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【エリート女性はなぜ堕ちたか】書評:グロテスク/桐野夏生

グロテスク〈上〉 (文春文庫)

グロテスク〈上〉 (文春文庫)

 
グロテスク〈下〉 (文春文庫)

グロテスク〈下〉 (文春文庫)

 

概要

 1997年に起きた東電OL殺人事件を下敷きにした長編小説。孤独を抱える4人の女性の生涯を描き、彼女たちの心の闇に迫ります。 

おすすめポイント

 タイトルから分かる通り、最初から最後まで重くて、暗いお話です。後半は鬼気迫るものを感じるほど凄まじい展開に。万人におすすめできる面白さを持った作品ではないですが、強く印象に残る一冊になると思います。

感想

 東電OL殺人事件の名前は聞いたことがありましたが、詳細は知りませんでした。知っていたほうが面白く読めたでしょうね。

 東電OL殺人事件を調べてみると、話題を集めそうなポイントが多数見つかります。その中でこの「グロテスク」が焦点を当てているのが、被害者の心理状態です。日本を代表する有名企業のエリート社員だった被害者女性は、夜な夜な売春行為を行っていました。しかもそのやり方は、相手を選ばず通りかかった男性に声をかけていくという最も原始的なもの。なぜ彼女はそんなことを続けていたのかと話題になりました。この作品は謎に包まれた被害者の心の闇を徹底的に突き詰めています。

 「グロテスク」の主要人物は4人の女性です。そのうち、東電OLと同じ運命をたどるのが佐藤和恵。和恵の気持ちにどれぐらい共感を覚えるかで、この物語を読み終わったときの感想はまったく違ったものになるはずです。文庫版の解説の斎藤美奈子さんは「爽快な読後感」と書いていましたが、僕には到底そうは思えませんでした。

 読書メーターの感想を眺めていると、和恵に共感できたという趣旨のコメントを残している人は女性が多い印象を受けます。なぜ男女で差ができるのかはわかりません。きっと根深い問題をはらんでいるのだと想像しますが、それを語るすべを僕は持ちません。僕の目線で気になったポイントを書いていこうと思います。

究極のスクールカースト

 序盤の舞台は和恵の高校時代。この時期の和恵には、僕も少し共感を覚える部分があります。和恵が入学したのは慶応義塾大学の高等部を模したQ女子高。そこでは初等部や中等部から進学してきた内部生と、高校から入学してきた外部生の間に歴然とした差があります。

 今までスクールカーストを扱った作品をいくつか読みましたが、ここで描かれているカーストはまさに格差です。富める者とそうではない者の差は、他のなにをもってしても変えられません。ひどい苛めがあるわけではないのですが、持たざる者は越えられない壁を前に絶望するしかありません。

和恵もそうでしたが、外部から来て内部生を真似して装う生徒には余裕というものがありませんでした。内部生が発散する富の淫らさが決定的に欠けていたのです。富というのは、常に過剰を生むものです。だからこそ自由で淫らなのです。それは、だらだらと内部から自然にこぼれ溢れるものなのです。その淫らさは、たとえ外見が平凡でも、その生徒を特別な存在に仕立て上げることができるのです。豊かな生徒は、皆淫らで享楽的な表情をしていました。わたしはQ女子高で富の本質を学んだのだと思います。 

 しかし和恵は鈍感でした。今まで愚直な努力で栄光を勝ち取ってきた彼女は、高校でも努力すれば成功できると信じてやまない、素直な女子高生でした。素直すぎたのです。なりふり構わず努力し、なんとか周りに認められたいと必死になる和恵。それを遠巻きに笑うクラスメイト。

 今思えば、もはやこの時点から運命が動き出していたのでしょう。絶対的な格差に気づかず、報われない努力を続けた和恵。高校生のときは努力することに夢中になっていましたが、その努力で彼女が得たものは後年の彼女の心の平穏を保ってはくれませんでした。全国の努力家を揺さぶる命題が読者に突きつけられます。「僕らはなんのためにがんばるのか」。

実は、僕は学校で真実を教えてこなかっただけどなく、別の「錨」を心に埋め込んでしまったのではないかと心配でならないのです。それは他人よりも優れる、という絶対的な価値観でした。それが本当の意味でのマインドコントロールなのかもしれないと僕は恐れるのです。なぜなら、努力しても報われない生徒は、「錨」の存在に一生苦しめられるからなのです。

 これは後半でQ女子高の先生が語る一節です。努力が価値を発揮する大前提として、他人よりも優れることが正しいという価値観があります。僕は努力の正しさを盲目的に信じていたのだと衝撃を受けました。そもそも、他人よりも優れていなければならないという決まりなどないではありませんか。僕や佐藤和恵の頭の中にはそれが「錨」として埋め込まれてしまっています。その錨が役にたつこともあるでしょうが、重荷になることもある。錨に潰されそうになっている若者は一定数存在する思うのです。彼らを救うことはできるでしょうか。弱者として切り捨てるしかないのでしょうか。 

チャンの上申書の意味

 話は打って変わり、下巻の前半は和恵を殺した容疑で裁判にかけられているチャンという中国人の上申書が占めています。彼が中国の田舎に生まれたところから始まり、日本に渡ってきて以降の生活までを語る身の上話を読むことになります。

 中国の貧しい農村部に生まれた者の、過酷な運命を知りました。真実かどうかは定かではないですが、こういう側面はきっとあったのだと思います。感動さえ覚えました。凄まじい状況に直面し、歯を食いしばって生きている人たちがいるのだと。こんなハングリー精神を持っている人が何億人といる国に、日本が勝てるわけないよなと思いました。

 しかし、この上申書の大部分は嘘だったと後に明かされ、一体なんだったんだと唖然としました。この上申書にわざわざ紙面を割いていたのはなぜだろうという疑問でいっぱいになりました。

 平然と嘘をつくような極悪人に和恵は殺されました。それを印象付けるために、涙を誘うような上申書を見せておいて、その内容が虚偽であったと暴露させた、という考えがまず浮かびます。

 しかし別の考え方もできます。チャンの話が嘘であったとしても、中国の格差はきっと事実。生まれた場所で一生が決まるような理不尽な格差は、和恵が苦しんだ高校時代のスクールカーストを思い起こさせます。ある面では、チャンと和恵は共通の苦しみを抱えて生きていた、そう考えることもできるのではないかなと思いました。引き寄せあってしまったというわけです。

真の怪物の誕生

 下巻の中盤からラストにかけて、和恵が二重生活をしていたころの手記という形式で物語が進みます。だんだんおかしくなっていく和恵の様子に、恐怖を覚えました。本人は冷静のつもりでも言動は常軌を逸していて、読んでいてこちらがおかしくなりそうでした。

 この物語の4人の主要登場人物は、誰もが怪物だと言われます(僕は和恵に特に興味を持ったので他の人物には言及しません)。その中でも、和恵は正真正銘の化け物だと思いました。フィクションであることはわかっていましたが、ここまで人間は堕ちることができるのかと衝撃を受けました。何故エリート社員が売春などしていたのかという問いが立てられるわけですが、僕の中ではその答えは簡単で、頭がおかしくなったから。そうとしか答えられません。

 しかし、身を売るという行為について、深く言及がなされていました。そこをもう少し深く理解できれば、僕の解釈も変わってくるのだろうとは思いますが、それを僕が理解することは非常に難しく感じます。

「この世でどうして女だけがうまく生きられないのか、わからないわ」「簡単よ。妄想を持てないから」ユリコは甲高い声で笑った。「妄想を持てば生きられるの」「もう遅いわよ、和恵さん」「そうかしら」あたしの妄想は会社という現実で擦り切れた。

 僕にとってこの「グロテスク」という小説は、女性の社会的な立場が生んだ悲劇としか捉えられませんでした。女性だけがうまく生きられない。この和恵の叫びは切実だなと。彼女をどうにかして救う手立てはなかったのかと考えてしまうのですが、和恵はそれを望んでいなかったのかもしれません。僕の理解の範疇を超えた深いところにも何かがあるのは分かるのですが、今はその正体を見極められませんでした。

 

 

 今まで「女性であること」を主題にした小説をいくつか読んできましたが、その度に消化不良だった気がします。当然といえば当然なのですが。

 

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