパクトをもたらしたのかを解説しています。

おすすめポイント

 飲み物というユニークな切り口で歴史を探索するこの1冊。普段僕らが何気なく口にしている飲み物には、あんな歴史やこんな歴史が隠されていたのかと、とても興味深く読むことができます。

感想

 知り合いからオススメされたので読んでみたのですが、まずタイトルを聞いた時点で興味をそそられました。「6つの飲料」とはなんなのだろうと。サブタイトルでネタバレしてしまっているのですが、未読の人にクイズを出してみるのも面白いと思います。

 人は水を飲まねば生きていけません。飲み物は当たり前のように僕らの生活に溶け込んでいます。しかし、僕らの冷蔵庫に眠っている飲み物の歴史を丁寧にひも解いてみると、興味深い事実が積み重なっています。

 何千年も前から先祖代々飲み続けている飲み物がありました。歴史を動かした飲み物がありました。時代を象徴する飲み物がありました。 普段の生活で、飲み物を見る目がちょっとだけ変わります。いま手にしているこの飲み物が、自分の手元に当たり前のようにあるということのすごさを感じるようになるかもしれません。

 ユニークな切り口の歴史訪問であり、時間旅行であるとも言えます。本書で取り上げられる一番古い飲み物はビールであり、人間が定住型の生活をし始めるようになったとか、ピラミッド建設の時代にも飲まれた、なんて話からスタートするのです。 果ては、超大企業による地球規模での資本主義の争いの象徴としてのコカ・コーラまで。

 やっぱり勉強って面白いなと思うんです。学校で勉強してきた歴史の授業と繋がったときに得られる快感。他の切り口の本があれば読んでみたくなりました。「歴史を動かし6つの大恋愛」とか絶対書けますよね。

 過去を振り返るだけでなく、未来への問いかけで終わっているのもまた素晴らしいなと思いました。本書で取り上げられている6つの飲料に続く7番目の飲料は何になるでしょうか。

 原点回帰と名付けられた最終章で、それは「水」だと指摘されています。今後、世界的な水不足が発生し、水を巡って戦争が起きることになるだろうと。なるほどと唸ってしまいますね。もとはといえば、清潔な水を確保するのが難しいからアルコール飲料などを仕方なく飲んでいた人間が、増えすぎた人口のために清潔な水を巡って命を奪い合うことになってしまう。なんたる皮肉。

 人間は歴史から学ぶことができるはずです。だからこそ、この本のような歴史を振り返る論考には価値があるのだと思いました。

 

その他、歴史を振り返る論説。

 

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【多数の謎と重き問い】書評:世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド/村上春樹

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

 

概要

「世界の終わり」と「ハードボイルドワンダーランド」という2つの世界で起きる物語が交互に進んでいく物語です。2つの世界はどのような関わりを持っているのか、というところを軸に話が進んでいきます。

おすすめポイント

 現実世界に近いけど、ありえない話が展開されるという村上春樹さんらしい物語になっていて、彼の独特の文章にどっぷり浸れる作品になっています。そして、最後に読者に投げかけられる問いは重く、うーんと唸ってしまうラストでした。

感想

 他の村上春樹さんの作品でもたまに見られることですが、物語に出てくる主要な要素が説明されぬまま、どんどん物語が進行していく作品でした。読者は頭の中に疑問符をいっぱい抱えたまま、展開される物語についていくことになるのです。

 このお話で出てくる疑問点の中には、主人公はわかっている風だけど読者にはわからないものもあれば、主人公もわかっておらず一緒に悩むものもあります。その中には、物語の根幹を成していて、この物語が読者に問いかけていることに繋がっているものと、そうではないものがあります。

 後者の例で言えば、物語冒頭の「ものすごくゆっくり動くエレベーター」。あれは結局物語の主要な要素ではありませんでした。でも結局なんであんなに詳しく描写がなされて、なんであんなにゆっくり動いていたかはわからぬままでした。

 前者の疑問点はぜひ解決したいと思うものの、明確な答えがあるわけではないものばかり。ここに書きなぐって、書き散らかしておくことで、いつか解決の糸口がつかめればいいなと思います。

1.主人公はどんな人間なのか

 一般的に、小説の主人公というものは、その人物が育ってきたバックボーンや現在抱えている悩みが読者に共有されるものであり、読者は主人公と一緒に物語を乗り切っていくことになります。しかし、この作品では主人公がどんな人間なのかがイマイチわかりません。

 主人公は、自分の心の中に殻を持っていて、それに閉じこもっている人間だと言う描写がたびたび出てきます。その原因は、過去に非常に悲しい体験をしたのがきっかけになっていることがほのめかされますが、それがなんなのかは提示されません。

 しかしその心の殻があったからこそ彼は博士の施した脳実験に耐えることができ、それが「世界の終わり」に繋がっています。物語の「起」となる部分がすでに読者にはあきらかにされないと同時に、主人公の過去に同情し共感することができないので、彼の抱える心の闇が理解できませんし、彼の感情の動きを深く理解することもできません。

 主人公は、僕ら読者と同じような存在として描かれているのでしょうか。それとも、特別な能力を持つがゆえに悩んでいる存在、スーパーマンのような存在として描かれているのでしょうか。その距離感がいまいち掴めぬまま、中途半端に彼を理解したまま、この本を読み終えてしまったのでした。

 2.「世界の終わり」の世界はなんなのか

 なぜこの精神世界があるか、ということは、複雑な脳の実験の成果物だということで百歩譲って理解できるとしましょう。しかし、この世界は現実世界とどの程度かかわりを持ったものなのでしょうか。

 たとえば、物語の大きなカギを握る、世界の終わりに住んでいる図書館の女の子。彼女は現実世界の誰かにに対応しているのかそうではないのかというのは、この物語を男性と女性の物語として分析するときに重要な問いになってくると思います。

 現実世界でとっても思い入れの強い女性だったからこそ、それが精神世界にも反映されている。そのように考えるのが自然だと思います。しかし、この精神世界はこの物語が始まる前にすでに形成されているものであって、この物語の中で出会うことになる女性、太った娘や大食いの図書館の受付嬢とは何のかかわりもないかもしれない。

 また、夢読みとは結局どのような行為だったのか、手風琴がなぜ鍵だったのか、なぜ精神世界には歌がないのか。カギを握っていそうなこれらの点について、明確な答えを出せるものは1つもありません。

3. なぜ主人公は精神世界に残ることに決めたのか

 物語の中で最大の疑問はこれでしょう。この物語はこの決断を描くために構成されているといっても過言ではないと思います。丁寧に紡いできた物語は、最後のこの決断に収束します。

 なんとなく、この主人公ならこういう決断をするだろうな、と思わされてしまうのが村上春樹さんのスゴイところだとは思います。でも、じゃあ主人公の心の動きが正確に理解できるかと言われるとそうではない。彼の持つ公正さがこの決断に導いたというのは簡単ですが、果たしてそれだけなのでしょうか。

 現実世界に戻れば、自分を想ってくれている女性が少なくとも二人いて、彼の大好きな穏やかな世界が待っている。しかし、精神世界の彼は、辛く険しい道を選ぶ。彼が作った世界だから自分で責任を取らねばならない。そんな決断ができるでしょうか。

4.博士は許され、主人公は救われないのか

 この物語の最大の問いかけである3を見た後に、一歩引いてこの作品の全景を眺めると、そもそも主人公をこのような辛い立場に追いやった博士は悪者としては描かれていないということに気づきます。彼はのうのうと逃げおおせて、新しい地で研究を再開しています。

 一方の主人公は、深い哀しみの中で現実世界に別れを告げることになりますが、彼は何も悪いことをしていないのになぜそのような仕打ちを受けねばならなかったのでしょうか。最後の彼の嘆きの言葉には胸に来るものがあります。彼に救いはないのでしょうか。

私はこの世界から消え去りたくはなかった。目を閉じると私は自分の心の揺らぎをはっきりと感じとることができた。それは哀しみや孤独感を超えた、私自身の存在を根底から揺り動かすような深く大きいうねりだった。そのうねりはいつまでもつづいた。私はベンチの背もたれに肘をついて、そのうねりに耐えた。誰も私を助けてはくれなかった。誰にも私を救うことはできないのだ。

 彼は精神世界に閉じ込められることで救われるでしょうか。心をなくしてしまった女性とともに暮らして、幸せになれるでしょうか。僕にはそうは思えません。でも、主人公はその道を確かな覚悟で選び取っていく。静かですが衝撃的なラストでした。

 

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 下巻 (新潮文庫 む 5-5)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 下巻 (新潮文庫 む 5-5)

 

 

 

 

その他村上春樹さんの作品 

 

 

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【乱世を生きた海賊たち】書評:村上海賊の娘/和田竜

村上海賊の娘(一) (新潮文庫)

村上海賊の娘(一) (新潮文庫)

 

概要

 1570年、織田信長が大阪本願寺に籠った一向宗の信徒と対峙した「石山合戦」が舞台です。本願寺攻略のために、大阪湾で起こった海賊たちの戦いを描いた小説です。

おすすめポイント

 主人公は当時最強を誇った海賊、村上海賊の当主の娘。名前は「景」。男勝りの腕っぷしを持ち、不細工だったため嫁の貰い手がありません。景のキャラクターが素敵で、さらに彼女を取り巻く戦国の武将たちも個性豊か。それでいて戦いのシーンはしっかりと大迫力に描かれる、お腹いっぱい大満足の読書体験でした。

感想

 この物語は、一見すると景の痛快な活躍が描かれる軍記ものの小説なのですが、裏テーマのようなものが設定されていて、それが作品に奥行きを与えているのではないかと僕は思いました。

 戦国時代という乱世において、武将たちが最も重視したことは何でしょうか。領地を広げること、戦いで手柄を挙げること、天下を統一すること等、いろいろ考えられると思うのですが、一番は「自家が存続すること」だとこの作中では何度も語られます。

 確かに、領地を広げるのも戦いを続けるのも、自分の家が自分の代で潰えてしまっては何の意味もありません。少し保守的ではありますが、現状が維持されることが大事なのです。

 この物語では、織田信長と大阪本願寺の間に挟まれたいくつかの戦国大名にスポットが当たります。信長は第六天魔王などと呼ばれるほどの異端の存在、対する大阪本願寺戦国大名ですらありません。戦国時代における理から外れた存在としての両者に挟まれてしまった武将たちが、自家の存続の道を模索する物語であると言えます。

残るのは、からっぽの容れ物

 個人的に、この小説で一番痺れたのは3巻の終盤でした。

 大阪本願寺に兵糧を届けるため淡路島に集まった村上海賊。彼らは大阪湾に布陣する織田方の真鍋家を打ち破らないと兵糧を届けることができません。兵糧を積んだ船がたくさんあるため、単純な船の数では村上家が圧倒していますが、 実際の兵力は五分。そこで景は、真鍋家にも村上家の船の数だけは見えていることを利用して、和議を申し込みにいきます。

 ここで、真鍋家の当主である七五三兵衛からしてみれば、和議を受け入れて織田家を裏切るのが自家の存続に繋がります。村上家と真正面から戦って、負けてしまえばおしまいなのですから。

 しかし七五三兵衛は村上家と戦うことを選びます。その理由がなんとも深くて熱い。ポイントは、和議の交渉に七五三兵衛の9歳の息子が同席していたことです。和議を受け入れれば確かに自家の存続は果たせます。しかし、それで真鍋家が受け継いできた侍としての誇りはどうなるのかと。

大なるものに靡き続ければ、確かに家は残るだろう。だが、それで家を保ったといえるのか。残るのは、からっぽの容れ物だけではないのか。

 この心意気をもって、七五三兵衛は和議を拒否します。ここに至るまで、戦国大名が何より重視するのは自家の存続だとことあるごとに書かれていたのに、ここ一番でそれを裏切った七五三兵衛。作者が仕込んだ伏線であると同時に、この物語のもう一人の主人公は七五三兵衛だったことを気づかされました。

受け継がれた心意気

 さて、和議が拒否された結果、村上家と真鍋家は大阪湾で死闘を繰り広げることになります。戦国時代の戦いを描いた小説はいくつか読んだことがありますが、海戦を描いたものは読んだことがなかったので新鮮で面白かったです。馬と船では戦い方が全然違いますね。

 七五三兵衛は豪傑です。当時最強と言われた村上海賊に真っ向から立ち向かい、奮戦します。しかしこの物語の主人公は景ですから、最終的には討ち取られることとなります。主人公側の勝利でハッピーエンド。めでたしめでたしなわけです。

 しかし、作者が仕込んでくれたもうひとつの仕掛けが、七五三兵衛の無念を引き取ってくれている気がします。この戦いのあと、それぞれの登場人物がどのような生き方をしたのかを、史料をもとに書いてくれているのです。

 それによると、七五三兵衛の息子である次郎は、11歳で真鍋家の当主になったあと、父親と同様の剛勇さと無鉄砲を受け継ぎ、次々と武功を挙げ、秀吉や家康に重宝されたとあります。

 景が申し込んできた和議を七五三兵衛が拒否した結果、七五三兵衛は戦いで命を落とすことにはなったのですが、次代へと心意気が受け継がれ、立派に自家の存続が果たされたというわけです。いやあ、ニクイ仕掛けですね。

 あまり触れませんでしたが、ひとりひとりのキャラクターがしっかり立っていて、最初から最後まで楽しく読める作品です。Bランクに入れます。

 

 

戦いの面白さが際立つ他の作品。 

 

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