【女であることですでに共犯者】書評:肩ごしの恋人/唯川恵
概要
唯川恵さんが直木賞を受賞した作品です。女を武器として生きる「るり子」と、恋も仕事もちょっと冷めたところがある「萌」は5歳の頃からの親友です。るり子の三度目の結婚式から始まる二人の人生の岐路が描かれます。
おすすめポイント
二人を対照的に描いているからこそ、るり子と萌の考え方が深掘りされ、人生哲学にまで発展します。単なる「女性とは」という話に留まりません。幸福とは何かということを考えさせられます。
感想
序盤はるり子のキャラクターに圧倒されます。いや、女子のみなさんはこういう女をよく知っているのかもしれませんが、僕は知りませんでした。出会ったことがないです。もしかしたら過去に何人も出会っているのに、僕が見抜く眼力を持っていなかったから気づいていないのかもしれないですね。
その婚約者っていうのが、ひどいブスなの。おまけに国立大を出てるような可愛げのない女のよ。私、男がわかんなくなったわ。女は綺麗で、セックスがよくて、一緒にいて楽しいこと以外、何が必要なの?
とにかくわがまま。自分のやりたいことをやる。女であることを最大限利用し、いい男を手に入れて、自分が幸せになるためならなんでもする。それがるり子です。突き抜けています。
るり子がただただ暴れまわる物語で、萌が単なるツッコミ役なのか。最初はそう思って読んでいましたが、どうやらそうではなさそうだと途中で考え直します。考え方の対象的な萌が隣に置かれていることで、るり子の考え方もまたひとつの「哲学」だと気付かされます。
本当はみんな知っているはずだ。わがままを通す方が、我慢するよりずっと難しいということを。だからみんな我慢の方を選ぶ。それは、楽して相手に好かれようと思っているからだ。聞き分けのよい女なんていちばんの曲者だ。心の中を我慢でいっぱいにして、そのことに不満を持ちながらも 「我慢と引き換えに手に入れられるもの」ことばかり考えている。るり子は常々心に誓っている。どんなに落ちぶれても、我慢強い女にだけは絶対にならないでおこうと。
わがままは悪なのか。彼女の生き方を通して、そんな命題が浮かんでくるのです。周りに迷惑をかけてでも自分の思うように生きるというのは、現代人にとっては非常に難しいことです。
では萌の考え方はどうか。彼女は非常に現実主義者です。できないことはできない。ジャーナリストになって海外を飛び回りたいという夢を諦め、しかし世界と繋がっていたいという思いから輸入品の代行業を営む会社で働いています。冷静に自分を分析し、また、冷静に女というものを分析している。
女って面倒だ。若くて、性欲のある女は特に面倒だ。こうでなければならないもの、が多すぎる。そういったものが、自分をがんじがらめにしている。たとえば、どれほど仕事ができても恋の匂いのしない女はみじめだ、ということだ。女ならいつかはパートナーを持って子供を産みたいと思うのが自然、ということだ。けれども、本当に悔しいのは、それを「関係ないわ」と笑い飛ばしてしまえない自分がいることだ。どこかで自分もそれに乗っかって、周りの女たちの生き方に乗り遅れないようにしていることだ。
世の中の女性が自分をがんじがらめにしている様子を冷ややかに眺めつつも、自分の中に焦りがあることも自覚している。きっと自分に重ねあわせる女性は多いはず。
「女であるということですでに共犯者だ」
こんな二人がなんで仲良くしているのだろう。このチグハグ感がこの小説の面白さを構成するひとつの要素であり、僕の心を最後まで捉えて離さなかった問題です。例えば萌はこんな風にるり子を評する。
るり子はいつだって、自分が幸せになるための努力を惜しまない。他人に嫌われたって笑われたって意に介さないと。愚かで、そして、そこが愛おしい。
引用しませんが、逆もまた然り。相手と自分の考え方が真逆であることはお互い分かっている。しかしどこかで相手の考え方に一定の理解を示している。これはセリフや行動には直接現れません。でも、そうでもなきゃ仲良くできる意味がわからない。精一杯の分析が、これです。
物語の中盤、家出少年と3人で暮らしたり、ゲイバーに行ってマスターの紹介でバイトを始めたりと、いろいろな出来事が起きます。それらを通して、「結婚だけが家族の形じゃないよね」みたいなラストに結実していくわけですが、やっぱり僕はるり子と萌の二人の関係性に目がいってしまいます。その理由はきっと、僕はこの二人の関係を頑張って分析しようと試みるも、どこかで理解不能だと思っているからでしょう。
理解できるはずがない。してもらいたいとも思わない。女はいつだって、女であるということですでに共犯者だ。ましてや、るり子とは五歳の時からの付き合いだ。
このセリフはかなり序盤に出てきます。もちろん「してもらいたいとも思わない」と考えているのは萌で、その相手はとある男性です。るり子と萌の関係は、男には理解できない関係性なのだと序盤で作者は言い切ってしまっている。「女であるということですでに共犯者だ」。女性同士の強い結びつきに対して、男性が抱く言い知れぬ恐怖を表すのには十分過ぎるフレーズです。
「女性」というものを考える上で大きな示唆を与えてくれる作品だと思います。Bランクに入れておきます。
女性同士の関係を描いた作品で他に思いつくのはこちら。辻村深月さんの「女」論がこれでもかと堪能できます。