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本と本の意外な「つながり」ってありますよね

【孤独な女刑事と孤高の狼犬】書評:凍える牙/乃南アサ

凍える牙 (新潮文庫)

凍える牙 (新潮文庫)

 

概要

 平成8年の直木賞受賞作品。深夜のファミレスで起きた火災が、予想外の方向へと広がっていくミステリー小説です。男だらけの警察組織の中、男に負けまいと必死に戦う女刑事の「音道」。コンビを組むことになった男性刑事の「滝沢」の嫌味に耐えながらの捜査が始まります。

おすすめポイント

 音道を通して描かれる働く女性の孤独な心理描写と、物語の鍵を握る狼犬「疾風」の孤高の存在感はどちらもリアリティに溢れていていました。一人と一匹が織りなすドラマが心に残ります。

感想

 この物語を振り返るに当たって、軸にしたいのは2つの「つながり」です。

女刑事とおっさん刑事

 女刑事が主人公の物語はたくさんあるかと思いますが、僕はこの作品が初めてでした。警察という組織は男だらけであることは入る前から分かっているはずです。気が強い音道貴子は、不当な扱いを受けながらも、男性に決して屈せずに仕事をしています。心の中では毒を吐きながら。

『女を初めて見るわけじゃあ、ないでしょうに。あんたたちの女房は男なの?さっと振り返って、そんなことを言えたら、どれほど気分が良いだろう。』

 本作品の舞台となるのは連続殺人事件。その捜査でコンビを組むことになる滝沢という男性刑事は、絵に描いたような女性軽視の発言を繰り返す人物。

『滝沢は女を信じていなかった。女はすぐに嘘をつく。裏切る。気分が変わる。感情が先走る。滝沢たちの仕事は信頼関係とチームワークとで成り立っている。そんなヤツを、仕事のパートナーとして選べる道理がなかった。』

 音道は1年前に夫の浮気が発覚し離婚。滝沢も妻に逃げられ、男手ひとつで子どもを育てているという背景があります。そんなふたりが良いコンビになるのは難しいだろうなぁとこちらは思ってしまうのですが、このふたりは上司によって組まされてしまったわけです。この作品を読む軸の1つ目は、音道と滝沢のいびつなコンビです。

 地道な聞き込み捜査を続けていく中で、男女の偏見を取っ払い、お互いが相手を一人の人間として認めていきます。徐々に起こる変化で、何か大きなきっかけがあるわけではありません。素直ではないふたりは、表面上はほとんど何も変わりません。しかし読者は着実に両者の歩み寄りを感じるのです。

『皆、こうして生きているのよ。夫や妻、子どもに裏切られて、背かれても、こうして生きてる。ただ、悲しむためだけ、傷つくためだけかも知れないけど、でも、生きてるー。緑色の公衆電話に向かう滝沢の後ろ姿を眺めながら、貴子は初めて、彼を相方として実感していた。あの、不恰好な皇帝ペンギンだって、今の貴子のように、常に誰かに語りかけながら、日々の仕事に明け暮れているに違いない。他人の事件ばかり追いかけて、自分の身内のごたごたは放ったらかし、そんな身の因果を感じながら、それでも日々を過ごすのだ。』

 滝沢のことを「不格好な皇帝ペンギン」呼ばわりしている音道ですが、刑事という仕事に就いていることは同じ。家庭を顧みず事件の捜査に明け暮れる生活を続けた結果、家族と関係が悪化している点も同じ。腹を割って話したわけではありませんが、共通するものを感じ取ったのではないかと思います。

女刑事とオオカミ犬

 事件の操作を続けていくと、被害者を噛み殺したオオカミ犬の存在が浮かび上がってきます。このオオカミ犬はただの殺人の道具として描かれるわけではありません。人を襲うように訓練されているわけですが、野生のオオカミの血を受けた、孤高の存在です。

『強烈な存在感。威厳。気品。知性。貴子は、思わず歩み寄りたい衝動に駆られた。一瞬、この犬が何人もの人間を襲い、殺していることも忘れていた。伝わってくるものは、犯罪者特有の陰鬱さでも、追い詰められたものの殺気でも、粗暴さ、悪意、凶暴性でもないのだ。まるで、夜明け前の谷間に漂う雲のように、疾風は、ただそこにいた。うなり声も上げず、その静かな表情からは、怒りも、憎しみも感じられなかった。』

 音道は「疾風」という名前のこのオオカミ犬に、強烈に惹かれます。本人も言葉にできない、神秘的な魔力に囚われてしまうのです。物語の終盤でようやく相まみえる音道と疾風のつながりが、物語の2つ目の軸です。元白バイ隊員である音道は、逃走したオオカミ犬をバイクで追う任務を言い渡され、やがて対決のときが訪れます。

『「行きたいところまで、行きなさい!」ヘルメットの中で、貴子は大声で疾風に呼びかけ、そして、声を出して笑った。普段から一人でオートバイに乗っていると、貴子は独り言が多くなる。誰にも聞かれないのを良いことに、思い切り悪態をつき、歌を歌い、自問自答を繰り返す。だが、誰かと一緒に走っていて、こんなに楽しいと感じたことはなかった。道路が続く限り、疾風と走り続けたい。あの、銀色の生き物を追いかけたかった。』

 警察組織の中で生きる音道と、東京の街で人を殺す訓練を受けてきたオオカミ犬が、一緒に走る終盤のシーン。窮屈さを感じながら、孤独に戦ってきた両者の心が共鳴しあっているかのように、一緒に走るのです。

 そしてこのシーンをより重層的なものにしているのが、後ろからパトカーで追いかける滝沢の存在です。音道と滝沢は完全に打ち解け合った関係ではありません。でも、警察組織の中では、コンビを組んできた滝沢しか知らない音道の人間性がある。

『何故だか、奇妙な錯覚に陥りつつあった。オオカミ犬と音道とが、互いに心を通わせて走っているような、何かのパイプが出来上がっているような、そんな感じがするのだ。一般車両を締め出した高速を、並んで走っていくオートバイとオオカミ犬とは、それなりに自分たちの空間を楽しんでいるようにさえ見える。追うものと追われるものではなく、共にどこかに向かっているような感じがするのだ。』

 孤独を分けあった音道と疾風。それを見守る滝沢。この二人と一匹の物語でした。殺された被害者や、疾風を使って復讐を遂げようとする犯人には最低限のスポットしか当てず、3者の関係とことん突き詰められている印象です。ただ、そこに言葉はあまりありません。音道と滝沢は素直じゃないですし、オオカミ犬は喋れませんから。でも、生きる姿勢に共通する部分があるから、彼らは親近感を感じているのではないかと僕は思いました。

 

 

こちらは犬ではなく猫の話。

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