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【多数の謎と重き問い】書評:世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド/村上春樹

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

 

概要

「世界の終わり」と「ハードボイルドワンダーランド」という2つの世界で起きる物語が交互に進んでいく物語です。2つの世界はどのような関わりを持っているのか、というところを軸に話が進んでいきます。

おすすめポイント

 現実世界に近いけど、ありえない話が展開されるという村上春樹さんらしい物語になっていて、彼の独特の文章にどっぷり浸れる作品になっています。そして、最後に読者に投げかけられる問いは重く、うーんと唸ってしまうラストでした。

感想

 他の村上春樹さんの作品でもたまに見られることですが、物語に出てくる主要な要素が説明されぬまま、どんどん物語が進行していく作品でした。読者は頭の中に疑問符をいっぱい抱えたまま、展開される物語についていくことになるのです。

 このお話で出てくる疑問点の中には、主人公はわかっている風だけど読者にはわからないものもあれば、主人公もわかっておらず一緒に悩むものもあります。その中には、物語の根幹を成していて、この物語が読者に問いかけていることに繋がっているものと、そうではないものがあります。

 後者の例で言えば、物語冒頭の「ものすごくゆっくり動くエレベーター」。あれは結局物語の主要な要素ではありませんでした。でも結局なんであんなに詳しく描写がなされて、なんであんなにゆっくり動いていたかはわからぬままでした。

 前者の疑問点はぜひ解決したいと思うものの、明確な答えがあるわけではないものばかり。ここに書きなぐって、書き散らかしておくことで、いつか解決の糸口がつかめればいいなと思います。

1.主人公はどんな人間なのか

 一般的に、小説の主人公というものは、その人物が育ってきたバックボーンや現在抱えている悩みが読者に共有されるものであり、読者は主人公と一緒に物語を乗り切っていくことになります。しかし、この作品では主人公がどんな人間なのかがイマイチわかりません。

 主人公は、自分の心の中に殻を持っていて、それに閉じこもっている人間だと言う描写がたびたび出てきます。その原因は、過去に非常に悲しい体験をしたのがきっかけになっていることがほのめかされますが、それがなんなのかは提示されません。

 しかしその心の殻があったからこそ彼は博士の施した脳実験に耐えることができ、それが「世界の終わり」に繋がっています。物語の「起」となる部分がすでに読者にはあきらかにされないと同時に、主人公の過去に同情し共感することができないので、彼の抱える心の闇が理解できませんし、彼の感情の動きを深く理解することもできません。

 主人公は、僕ら読者と同じような存在として描かれているのでしょうか。それとも、特別な能力を持つがゆえに悩んでいる存在、スーパーマンのような存在として描かれているのでしょうか。その距離感がいまいち掴めぬまま、中途半端に彼を理解したまま、この本を読み終えてしまったのでした。

 2.「世界の終わり」の世界はなんなのか

 なぜこの精神世界があるか、ということは、複雑な脳の実験の成果物だということで百歩譲って理解できるとしましょう。しかし、この世界は現実世界とどの程度かかわりを持ったものなのでしょうか。

 たとえば、物語の大きなカギを握る、世界の終わりに住んでいる図書館の女の子。彼女は現実世界の誰かにに対応しているのかそうではないのかというのは、この物語を男性と女性の物語として分析するときに重要な問いになってくると思います。

 現実世界でとっても思い入れの強い女性だったからこそ、それが精神世界にも反映されている。そのように考えるのが自然だと思います。しかし、この精神世界はこの物語が始まる前にすでに形成されているものであって、この物語の中で出会うことになる女性、太った娘や大食いの図書館の受付嬢とは何のかかわりもないかもしれない。

 また、夢読みとは結局どのような行為だったのか、手風琴がなぜ鍵だったのか、なぜ精神世界には歌がないのか。カギを握っていそうなこれらの点について、明確な答えを出せるものは1つもありません。

3. なぜ主人公は精神世界に残ることに決めたのか

 物語の中で最大の疑問はこれでしょう。この物語はこの決断を描くために構成されているといっても過言ではないと思います。丁寧に紡いできた物語は、最後のこの決断に収束します。

 なんとなく、この主人公ならこういう決断をするだろうな、と思わされてしまうのが村上春樹さんのスゴイところだとは思います。でも、じゃあ主人公の心の動きが正確に理解できるかと言われるとそうではない。彼の持つ公正さがこの決断に導いたというのは簡単ですが、果たしてそれだけなのでしょうか。

 現実世界に戻れば、自分を想ってくれている女性が少なくとも二人いて、彼の大好きな穏やかな世界が待っている。しかし、精神世界の彼は、辛く険しい道を選ぶ。彼が作った世界だから自分で責任を取らねばならない。そんな決断ができるでしょうか。

4.博士は許され、主人公は救われないのか

 この物語の最大の問いかけである3を見た後に、一歩引いてこの作品の全景を眺めると、そもそも主人公をこのような辛い立場に追いやった博士は悪者としては描かれていないということに気づきます。彼はのうのうと逃げおおせて、新しい地で研究を再開しています。

 一方の主人公は、深い哀しみの中で現実世界に別れを告げることになりますが、彼は何も悪いことをしていないのになぜそのような仕打ちを受けねばならなかったのでしょうか。最後の彼の嘆きの言葉には胸に来るものがあります。彼に救いはないのでしょうか。

私はこの世界から消え去りたくはなかった。目を閉じると私は自分の心の揺らぎをはっきりと感じとることができた。それは哀しみや孤独感を超えた、私自身の存在を根底から揺り動かすような深く大きいうねりだった。そのうねりはいつまでもつづいた。私はベンチの背もたれに肘をついて、そのうねりに耐えた。誰も私を助けてはくれなかった。誰にも私を救うことはできないのだ。

 彼は精神世界に閉じ込められることで救われるでしょうか。心をなくしてしまった女性とともに暮らして、幸せになれるでしょうか。僕にはそうは思えません。でも、主人公はその道を確かな覚悟で選び取っていく。静かですが衝撃的なラストでした。

 

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 下巻 (新潮文庫 む 5-5)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 下巻 (新潮文庫 む 5-5)

 

 

 

 

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