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【人の死を悼むとは】書評:悼む人/天童荒太

悼む人〈上〉 (文春文庫)

悼む人〈上〉 (文春文庫)

 
悼む人〈下〉 (文春文庫)

悼む人〈下〉 (文春文庫)

 

概要

 他人の死を悼む旅を続ける青年「静人」の物語。静人の視点から描かれる物語ではなく、旅を続ける彼に出会った雑誌記者の「蒔野」、夫を殺して服役を経験した「倖世」、そして末期がんを患う静人の母「巡子」の3人が主人公。死を深く見つめる1冊です。

おすすめポイント

 上巻の初めから下巻の最後まで死に染まったこの作品を読み進めるのは、決して楽しいものではありません。しかし救いのある美しいラストだったので、暗い気持ちで読み終わることにはなりませんでした。「死」を考える手助けになりそうな一冊です。

感想

 静人は赤の他人の死を悼むために、全国の死者の情報を集めます。遺族の触れられたくない過去をもう一度掘り起こそうとするその行為は、反感を買うことも多いです。

 物語の序盤ではそんな旅を続ける静人を、不思議な存在として描いています。彼はいったい、何のために、何をしているのか。読者の疑問は、3人の主人公たちによって徐々に明かされていきます。

蒔野の話

 世の中の欲望にまつわるゴシップ記事を得意とする雑誌記者の蒔野。彼は静人と出会って違和感を感じ始めます。他者の死に、自分はどのような感情を寄せればよいのか。そんなことを考えてしまう自分は、知らず知らずの内に静人の影響を受けたと認めざるをえない。いったいなぜこんな気持ちになるのかと蒔野は悩みます。

 そして彼に訪れる命の危機。残酷な暴力が彼の命を奪おうとするその瞬間、蒔野は静人の存在意義を見出します。僕の中でも静人の行為の意義が少し掴めてきた場面です。彼は思わず、こう語りかけます。

『<悼む人>よ、おまえは、白骨で見つかったおれのことを知り、いつかここへ来てくれるんだろう?膝をつき、おれがまだかすかに感じている風の流れを右手に、おれが埋められているこの土の匂いを左手に受け、胸の前で重ねて、おれのことを覚えてようとしてくれるんだろう? 』

 どんな人物であろうと、情報がある限り悼むために足を伸ばす静人。そんな彼を知っている蒔野は、彼が絶対に来てくれることを信じる気持ちになってしまっています。極限状態に追い詰められた蒔野は、静人の旅について、彼なりの答えを見つけます。

『おまえを<悼む人>にしたのは、この世界にあふれる、死者を忘れ去っていくことへの罪悪感だ。愛する者の死が、差別されたり、忘れられたりすることへの怒りだ。そして、いつかは自分もどうでもいい死者として扱われてしまうのかという恐れだ。世界に満ちているこうした負の感情の集積が、はちきれんばかりになって、或る者を、つまりおまえを、<悼む人>にした。だから・・・おまえだけじゃないかもしれない。世界のどこかに、おまえ以外の<悼む人>が生まれ、旅をしているのかもしれない。見ず知らずの死者を、どんな理由で亡くなっても分け隔てることなく、愛と感謝に関する思い出によって心に刻み、その人物が生きていた事実を永く覚えていようとする人が、生まれているのかもしれない。だって、人はそれを求めているから・・・。少なくともいまのおれは、おまえを求めているからだ。ああ、もし生きていられたら、おれはそれを語っていくのに。目が見えなくても、誰も耳を傾けてくれなくても、きっと<悼む人>のことを語っていくのに。』

 「悼む人」がどのような人に必要とされているのか。そしてその人たちにとって、彼はなぜ必要なのか。蒔野の考えがすべて表れた心の叫びです。

 「いつかはどうでもいい死者として扱われてしまうのかという恐れ」。死がなぜ怖いのかと考えた時、誰からも想われることのない「どうでもいい死者」になってしまう恐怖がある。これにはなんとなく共感できます。そしてその恐怖は、「悼む人」の存在によってかき消されることになる。つまり、「悼む人の存在を知っている」ということが、大きな心の支えになるというわけですね。

倖世の話

 倖世は壮絶な過去を背負った女性です。本物の愛を知らずに育った彼女が、一人の男性を本気で愛し、そして自分を殺すように命令される。なんとも背筋が寒くなる逸話でした。

 服役を終えて出所した倖世は静人と出会い、一緒に旅をすることになります。彼女の肩には死んだはずの夫「甲水」が憑りついていて、倖世に話しかけてきます。倖世が抱えた過去は徐々に静人にも語られ、さらに亡霊の甲水とも会話(?)を交わしながら、事件の核心へと近づいていきます。倖世は「愛」と「執着」に苦しみます。

『もしかしたらおまえも無意識だったのかい。自分への執着を、わたしへの愛だと錯覚していたのか。自分への執着を徹底して貫けば、他者への愛と見分けがつかなくなるときがあるからね。』

『おまえと見た桜も、花火も、美しいと思い、楽しんだよ。わたしに執着してくれる者がそばにいるから感じられたことだろう。だが、すべて偽りだった。おまえは自分が楽しみ、自分が贅沢を味わうため、わたしに執着するふりをしていた。思い出は、悪臭を放つ汚物に変わったよ。』 

 いったい、執着と愛はなにが違うのでしょうか。この話を聞いていると何が何だか分からなくなります。しかし静人が穏やかに語った答えはシンプルです。

『甲水さんと出会うまでのあなたがそうであったように、愛は完全な孤独のなかでは生じないものではないですか。たとえそれが自分への愛だとしても。あなたが自分を愛せるようになるには、甲水さんが必要だった・・・彼がいて、初めてあなたは自分を愛せるようになった。であれば、それはもう、・・・彼への愛と呼んでもよくはないですか。』

 静人と旅を続けて彼の「悼み」を知り、また、深く彼と交わることで倖世は甲水の呪縛、自分自身の呪縛から解き放たれます。

『あなたは、愛などしょせん執着だと言った。わたしはその執着を放します。彼への執着を放します。だってそれが、彼のためであり、きっとわたしのためであり、あなたをはじめ大勢の亡くなった人のためだと思うから・・・。これは、何と呼ばれるものですか。執着を放すことも・・・愛、と呼んでもらえるでしょうか。』

 本当に相手のことを想うからこそ、相手を手放す。それは執着とは真逆の行為であり、それでも愛に溢れた行為になり得る。うーん。なんか難しいですね。まず、愛が執着心であるということ自体が僕には消化しきれませんでした。

巡子の話

 静人の母である巡子は、末期がんに侵されています。余命わずかと宣告された彼女が明るく振る舞う様子には胸が締め付けられます。

 彼女は助かりません。この物語は奇跡の物語ではないからです。それでも、この作品が素晴らしいのは、彼女の死を一切悲観的なものにしていないことです。彼女の死を通して、静人が「悼む人」として行ってきた旅のすべてを包み込み、肯定するラストとなっています。

 このラストシーンはあまり長くないのですが、非常に感動的でした。末期がんに苦しみながらも、意識だけは手放さなかった巡子が見る世界。死の間際でも聴覚だけは最後まで鮮明であるということが繰り返し書かれますが、それが伏線のように働いていますね。鳥肌ものでした。

 そして最後に「静人の話」と銘打って、静人の内面を書くべきだとは思うのですが、これは僕には無理そうです。彼の内面は、推し量ることさえ難しい。気が重いですが、もう一度読み返すべき作品なのかなと思いました。すごく影響力の大きい1冊としてAランクに入れます。