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【活躍するおじさま二人】書評:岳飛伝 十三 蒼波の章/北方謙三

岳飛伝 十三 蒼波の章

岳飛伝 十三 蒼波の章

 

概要

 水滸伝、楊令伝に続く北方謙三の北方水滸伝第3部。その13巻です。

感想

 金国のゴタゴタがメインでしたね。海陵王は戦をやりたがる血の気が多い帝です。大した実力もないし、自分で鍛えた禁軍も全然強くない。しかし子午山にちょっかいをかけてみたり、南宋に侵略してみたりとやりたい放題。兀朮も大変です。

おじさま二人

 梁山泊で目立ったのは史進と李俊のおじさんコンビでした。子午山がダシに使われて史進の出陣が決まった時、今度こそ史進が危ない!とビビりました。相手が雑魚だったから助かったわけですが、逆に言うと子午山を絡ませても死に場所が作られない史進は一体どんな壮絶は死に方をするのやら。なるべくカッコ良く逝かせてあげて欲しいものです。

 一方の李俊は「そんな役割わざわざ自分でやる?」という感じの作戦でしたので、あれで死ななくて本当によかったです。相当飛んでいたらしいですが、どのぐらいの高さの崖から飛び降りたのでしょう。ついに日本に行ってしまって、しかもそこに瓊英がいないとなると、物語の本流に戻ってくることはあるのでしょうか。まさかこのままフェードアウト?それとも日本でもドラマが繰り広げられるのでしょうか。まったく予想がつきません。

 金国が南宋に進撃したのに合わせて岳飛も一気に出陣してくるのかなと思いましたが、予想が外れました。主人公はまだ南のようです。次の14巻では岳飛の戦が見られるといいなと思います。岳飛の子どもはたくさんいすぎてよくわからないですね。

 なんだか梁山泊側の人間は絶対数が減ってしまったように感じます。物語の舞台が西に東に広がっているので相対的に薄まっているのかもしれませんが、イマイチ存在感がありません。呼延凌とかは元気でしょうか。全然戦っていませんが、腕は鈍っていないでしょうか。

それぞれの胸にある志

 志に関しては、相変わらずいろいろな人間の意見が聞かれます。

『楊令殿が示した新しい志が、間違っているとは、いまも思っていない。それでも、変わり得るのだ。志は、石ではない。しかし、空を流れる雲でもない。おかしな言い方になるが、志を見つめているのが、志ということだと思う。』

これは秦容の言葉。「志を見つめているのが志」とはおもしろい言い方ですね。行動に1つの軸を求める時、その軸について考え続けることがそもそも行動の軸となっていく、みたいな感じでしょうか。考え続けることに意味があって、確固としたものを求めるのは間違っているということですかね。

『「昔、『替天行道』を読まされた。俺は俺なりに、噛み砕いたよ。そして、人間らしく生きろと書いてある、と思った」「それはそれでいいのだと思う。人が、人間らしく生きられる世を作る、と俺は思っているが」 』

 上は王清と羅辰の会話。この段階になって替天行道の新しい解釈が登場するとは思いませんでした。シンプルですね。人間が人間らしく生きられる世を作るために、湖寨に寄っていたころは宋と戦っていたという解釈もできますね。

 このようなやりとりを見るにつけても、北方さんが広げてきた水滸伝の世界が徐々に収束に向かっているかのように感じてしまうのは僕だけでしょうか。

 

話を覚えておくためのメモ。

  •  土里緒たち3つの部族の軍が、西遼の東側の守備につくことに。顧大嫂は執政を退き、太子夷列が即位する。
  • 岳飛がケイロウに移動。岳飛に鍛えられたハンカンが南の守備を任される。
  • 秦容と公礼の間に子供が生まれる。
  • 王清が世話になっている村の保正に笛を送る。村は進撃してきたサケツの軍に徴発を受ける。

 

 

岳飛伝シリーズ。