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【最高の胸糞悪さ】書評:火の粉/雫井脩介

火の粉 (幻冬舎文庫)

火の粉 (幻冬舎文庫)

 

概要

 冤罪の可能性がある被告人「武内」に無罪を言い渡し、そののちに退官した裁判官の「勲」。数年経ったある日、武内が突然隣に引っ越してきたことをきっかけに、勲の家庭にヒビが入り始めます。

おすすめポイント

 最期の最期までハラハラする犯罪小説です。特に中盤からはもどかしい思いでいっぱいになり、ページをめくる手がとまりませんでした。サイコパス的な狂気を感じるところもありますが、グロテスクな描写はないので読みやすいと思います。

感想

 見事なまでに胸くそ悪い作品でした。よくもまあここまで書けるなという感じ。物語の舞台となるのは4世帯が同居する閑静な住宅街の1件です。

胸くそ悪いポイント1:姑の介護

 勲の妻、尋恵は勲の母を介護しています。感謝の気持ち一つも表さない姑の態度と、勲の姉(尋恵の義姉)の嫌味に耐えながら。お決まりの胸くそ悪いシチュエーションなのですが、姑が自分の預金口座の分配を発表するシーンの胸くそ悪さは最高です。何百万円と遺産はあるのに、尋恵には3万円しか渡さない。ゼロならゼロで勲の分前に含まれていると解釈できるのに、わざわざ3万円だけ渡すと告げる。ぶん殴りたくなりました。

胸くそ悪いポイント2:娘の育児

 雪江は勲と尋恵の息子である敏郎の妻。彼女は幼稚園に頼らず自分の手で娘のまどかを育てています。その子育ての様子がリアリティにあふれていました。息子をろくにしつけしないギャルママ。泣き止まないまどかに思わず手を上げてしまう衝動。子育てを女性だけに任せっきりにして放置するのは本当に良くないなと思いました。

胸くそ悪いポイント3:煮え切らない勲の態度

 勲は基本的には家庭のことには口出しないタイプの父親。そのせいで火種が大きくなったのは間違いない。肝心なところで逃げたりと、おまえは本当に裁判官だったのかと疑いたくなる優柔不断な父親でした。ただ、ラストはがんばった。

胸くそ悪いポイント4:ドラ息子敏郎

 敏郎に一番腹が立ちました。いい年して彼は司法試験を受験するために勉強中。まだ受かったわけではないのにいつも偉そうな態度。コイツがもうちょっとまともだったらこんなにひどい事件にはならなかった可能性が高いですね。

火の粉

 武内のような側面って誰もが持っているよね、という議論もあるかと思うのですが、僕はあんな人間狂ってると思って、理解する努力を諦めたタイプです。あれは家庭に迫る厄災の一種であって、議論の対象外だと思うのです。それよりも僕が気になったのは、タイトルの「火の粉」。勲が元検事に言われたこの一言に、「火の粉」というワードが含まれています。

『あなたは今まで裁判官席という風上から、下々で起こる事件をまさに他人事として裁いていた。ところが今度、急に風向きが変わって自分のところに火の粉が降りかかってきたものだから、びっくりして慌てふためいているわけです。』

 明言はしていませんが、勲は図星だったのではないかと思います。言い得て妙ですね。難しい判断だったとはいえ、元はといえば勲が法廷で撒いた種なので、おかしいと思ったら早めに動くべきでした。変なことを考えている人間ってのはそれなりのオーラを発すると思っていますし、家族はそれぞれ少なからず武内の行動を不思議に思うシーンがありました。それを感じ取ったら、すぐに動くべきだったと思うのです。

 でも、武内は基本的には良い隣人であったわけで、あえて関係を崩したくはなかったのでしょう。その辺が肝なのかなと思います。

『あなたは私のところに来た以上、こう言うべきですよ。自分は裁判官として無難に人を裁いてきたが、死刑判決を下すことだけは怖かった。それだけの覚悟を持っていなかった。あの事件、被害者は子供を含めた三人。有罪なら死刑は動かせない。それを避けるには無罪しかない。』

 武内との衝突を避けるために、感じていた違和感を押し殺したこと。死刑を避けるために十分な考察をしなかったこと。本質は同じなのかなと思いました。やっぱり、人間の判断には変化を嫌う面があって、それがこのケースでは最悪の結果を招いてしまいました。そういうことってフィクションの世界だけでなく、実際にも起こり得るんじゃないかなと思いました。

 この物語ではラストで、勲が文字通り死ぬ気になって守るべきものを守ることができました。しかし、火の粉はいつ降りかかってくるかわかりません。どんな顔をして自分に近づいてくるかもわかりません。その時がきたら、逃げずに戦わなければならないのでしょうね。

 

 雫井脩介さんの作品は他に一冊だけ読みました。一風変わった捜査が展開される警察小説です。

オススメの本はこちらにまとめています。

A. 誰にでもおすすめできる/是非読んで欲しい作品

B. 大多数の人が面白いと思うはず/この作家さんが好きなら絶対読むべき作品 

 

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