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【すべてのクリエイターに贈る】書評:スロウハイツの神様/辻村深月

スロウハイツの神様(上) (講談社文庫)

スロウハイツの神様(上) (講談社文庫)

 

概要

 5人の視点から描かれる群像劇形式の物語です。彼らは漫画家、画家、脚本家などの創作活動で生計を立てていくことを目指し、互いに切磋琢磨しながらスロウハイツでの共同生活を営んでいます。何人もの著名漫画家が暮らしていたトキワ荘のように。

おすすめポイント

 様々なジャンルのクリエイターの卵たちが奮闘する物語。創作活動をするすべての人に刺さる物語だと思います。伏線が回収されるクライマックスは温かな感動に包まれて泣けます。

感想

 全編を通してみると、これは赤羽環の物語だったのかなと思いました。気にくわないことがあると正しく怒る強い女性。決して弱音を吐かず、凄まじい量の仕事を抱え込み、倒れるまで仕事をしてしまう頑張り屋。彼女がどういう人間なのか、いかにしてこのような個性を持つに至ったかを、スロウハイツの住人たちとの触れ合いのなかで描いていきます。

 かつてスロウハイツから出ていった漫画家の卵、エンヤ。環と対等になれたら戻ってくるとの言葉を残して出ていく彼を、環はよく思わない。

「誰かと対等になりたいなんて、声に出して言っちゃいけないの。美学と意地をモチベーションにして描きたいならそれは絶対だよ。私は口が裂けても言わない。言った瞬間から、自分の身勝手な事情に相手を巻き込むことになる。まして、それを見せるなんてなおのことダメだ。かっこ悪い」

 「あの人のようになりたい」という想いは、モチベーションを保つ原動力になり得ると思います。ただ、それを本人に向かって宣言してしまうのはカッコ悪いことなのかもしれません。言われた相手にとっても、迷惑になり得る。自分の心の中だけで留めておくべし。面白い考え方だなと思います。

 環と対等になりたいと願いスロウハイツを出ていったエンヤは、環と同じような想いで創作をすることはできないと悟ります。そこに環の強さの原点があり、環の背負っている哀しさも垣間見えます。

環のように自分がなれないのだと、徹底的に狩野が自覚するのは、この記憶が自分を縛っているからだ。環はスティグマを持っている。思い出せばいつでも血を流すことができる怒りの感情、相手を許さないという決意。

そんな彼女を見て、真似ができないとエンヤは悟った。そしてそれは、彼には怒りの記憶が、血を流すための傷跡がないからだ。それさえあるなら、彼は彼女と同様のやり方を模索できたかもしれない。けれど狩野は違う。自分には傷跡が、とっくの昔からあるのだ。けれど、そこからはもう血が流れない。いい奴ぶるわけでは断じてない。だけど、狩野は許してしまっている。彼らにもう興味がなく、怒りで繋がれない。 

 環は自分の母親に対してすさまじい怒りの感情を持っています。そう思っても当然のひどいことをされたわけですが、その怒りをいつまでも忘れず、創作活動に昇華していきます。

 エンヤにはそのような激しい体験がありません。それは幸福なことではあるのですが、環と同じ方法で創作活動を行っていくことができない、つまり同じやり方で対等にはなれないことを示しています。

 一方で、漫画家を目指す狩野には、幼少期にいじめられた経験があり、環と同種の傷跡を負っています。しかし狩野も環と同様の方法は採れません。もうその経験に対して怒りの感情が枯渇してしまっていて、原動力にならないからです。

 クリエイターは自身の経験から創作物を生み出していくとよく言われます。自分は3人のなかで誰に近いでしょうか。

 僕は今の仕事を選ぶときに、当時の指導教官に猛反対され、最後は笑われました。そんな仕事でやっていけるのかと。あのときの悔しさは忘れていません。仕事がつらいと思ったときに、折れそうになる自分の心を無理やり奮い立たせる燃料の1つになっています。負の感情がモチベーションになるなんて、健全ではないのかもしれません。しかし、綺麗ごとだけ言っていても始まらないのですね。

 

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 環の物語がオモテ面だとしたら、そのウラ面にはチヨダコーキの物語があります。ラストはこのウラオモテの全容が明らかになる仕掛けでした。

 凄惨な事件を引き起こしてしまい、筆を折りかけた天才小説家チヨダコーキ。彼がいかにして復活をしたかというストーリーは、実は環がいかにして環になったのかを語る物語の裏側に存在していました。

 環のいまを形作った出来事により、コーキは環に救われていました。この二人の物語は、実は序盤からたくさんの伏線が張られていました。片側からだけ見たら、この物語の全容は全く分からないのです。

 丁寧に伏線を拾っていくその過程には、胸に染み渡る温かな感動がありました。素敵な物語だったなと思います。

 物語の途中で登場する写真家「芹沢光」は、「凍りのクジラ」の主人公ですね。ちょっとしたゆるい繋がりが連鎖する辻村深月ワールドでした。

  

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A. 誰にでもおすすめできる/是非読んで欲しい作品

B. 大多数の人が面白いと思うはず/この作家さんが好きなら絶対読むべき作品 

 

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 辻村深月さんは大好きな作家さんの一人です。

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