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ネットワーク的読書 理系大学院生がおすすめの本を紹介します

本と本の意外な「つながり」ってありますよね

【不思議なネコの人生哲学】書評:猫鳴り/沼田まほかる

猫鳴り (双葉文庫)

猫鳴り (双葉文庫)

 

概要

 モンという名の一匹の猫を巡る少し不思議な物語。3章に分かれ、それぞれ主人公と時間軸が切り替わります。

おすすめポイント

 モンの持つ怪しげな存在感が印象的でした。人間を超越した哲学を持って生きているのではないかと思わせられます。大げさかもしれないですが、猫の生き様を通して自分の人生を考えさせられます。

感想

 物語は章ごとに分けられていて、独立した3つの物語のようにも見えます。どの物語でも、猫という極めて日常的な存在と、抽象的な思索の世界とが混在して描かれています。

第1章:信枝編 モンとの出会い

 第1章は、ようやく授かった子供を流産してしまった夫婦がモンと出会う場面です。この夫婦は、最初は猫など飼う気がなく、子猫のモンを森に捨てようとします。

『自分はこうして赤ん坊を弔いなおすのだ、急にそう思った。ひとつの命を、今度こそ自分の意志で流す。目醒めたまま流し、流したものの姿かたちをはっきりと記憶に留める。これは弔い、雨に充満した森の水葬だ。かたちを持たない赤ん坊、欠落した記憶、その全部をこの猫に仮託して。きっと死ぬまでに何度も、小さい猫の姿と自分の罪を思い出す。だがそれはなんという慰めだろう。』

 猫を捨てることを、流産した赤ん坊の弔いと捉える妻の信枝。

『突然、今自分は自分の抱え込んだ空っぽの内部にいる、という説明のつかない感覚が襲いかかってきた。空っぽが、不思議な優しさで信枝を包み込んでいるー。 消えた猫と濡れた男のまわりで震えている森、震えている雨、震えいる薄闇、その全部を包み込む虚無の底に、何か信枝には太刀打ちできないもの、生でも死でもあるようなはかりしれない命が、静かにみなぎっているのを感じた。』

 なんとも抽象的なのですが、猫を捨てたことによって感じた説明のつかない感覚。「はかりしれない命が、静かにみなぎっている」。森のなかに捨てたはずのモンは、次の日に戻ってきて飼われることになります。こういうところから、モンの不思議な生命力が垣間見えます。

第2章:行雄編 絶望とブラックホール

 第2章は不登校になってしまった少年「行雄」の物語。ここではモンはほとんど登場しません。行雄の家は父子家庭。父親とはろくに話をすることもなく、彼の心は荒んでいきます。そんな中、ブラックホールというものを知る。

 『なんにも無い宇宙の闇に、ただなんにも無いよりもっと決定的で積極的ななんにも無いが、底なし井戸みたいに口を開いている。〈なんにも無い〉が在る。机や『広辞苑』や自分や父親やこの世界全体よりも、もっと強く、重く、烈しく在る。』

 「積極的ななんにも無い」とは面白い表現です。日々の生活に嫌気が差す中で、ブラックホールという摩訶不思議な存在に魅了されています。

 ある日、生まれたての子猫を飼うことになった行雄。世話をするためにペットショップへ行ったとき、彼は商品たちを見て思います。

『理由はわからないが行雄は、その犬が自分であるような気がした。狭い檻の中で一人で育ちすぎ、幻に怯えたり、意味もなく自分の尻尾を追いかけたりしている自分。値引きをしても、〈金利なし分割OK〉でも、誰にも買ってもらえない自分。自分はもう未来とか、幸せとか、そんなものには絶対触れることができないだろうと、そのときわかった。(中略)ここにいる商品たちも、ペンギンも、ペンギンのヒナも、チビどもも、人間も、その他もろもろも、みんなはじめからのみ込まれているんだ。のみ込まれてここに、この世界に存在している。』

 この世界では幸せにはなれない。そう感じてしまう行雄。しかしナイフを持っていたことを通報された事件をきっかけに、父との間に会話が生まれます。

『「じゃあ、預かってくれよ。俺が今いる場所で折り合いをつけるまでさ」なおも食いさがった。 「今いるって、どこ」 「どこって、ここだよ。えーっと、ブラックホールみたいなとこ」(中略) 「あのなぁ、行雄、大人は普通そういうのを〈絶望〉って言うんだ。知らなかったのか?」 (中略)「お前、折り合いなんて、たぶん一生つかないぞ」 』

 行雄がブラックホールみたいだと思っていた状況。大人はそれを絶望と呼ぶらしい。折り合いなんて一生つかないらしい。でも、なぜか2章の終わり方はどこか楽しげで、希望が見えていました。この少年はきっと大丈夫だろうと僕は思いました。それはブラックホールというものの存在を、違う形とは言え父と共有できたこと、もしくは単純に父と心を通い合わせたからかもしれません。

第3章:藤治編 希望とモンの最期

 第3章ではモンを飼っている夫婦にスポットライトが戻ります。妻の信枝は亡くなっており、夫の藤治と老いたモンが一緒に暮らしています。

 この章で初めてタイトルの「猫鳴り」という言葉が登場します。ネコを飼っていないのでイマイチよく分かりませんが。

『モンはいつまでも腑抜けた様子でいたが、そのうちに半眼になってグルグルグルと喉を鳴らしはじめた。猫のこういうのを何と言うか知らないが、藤治は勝手に〈猫鳴り〉と呼んでいる。』

 藤治は大した趣味もなく、のんびりと、漫然と暮らしています。しかし絶望は感じていません。モンがいるから、とは明記されていませんが、きっとそうなのではないかと思いました。

『せめてこのままの時がいつまでも続けばいい、藤治は近頃そう思うことがよくある。自分もモンも衰えて、余計なものをずいぶん失くしてしまった。余分な、役にも立たない、たくさんの美しいもの。若くて、そういうものが周囲にたくさんひしめいていて、同時に欲望の作りだす黒々とした影もたち込めていた頃には、たとえ実態は狐火であるとしても<希望>の明かりがどうしても必要だった。そんなときもあった。だが今は希望もなく欲望もなく闇もない。ただ見通しのよい平坦な道が、最後の地点に向かってなだらかに伸びているだけだった。それもまた悪い気分ではない。死はある日突然に襲いかかるものではないだろう。なぜなら藤治はは、自分が端っこの方からすでにごくわずかずつ死にはじめているような気がするからだ。それもまたいいではないか。うまくできている。なんだか浮き上がりそうに身軽だった。』

 2章では「絶望」という言葉が登場しますが、3章では「希望」という言葉が目につきました。「<希望>の明かりがどうしても必要だった」と書かれていますが、2章の行雄の存在が暗示されているような気分になりました。彼にはきっと希望がどうしても必要でしょう。

 やがてモンが病気を患い、ついには水しか飲まない容態になってしまいます。

『梅雨入りが遅れていて、窓の外では、初夏の日差しが樹木の上に眩しく降り注いでいたけれど、藤治はモンと一緒に、真っ暗な、もののかたちも定かでない闇の中をとぼとぼ歩いているような気がした。途方に暮れ、寒く、悲しく、疲れ切っている。』

 老いた藤治は老いたモンの最期に向き合います。それは苦しいことです。意外なほどモンの存在は大きいものでした。しかしモンは特に苦しむ様子を見せず、ただただ寝転んでいます。

『けれども同時にこの頃から、藤治はなんとも奇妙な現象をだんだんに自覚するようにもなっていった。不安に充ちた闇の中で、猫の眼玉がまるでぼうっと燃える黄色い狐火、いや猫火みたいに、先へ先へと藤治を導いていくのだ。』

 モンを看取る決心がついたある日、モンは逝きました。

『すごいヤツだと思わずにはいられない。なにしろ二十年も生きて、化け物みたいに智慧のついた猫だ。じじい同時長く一緒にやってきたが、こいつはまるで、俺に手本を示しているみたいじゃないか。そう遠くない日に、俺自身が行かなけりゃなんない道を、自分が先に楽々と歩いて俺に見せているみたいだ。なるほど、こいつの様子を見ているかぎりでは、死ぬというのもそれほど恐ろしいものではないのかもしれないな。とうとうその日がきたときに、俺はきっと考えるだろう。モンのヤツが行けたんだから、俺だってちゃんと行けるだろう、と。』

 ネコも人間も1個の生命という点では何もかわりません。第1章で登場した時から不思議な生命力を宿していたモンは、まるで藤治を導くかのような逝き方をしました。静かですが圧倒されそうなラストでした。

 

こちらも猫の物語。

ytera22book.hatenablog.com