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本と本の意外な「つながり」ってありますよね

【解説が本編】書評:V.T.R./辻村深月

V.T.R. (講談社文庫)

V.T.R. (講談社文庫)

 

概要

 「スロウハイツの神様」の登場人物「チヨダコーキ」のデビュー作をそのまま文庫にしたという、面白い建付けの作品です。「スロウハイツ」を読んだあとに、表紙や帯や解説まで含めて楽しむのが正しい味わい方です。

おすすめポイント

 短い作品なので、「スロウハイツ」と一緒にぺろっと読んでしまうのがオススメです。赤羽環はこういう作品に影響を受けて育ってきたんだなというところがとても感慨深い一冊でした。

感想

 最後のたった数ページなのですが、赤羽環による解説が本編みたいなところはあるかなと思いました。そもそも環のメッセージそのものにもすごく共感するのですが、「スロウハイツ」で起こった出来事を乗り越えた彼女の心境が透けて見えて、立体感を感じられる構造になっています。

こんなにおいしいケーキを、日常のものとして知っている作家と、田舎で彼の本を読むことしかできない自分とが、なんて遠いのかと、それを思うと、涙が出た。

  「スロウハイツ」の出来事が起きる前、赤羽環とチヨダコーキの間には、こんなにも距離があったんですよね。その隔たりを、環は文字通りの死に物狂いで飛び越えていき、いまではこんなに偉そうに解説を書くまでになっているのです。感慨深い。

 幼少期に環がどんな想いでチヨダコーキの本を読み、その経験をいまどう思っているのかが、短い文章ですが克明につづられていきます。「スロウハイツ」の中では多くを語らなかった彼女の、熱い想いを感じ取れます。

人は誰も、十代の頃に自分にとっての「神様」と呼べる存在と、一生ものの出会いをする。それは、現実の誰かでも、芸能人でも、作家でも、歌手でもいい。そんな出会いに心当たりがないという人がいるとしたら、気の毒に思う。十代の頃、誰とも出会わなくてももちろんいい。問題なくそれで生きていけるなら、そんなまっとうな生き方は素晴らしいとさえ思うが、私にはできない。そして、神様は確実に、私の人生を豊かにしてくれた。

 この文章の内容にはそもそもすごく共感するのですが、環が言うからさらに説得力があるんですよね。幼少期にチヨダーキの本をむさぼるように読んだ経験を礎にして、彼女は脚本家としての才能を爆発させました。それと同時に、辛い境遇に置かれても彼女はめげずに歯を食いしばって生き延びることができました。バックグラウンドを知っているからこそ、環が書いた解説の行間が読めるような仕掛けになっていて面白いです。

鈍化した大人が薦める読み物や、何ら魅力を感じない文化の対岸にある、エッジの立った本を探して読み、アニメや漫画に触れて、歌を聴き、「ここが時代の最先端」と思えることは、あなたたちの特権だ。どうぞ、権威の向こう側に行った愚鈍な大人を思う存分バカにして、彼らに向けて言葉の引き金を引いてほしい。

 僕自身、20代の後半に差し掛かり、さらにゲームを作るという仕事をしている関係上、環の言っていることにすごく共感ができます。10代のころのように夢中になってゲームにプレイできなくなった自分が、環の言葉を借りるなら、権威の向こう側に行ってゲームを作っているのです。時代の最先端は、いまの10代にあるということを、忘れずに生きていきたいですね。

 

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 幼少期にハマったコンテンツは、自分の”芯”になります。ゲームを作るときは今までの自分のゲーム体験を振り返る機会が多く、「このゲームのココが面白かった」という記憶はある種の財産になって、いまの自分の仕事を支えてくれています。

 この解説が書かれたのが「スロウハイツ」のころから何年経過したのかはわかりません。環は解説の中で「余生を生きるクリエイターの一人」と自らを称していますが、実際そんなにおばあちゃんになったわけでもないはず。この言い方が面白いなと思ったのは、楽しむ側から作る側に回った人間は、エンターテインメントの世界では”老いた側”という見方です。

 ゲーム業界だとまだまだヒヨコのような若輩者の自分ですが、実は広い目でみると自分はもう”老いた側”である。大切なことを再認識させてもらいました。ちゃんとお客さんの方を向いて商売していきたいものですね。

 

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 「V.T.R」の話に戻りましょう。この作品はチヨダコーキのデビュー作です。つまり、「スロウハイツの神様」で描かれていたストーリーが展開されるよりもずっと前に書かれたお話。彼らがまだ出会っていなかったころに発表された物語ということになります。

 「スロウハイツ」との関わり方でもっとも大きなものは、解説で環が書いていたとおり、幼少期の環が貪るように読んだ中の一作ということだけです。実はそこまで大きくはありません。

 アールの生き方が環のようだなという考えが一瞬頭をよぎるのですが、「V.T.R」が書かれた時点でチヨダコーキは環のことを知らないわけで、むしろ環がアールのようになったと捉えられる時系列です。解説の中ではアールのファッションにあこがれていたエピソードが記されていて、内面のことはとくに語られていません。そこまで書くのはさすがに個人的すぎて、恥ずかしかったのでしょうか。

 チヨダコーキはこういう物語を書いていたのだなと知れるのも面白いポイントですね。たしかにこれは小中学生が好きそうなお話だなと。辻村深月さんは普段こんな文体では書かないので、別人格を筆に乗り移らせたのだなと思うと、作家さんってすごいなと感心してしまいます。

 

 

僕のオススメの本はこちらにまとめています。

A. 誰にでもおすすめできる/是非読んで欲しい作品

B. 大多数の人が面白いと思うはず/この作家さんが好きなら絶対読むべき作品 

 

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