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【激動の父の人生へタイムスリップ】書評:地下鉄に乗って/浅田次郎

地下鉄に乗って (講談社文庫)

地下鉄に乗って (講談社文庫)

 

概要

 浅田次郎さんが吉川英治文学新人賞を受賞した作品です。地下鉄がタイムマシンとなり、兄・父・愛人の人生を追憶することになる主人公真次。激動の時代を生き抜いてきた父の人生をメインに、今まで知ることのなかった因縁が明らかになっていきます。

おすすめポイント

 昭和の東京の雰囲気を豊かに伝える物語でした。昔のメトロの描写などは、懐かしむことのできる人もいるのでしょう。それができない僕のような人間にとっても、自分の親の人生を辿るとどのような気持ちになるか、考えさせられる作品でした。

感想

東京の人々と共に生きてきた地下鉄の生き様

 この物語は地下鉄から始まり、地下鉄で終わります。最初の地下鉄が東京を走ったのは1927年のことだったそうです。戦前・戦中・戦後と時代が流れても運行し続け、数えきれない人が利用してきました。浅田さんは東京の生まれだそうなので、地下鉄にはちょっと思い入れがあるのかな、なんて考えながら読んでいました。

ふと、こんなことを考えた。人生の何割かを東京の地下で暮らしてきたのは、何も自分ひとりではあるまい。行き交う人々はみな、人生の何分の一かに相当する時間を、地下鉄の中で過ごしているのだ。夏は涼しく、冬は暖かい、網の目のように張りめぐらされたこの涯もない空間の中で、誰もが重苦しい愛憎を胸に抱える。 

 地下鉄という閉鎖的な空間には、あらゆる時代の利用者の想いが染み込んでいる。そんな想像を巡らせながら僕も読んでいました。例えば戦争中は赤紙をもらって軍に招集された青年が乗って行く。もう、帰ることはないかもしれないと思いながら。

胸がいっぱいになったのは、そんなことじゃなくって、私たちが毎日何も考えずに乗っている地下鉄が、こんなふうに人の命を載せていた時代もあるんだって、ある古い銀座線はそんなことおくびにも出さないけれど、死んで行く若者たちを何千人も、何万人も、黙って送り続けていたんだって、そう思ったんです。 

 ただの移動手段だと思って気にも留めない生活をするのは、もしかしたらもったいないのかもしれませんね。若き兵隊の怨念が住み着いていると考えるとホラーですが。

鮮やかに書き分けられる時代ごとの色

 真次は物語の中で数回に渡ってタイムスリップを経験します。時間旅行の行き先は兄の命日だったり、父がまだ小さいころだったり。その時々の東京の様子が細かく描写されていました。戦後の東京オリンピックが開催されるきらびやか雰囲気、戦中の配給が滞って闇市で人が上をしのいでいる雰囲気、戦前の好景気に湧いた華やかな雰囲気などなど。それらは独特の色を持っているように僕は感じられました。戦後はネオンの色、戦中は灰色の駅とオレンジの電球に照らされた闇市の色、戦前はモダンなレンガ造りの建物の色。戦闘地域の真っただ中の満州に飛んでいるときは、白黒の世界が浮かびました。

 時間が流れて今の時代が過去になったとき、何色で表現されるのでしょうか。パソコンやスマホのディスプレイの青白い光が、今を代表する色になるのかもしれませんね。

兄と血縁と運命

 タイムトラベルは、真次に過酷な運命を突きつけます。

そのとき真次が考えたものは、自分の血族をめぐる恐ろしい必然だった。すべては揺るぎようがない、どんな偶然も関与することのない、この結果しかないことなのだと思った。運命というものの正体を、真次は確かにその目で見た。少なくとも、家族の誰ひとりとして、愛憎の法則に逆らった者はいない。家族は愛し合っていた。とりわけ、聡明な兄は誰よりも父を理解し、尊敬し、かつ愛していたのだと思った。それでも、この結末しかなかった。 

 過去に干渉できるというのは運命を変えられるということです。タイムスリップが絡むSFでは、それが行われることが多いです。しかしここで真次は、「すべては揺るぎようがない、どんな偶然も関与することのない、この結果しかないことなのだと思った」と言っています。タイムスリップを意識して書かれたであろうこの一節は、運命を変えさせまいと縛る血縁の強さを語っています。

 言い方が悪いですが兄はもう死ぬしかなかったということでしょう。何度真次がタイムスリップしても、帰ってきた現在に兄はいませんでした。

永遠に未完な時代の闇を、真次はさまよっていた。昭和三十九年の冬ーそれは一面を焼き尽くされていたあの時代から、わずか十九年しか経ってはいないのだ。風景がひどく脆弱に、心もとなく見えるのは、それらすべてが半年後に控えた壮大な復活の儀式に向かって、あわただしく準備されていたからにちがいない。すさまじい勢いで甦った世界の、どうともつなぎ合わさらぬ断層に、兄は落ちて行ったのだと思った。

 誰も悪くないと、強いて言うなら時代が悪かったと、そういうことにしたいのではないでしょうか。兄が不憫だなあと思いました。そういえば、兄の本当の父親は全く登場しなかったですね。

みち子との禁じられた恋

 みち子と真次の隠された因縁。予想外の展開に驚きました。なんという運命。なんという巡り合わせ。こんな真実を知らずして、二人は出会っていたとは。しかし釈然としない一説があります。

みち子は真次の母の希いを、まるで姑の意思に従う嫁のように、忍耐づよく守り続けたにちがいなかった。夜ごと来るはずのない男の食膳をあつらえ、泣きながらそれを捨て、そして真次に対しては常に冷淡な、倦み果てた女の仮面を被り続けてきたのだった。愛の言葉を封印されたまま二人の因果を知ったみち子の狂おしさを思うと、真次にはもう何ひとつとして口にする言葉が思い浮かばなかった。 

 一方的にみち子は知っているでしょうが、みち子は真次の母とは面識がないはずです。上の文はみち子が背負った非常に哀しい運命を解説するものですが、なぜみち子が真次の母の願いを守り続けたと書いてあるのか僕にはわかりません。きっとどこかで伏線を読み落としたのかな。

 みち子と母の感動的な会話シーンもちょっと腑に落ちない。

おかあさんとこの人とを、秤にかけてもいいですか。私を産んでくれたおかあさんの幸せと、私を愛したこの人の幸せの、どっちかを選べって言われたら…

 みち子は「天秤にかけてもいいか」と実の母に問います。真次を選ぶことが母を捨てることに直接つながるのでしょうか。みち子と真次が腹違いの兄弟であることを知りながら一緒になることは、自らの血を捨てるということであって、それがつまり母への裏切りということになるのでしょうか。よくわかりません。

あのね、お嬢さん。親っていうのは、自分の幸せを子どもに望んだりはしないものよ。そんなこと決まってるさ。好きな人を幸せにしてやりな。

 これは名セリフではあるのですが、上で疑問がいっぱい浮かんだ僕にはあまり刺さりませんでした。真次にはきっぱりとした態度をとっていたみち子ですが、やっぱり真次のことをあきらめきれなくて、禁じられた恋に突き進もうかと迷っていたということですかね。うーん。なんか納得できないな。

何のためのタイムスリップだったのか

 最大の疑問はこれ。誰がなんのために、真次をタイムスリップさせたのか。大抵、こういう話には事件の黒幕がいて、そいつの望むように主人公は踊らされますよね。でも、この物語ではそいつの正体は明示されませんでした。まるで自然現象かのようにタイムスリップが扱われています。

 怪しいのはやはり「のっぺい」ですかね。

病床で、あの方の人生を知りたいといちずに念じておったら、すべて知ることができた。ふしぎなこともあるものだー君も、みてきたのだろう?

 のっぺいもタイムスリップして小沼佐吉の生涯を追憶してきたようです。でも、この言い方だとのっぺいが真次のタイムスリップを操っていたわけではなさそうですね。僕は序盤に登場したこの一節が気になっています。

時間というものの蓋然性について考える。母を見るにつけ、時間というものはそれほど絶対的に、着実に流れているとは思えない。記憶という暗い流れの中で、孤独な人間を乗せて行きつ戻りつしている小舟が、時間というものの状態だと、真次は思った。だから正確には、時間を共有している人間などひとりもいないのだ。 

 時間というものは、実は他人と共有できる絶対的な軸ではない。誰もが記憶という流れの中を自由自在に行ったり来たりできる。それをたまたま真次とのっぺいは経験しただけ・・・。エキセントリックですね。とてもじゃないけど時間の概念をぶち壊す物語ではない気がしますが、なんだかここが引っかかっているのです。考え過ぎかな。

 兄と愛人の悲しすぎる運命を知って、うちひしがれるかと思いきやちょっとだけ元気になる真次。父のたくましい姿を知ったからでしょうか。

たちまち真次は、この数日間に見てきた小沼佐吉の肖像を胸の中に並べた。それは、おびただしい苦労のひとつひとつが、克明に相をなした男の顔だった。そしておそらく、有史以来もっとも過酷な時代を生き残った男の顔だ。父はいつでも時代に立ち向かってきたのだと思った。 

 地下鉄が走るように、父が生き抜いてきたように、自分も一生懸命生きようと。そんなことを思ったのでしょうか。佐吉と真次はさんざん似ていると書かれていますから、思考回路の根本は大体同じだったりして。こういう風に父の人生を直接見る機会があったら、みなさんは何を考えると思いますか。なにか嫌なところがある父であっても許せる気分になるでしょうか。想像つかないですね。

 

 

 

 こちらは 浅田次郎さんが直木賞を受賞した作品。珠玉の名作短編集でした。