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ネットワーク的読書 理系大学院生がおすすめの本を紹介します

本と本の意外な「つながり」ってありますよね

【戦い続ける男たちに】書評:すべての男は消耗品である/村上龍

すべての男は消耗品である (角川文庫)

すべての男は消耗品である (角川文庫)

 

概要

 村上龍さんのエッセイ集。連載は30年以上続いているらしいです。その記念すべき第1作目がこの作品です。

おすすめポイント

 好き嫌いが別れると思いますが、嫌いでないなら興味深く読めると思います。こんなに尖った考え方を持っている人は、普通に暮らしていたらなかなか出会えないでしょう。新しい哲学に触れられます。

感想

 自分が生まれるよりも前に書かれていますし、著者とはあまりにも境遇が違うので、参考にすることはできないなと思いました。まるで遠い世界の話みたいです。女性が読んだら大半の人は怒るのではないかと思うのですが、実際どうなのでしょう。ただ、幾つか納得できる点もあって、時代や立場が違っても男女関係はあくまで男女関係なんだなぁと思ったりもしました。

消耗品

 タイトルに関連してこの一節。

『オレがいつもいってることだが、男は"消耗品"だ。使い捨てライターみたいなものだ。性能が悪かったり、ガスが切れたりすると、捨てられて、文句もいえない。 女は"戦利品"だ。倒さなければ手に入らない。男はさまざまなものを倒して、やっと女を手に入れるのだ。まず倒すべきなのは、その女の父親だ。そして、その敵が偉大であればあるほど、戦利品も豪華だということだ。』

 こんな発言をすると「女はモノではありません」とか言われてしまいそうです。男は代用が効く消耗品。戦って、戦って、勝ち抜かなければならない。なんのために戦うのかと言えば、ずばり女。そして最初に戦う相手はその女性の父親だそう。

 女性にとって父親はそんなに大きな存在なのでしょうかね。友達として接している分には、周りの女性からそんな発言は聞いたことがありません。しかし、父が立派であるほど、ハードルは高くなり、当然得られる報酬も豪華になるそうです。つまりチンケな表現だと「いいオンナ」になるのだとか。まだ僕には分かりません。

『牡としての力強さを、などと叫んだって、そんなものは昔からなかったのだ。ただの消耗品だったのだ。しかし、耐久財より、消耗品の方が、自由がある。オレ達はその自由を愛するしかない。リスクを背負って、その自由を行使するしかないのである。』

 男は女を巡って争う存在であると書いておきながら、「牡としての力強さ」なんてものはないと言う。あくまで消耗品。いずれなくなって用無しになってしまう存在。だけど、耐久財よりも自由があると言います。何故でしょう。耐久財は動かないからでしょうか。

 なんども男=消耗品という等式が現れるのですが、その根拠は明示されていなくて、なんとなく雰囲気から読み取らなければなりません。なんとなくは分かるのですが、もうちょっと芯の部分を掴みたいものです。

相手を完璧に知ること

 もうひとつ印象に残ったトピックがあります。

『自分の前では統一された人間であって欲しい、好きな人のことを誰でもそう思う。統一された人間でなければ、自分のことを確認してくれないからだ。子供は、酒乱の親に何よりも怯える。親がふるう暴力よりも、親が「違う人間」になってしまうことが恐ろしいのだ。』

 人間が人間に対して一番恐怖を抱く瞬間。それは相手が「違う人間」になってしまうこと。酒乱の親は、だから子供に深い心の傷を残すそうです。言われてみればそうかもしれないです。

『愛し愛されることを願う相手が、自分の目の前で違う人格を晒してしまうこと、これは一種の恐怖である。そして、そこから派生するもう一つの恐怖がある。人間の想像力がその恐怖を作る。「この人は、わたし以外の人の前でも、わたしの前と同じようにふるまうのだろう」という想像だ。それを、嫉妬と呼ぶ。だが、オレ達は嫉妬を消すことができない。「男と女は曖昧な方がいい」と例の女性はいった。だが、曖昧でない男女関係などありはしないのだ。』

 その恐怖は恋愛でも同じだと言います。恋人が「違う人間」になることも怖い。その恐れは、「恋人が自分の知らない一面を持っているのではないか」という嫉妬の感情につながってきます。

『では、オレが達はどうすればいいのか?勇気を持って曖昧さを受け入れるしかないのだと思う。それは言うのは簡単だが、実行するのは難しい。特に元気がない時、自信を失っている時、曖昧さは耐えがたいものとなる 。そして、その曖昧さを消すことが真の愛を追求することだと勘違いしているアホが意外に多いのだ。それは、嘘を許すとかそんなことではない。自分を信じることなのだ。(あ、PHPみたいになってきちゃった)それができない人は、恋愛をする資格がない。』

 すべてを知ろうとするからその恐怖、つまり嫉妬心は生まれます。解決策は簡単なことで、すべてを知らないという曖昧な関係性を受け入れること。そもそも、「お互いの知らないところを埋め合う」のが「恋愛」というものだと僕も思っている節があるのですが、そうではないらしい。むしろそれは逆効果。曖昧さを受け入れる覚悟が必要なんだと著者は言うのです。

 確かにそうかもしれない。でも、これは非常に難しいことですよ。もっと相手のことを知りたいというのは恋愛において自然な感情だと僕は思うのですが・・・。この感情を克服することなどできるのでしょうか。多少の嫌なところには目をつぶったり、過去を詮索しすぎないということでしょうか。

 

 

 尖った意見を述べているので、里中李生の本を思い起こしました。しかし村上龍さんは(この作品を読んだ限りは)人を批判することをあまりしない印象です。

ytera22book.hatenablog.com