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【悲しみと喪失】書評:号泣する準備はできていた/江國香織

号泣する準備はできていた (新潮文庫)

号泣する準備はできていた (新潮文庫)

 

概要

 江國香織さんが直木賞を受賞した短編集です。12個の作品が収められています。

おすすめポイント

 江國さんの作品ははじめて読みました。女性ならではの、女性だからこそ描ける女心というものが僕にはとても新鮮で面白かったです。

感想

 12編の短編はどこか似た雰囲気を持っています。登場人物たちは、時に本人たちにも掴めない感情を抱えながらも、それを偽らず、正直に生きているように見えました。男の僕からしたら意味不明な行動も、「そういうものなのかな」と納得しなければならないような、そんな力強さがありました。

 どの短篇も場面は様々ですが、共通する何かを持っており、特定の1編が強く印象に残るということはなかったです。強いて言えば「こまつま」が気になりました。枯れ果てた生活を支えているのは一片のプライド。強いなぁと思うと同時に、そんな生活は悲しいのだなとしみじみ思いました。

『人々が物事に対処するその仕方は、つねにこの世で初めてであり一度きりであるために、びっくりするほどシリアスで劇的です。 たとえば悲しみを通過するとき。それがどんなにふいうちの悲しみであろうと、その人には、たぶん、号泣する準備はできていた。喪失するためには所有が必要で、すくなくとも確かにここにあったと疑いもなく思える心持ちが必要です。そして、それは確かにそこにあったのだと思う。かつてあった物たちと、そのあともあり続けなければならない物たちの、短篇集になっているといいです。』 

 これは江國さんが書いたあとがきの一節です。「喪失するためには所有が必要で、すくなくとも確かにここにあったと疑いもなく思える心持ちが必要」。その心持ちが、「号泣する準備」に繋がるのかなぁと思いました。恋愛に例えるなら、本気で誰かを愛しているからこそ、その人を失ったときの喪失感を想像できるわけです。その恋がいつか終わってしまう予感があれば尚更、心の何処かでは準備ができているのかもしれない。わかるような、わからないような。

 「号泣する」と言っておきながら、滅茶苦茶に悲しい物語はないんですよね。平凡な日々の中で、大切な何かが徐々に壊れていくような、ジリジリとした喪失の方が目立ちました。そこがまた作者の狙いだったのかもしれませんが。

 

以下それぞれの短編の感想

前進、もしくは前進のように思われるもの

 『齟齬はおそらくもっと前から生じていたのだ。いくつもの口論と、そのあとの和解。物事は何一つ解決されない。かなしいのは口論ではなく和解だと、いまでは弥生も知ってしまった。大丈夫、きっと切り抜けるだろう。 座席に頭をもたせかけ、天井をにらんで弥生は考える。いままでだってそうしてきたではないか。前進、もしくは前進と思われることを。』

 夫が何を考えているのか、わからなくなった妻。悲しいのは口論ではなく和解だという。彼女の元に、以前のホームステイ先の娘、アマンダが遊びに来る。夫との生活は、前進しているように思える。アマンダの中に、昔の自分を見つけた主人公は、果たしてなにを思うのだろう。前進か。後退か。 

 

じゃこじゃこのビスケット

 主人公がまだ少女だった頃の思い出話。冷静に考えるとまったく楽しくなかった初デート。でも、なにか美しいものとして記憶に残っている。僕は思いつかないですが、そんな経験をしている人は多いのかもしれないですね。

『「17歳のとき、はじめて男の子とデートしたの」 でも、それは、そう言葉にした瞬間に、私の言いたかったことー言ってみようとしたこと、どうでもいい、あるいはどうしようもなかった日々のことーとは違う何かになってしまう。』

 単に初めての出来事にワクワクする気持ちではと考えてしまうにはもったいないような、鮮やかな色をした思い出です。

 

熱帯夜

 女性の同性愛を描いた短編。男女の仲と違って、この恋愛には明確なゴールがありません。

『行き止まり。実際、私たちは行き止まりにいるのだ。どんなに愛し合っていても、これ以上前に進むことはできない。たとえば結婚も離婚もなく、たとえば妊娠も堕胎もない。望みはみんな叶ってしまったし、でも私はもっともっと秋美がほしい。誰にも秋美を見られたくないし、秋美にも私だけを見ていてほしい。』

 深く愛し合っているのにもかかわらず、先が見えないことを、主人公は行き止まりと表現しています。この先どうしたらいいのか。行き止まりは解消されないでしょう。とある熱帯夜に、お互いの気持ちを確認してなんとなく気持ちを納得させて、二人の生活は続いていきます。

 

煙草配りガール

 二組の夫婦がホテルのバーで話しているシーンです。主人公の幼馴染の百合が結婚生活に不満を並べています。ちょっとした言葉の綾や、ニュアンスの伝達ミスが相手の中で変な記憶として残っていることが取り上げられます。そういうことも含めて、結婚生活は難しいのだろうなぁと思いました。

 

 離婚を決意した夫婦。この日は二人揃って夫の家を訪れます。妻の志保は、主人公の裕樹の家族と仲が悪いので嫌々来ています。家族も志保も、どこか奇妙な言動をするのにもかかわらず、裕樹はそれを考える気がないようで、さらっと流れていきます。

『裕樹はふいに居心地の悪さを感じる。家族の友人の誰彼の消息や、両親がでかけた温泉地の話ーそこで彼らはたぬきと鹿を見たというー、単調な動作を一人ずつくり返しながらぽつりぽつりと語られる家族の物語は、いまの裕樹から随分遠いことに思える。』

 投げやりな雰囲気の漂う物語ですが、割と強く印象に残っています。

 

こまつま

 デパートで買い物するときに、妙なこだわりを持つ主婦の物語です。彼女はとにかく、周囲の人の目に映る自分の姿を気にします。

『余計なものに気をとられたり、ふらふらとひきよせられたりはしない。いくらデパートが好きだからといって、そんなふるまいはできない。美代子の意見では、そんなふるまいをする人間は二種類しかいない。愚かで孤独な若い娘と、暇で孤独な主婦たちとー。』

 このプライドは、学生時代の恋人を意識していると自分では分析しています。てきぱきと物事をこなし、周りを見下している主人公。これからも、その生活は続くのでしょう。自分はカッコいい大人、できる大人だと思っているのでしょうが、傍からみるとひどく滑稽です。プライドが高い人って、そんなものですよね。 

 

洋一も来られればよかったのにね

 毎年恒例となった夫の母との2人旅へ行く主人公。気詰まりで本当は行きたくないが、惰性でこなしています。旅行の最中、主人公は以前の浮気相手のことを思い出します。このままではいけないと思いその男とは関係を切ったのですが、もう実はいろいろなところが壊れているようです。

 

住宅街

 トラック運転手、主婦、工場勤務の三人の視点から描かれる物語。視点が入れ替わるのはこの短編のみでした。どこにでもある静かな住宅街が舞台です。しかしその住宅街に対して抱く想いは人それぞれ。3人は全く違うことを考えて暮らしています。人間は誰しも、他人からは理解できない側面を持ちながらも、同じような場所で普通に暮らしているんですね。

 

どこでもない場所

 久しぶりにバーで再会した2人の女性。常連の男性が一人と、バーのマスターも加わり、4人でそれぞれの思い出話を披露し合います。主人公も自分の話をするものの、その話はどこか他人の物語のように聞こえます。

『この一年、ほんとうはいろいろなことがあった。でもそれは指で砂をすくうみたいに、すくうそばからこぼれていき、あってもなくてもおなじことに思える。日時というのはそういうものなのかもしれない、と、最近考えるようになった。』

 それぞれの物語を持っている4人。「別世界みたい」。同じ世界で起きたはずの出来事を、主人公はなぜか現実と受け止められません。

 

 以前愛した男を引きずる主人公のもとに、幼馴染の男が現れます。この作品の主人公はかなりかっちりとした性格です。彼は言うのです。

『でもさ、予期せぬことにわずらわされたほうがいいだろ、たぶん』

 恋は予期せぬところからやってきます。予期せぬことに煩わされるのも、たまには悪くないですよね。干からびていたと思っていた自分の手が、いつのまにかつやつやしているように主人公は思えてくるのです。

 

号泣する準備はできていた

 表題作。旅先で出会った隆志という男と恋に落ち、日本に帰ってから同棲していた主人公。何度も一人旅をする強い女です。だけど、隆志のことだけは、どうにもなりません。割り切れないのです。姪のなつきの面倒を見ながら、強い女になってくれるように祈ります。

『私は隆志のやさしさを呪い誠実さを呪い、美しさを呪い特別さを呪い、弱さを呪い強さを呪った。そしてその隆志を心から愛している自分の強さと弱さを、その百倍も呪った。呪ったくせに、でも、小さななつきがいつか恋をしなくてはならないのだとすれば、なつきが強く強くなってくれることを祈った。たくさん旅をしておいしいものを食べ、思うさま愛されて、身体も気持ちも丈夫になってくれることを祈った。』

 タイトルのフレーズは唐突に出てきます。

『外国を好んであちこち旅してしたころ、よく墓地を散歩した。墓碑銘を読むのが好きだったのだ。自分の墓碑銘を想像したりした。 『ユキムラアヤノここに没す。強い女だったのに』 というのだ。でもほんとうは、そのときにはすでに、号泣する準備はできていた。』

 上手く飲み込めませんでした。

 

そこなう

 愛人として男の離婚を待ち続け、それが叶った主人公。嬉しくてたまらないのは間違いないのだが、何故か悲しさや淋しさを感じてしまう。

『私は嬉しくて、嬉しくて嬉しくて嬉しくて、人生が突然恐くなった。目を持たずに生きていたのに、いきなり目を入れられて、棚の上から世界を見ることになる、埃だらけの願いだるまみたいに。』

『いつか妻と別れたら、と、新村さんは何度か口にしたことがある。でも、いまになってわかるのだが、私はそれを信じていなかったのだ。ちっとも。信じるのは恐すぎたから。 あれほど信じたかったのに。そして、闇雲に信じているつもりだったのに。』

 主人公は何かに憑かれたように、言わなければよかったはずのもう一人の男の存在を打ち明けてしまいます。関係は「そこなわれ」ます。ですが、いったい、いつから壊れていたのでしょう。最初からでしょうか。不倫はうまくいかない。

 

 

似たようなテイストでした。どちらも短編ならではの切れ味があります。

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