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【アル中地獄と生きる道】書評:今夜、すべてのバーで/中島らも

今夜、すベてのバーで (講談社文庫)

今夜、すベてのバーで (講談社文庫)

 

概要

 中島らもさんが吉川英治文学新人賞を受賞した作品です。おそらく作者の実体験が下敷きになっています。主人公の小島がアルコール依存症治療を受ける様子を描いています。

おすすめポイント

 アルコール依存症に関して入念な下調べがなされており、勉強になる一冊。しかし決して堅苦しくはなく、ひょうひょうとした性格の小島と、周りの個性的な人物が織りなす笑いあり涙ありの物語です。お酒に関する名言のオンパレードで、是非色んな人に読んで貰いたいと思える作品です。Aランクに入れます。

感想

 主人公の小島が病院に入院するところからスタートするこの物語。最初はどんな方向に転がっていくのか見当がつきませんでした。 

 この作品はアルコール依存との戦いを描いた作品です。設定だけ聞くと地味なのですが、素晴らしい文章に引き込まれました。アルコール依存とはいかなるものか、その治療法はどんなものなのか、そして何故人間はお酒に依存してしまうのか。おそらく作者の体験を下敷きにしたであろうこの物語からは、強い説得力を感じます。言葉のひとつひとつがずしりと重みを持っている一方で、ウィットに富む軽やかさがあり、すんなりと頭に浸透してきます。

アルコール中毒の原因

 アルコール依存症はお酒が切れると手が震えだす人のことを言うのだろうか、ぐらいの程度の知識しかない状態で読み始めました。自分が無知だったことを思い知らされました。この作品に出てくるアル中の患者は四六時中お酒を飲んでいる連続飲酒の状態に陥ったり、お酒を飲まないと肉体的にも精神的にもやってられない状態になっています。そこまで人は追いつめられるのだなと衝撃を受けました。

 なぜ、そんな状態になるまで飲んでしまうのか。キーワードは「時間」です。

退屈がないところにアルコールがはいり込むすき間はない。アルコールは空白の時間を嗅ぎ当てると迷わずそこにすべり込んでくる。

アル中の要因は、あり余る「時間」だ。国の保障が行き届いていることがかえって皮肉な結果をもたらしていることになる。日本でもコンピュータの導入などによって労働時間は大きく短縮されてくる。平均寿命の伸びと停年の落差も膨大な「空白の時間」を生む。「教養」のない人間には酒を飲むことくらいしか残されていない。「教養」とは学歴のことではなく、「一人の時間をつぶせる技術」のことでもある。 

 一人の時間をつぶせる技術を持たない人間が酒の誘惑に負けた時、アルコール依存への扉が開きます。逆に日々忙しくしている人間は、アルコールと関わることがあっても依存症にはなりません。自分の時間をどのようにコントロールしているかが問われているのだなと思います。

何かに依存してしまう人たち

 依存を引き起こすのはアルコールだけではありません。タバコやドラッグも引き合いに出されます。それらの間にさして大きな違いがあるわけではなく、日本ではお酒が簡単に手に入りすぎるから、アル中が非常に多いのだとか。

おそらくは百年たってから今の日本の法律や現状を研究する人は、理不尽さに首をひねるにちがいない。タバコや酒を巨大メディアをあげて広告する一方で、マリファナを禁じて、年間大量の人間を犯罪者に仕立てている。昔のヨーロッパではコーヒーを禁制にして、違反者をギロチンにかけた奴がいたが、それに似たナンセンスだ。まあ、いつの時代でも国家や権力のやることはデタラメだ。 

 マリファナをはじめとした禁止薬物の方が、アルコールより身体的被害が少ない場合もあるそうです。しかしお酒とタバコの既得権益がのさばりきってしまったこの日本では、この状態を覆すのは容易ではないでしょう。大手を振って陳列されているからといって、安全なわけではないのですね。

 アルコールにしろ薬物にしろ、依存症になる人は依存症になります。そのメカニズムも考察されています。主人公の小島曰く、みじめな現実を直視できるか否か。依存症になってしまう人間とならない人間との分かれ道がそこにあります。

「みじめな状態でいるよりは意識を失っていたほうがマシ」・・・か。みじめな人間がすべてジャンキーになるのだったら、世界中にシラフの人間は一人もいなくなるだろう。同じ苦痛を引き受けて生きていても、中毒になる人間とならない人間がいる。幸か不幸か、なにかの依存症になってしまった人間が、一番言うべきでないのが、プレスリーの台詞なのではないか。中毒におちいった原因を自分の中で分析するのはけっこうだが、"みじめだから中毒になりました"というのを他人さまに泣き言のように言ったって、それは通らない。それでは、みじめでなおかつ中毒にならない人に申し訳がたたない。"私のことをわかってくれ"という権利など、この世の誰にもないのだ。

 自分がみじめであるという現実を突きつけられたとき、目をそらすために酒をあおって酩酊する。ドラッグを吸って昏倒する。一度そちらの道に踏み出してしまったら、身体的な依存性も相まって抜けられなくなるのではないでしょうか。いくらお酒が手軽に手に入るからといって、そのような使い方をしだしてしまうと、アルコールは僕らを地獄へと引きずり込むのでしょう。直視するのがつらいほどの現実が僕に降りかかってくる可能性は低くないと思います。そんなとき自分がどうするか。どうなってしまうのか。考え出すとちょっと怖くありませんか。

アル中の呪縛からの脱出

 小島は自分自身が弱い人間だと自覚しています。わかっていても、お酒からは逃れられません。逆に嫌というほど自覚しているからこそ、逃げるのが難しいのかもしれません。一体どうすればいいのだろうと暗澹たる気持ちになるのですが、幸運にも小島の周りには未来を示してくれる人物がいます。

 同室の綾瀬君の死と、赤河医師との対話がひとつのきっかけになっているような気がします。未来ある若者の命が小島のすぐ近くで呆気無く奪われました。

子供なんてのは、人生の中で一番つまらないことをさせられてるんだからな。私だって十七までに面白いことなんか何ひとつなかった。面白いのは大人になってからだ。ほんとに怒るのも、ほんとに笑うのも、大人にしかできないことだ。なぜなら、大人にならないと、ものごとは見えないからだ。小学生には、壁の棚の上に何がのっかってるかなんて見えないじゃないか。そうだろ? 

 叶えたい夢を胸に秘めた才能あふれる若者が亡くなり、いい年こいたおっさんアル中が生き残るこの世界。これも直視しなければならない現実。

 小島にとっての希望は天童児はるかの存在ひとつです。彼女は強い方の人間です。まったくもって小島に同情してくれません。

生きよう生きようとしてても、たとえば雷が落ちてきて死ぬかもしれない。でも、それはあたしにとっては正しい、そうあるべき死に方だから文句は言わないわ。あたしは、自分とおんなじ人たち、生きようとしてても運悪く死んでしまう人たちの中で生きたいの。生きる意志を杖にして歩いていく人たちの流れの中にいて、そんな人たちのためだけに泣いたり笑ったりしたいの。だから、思い出になってまで生き続けるために、死をたぐり寄せる人たちと関わりたくないわ。そんな時間はないんですもの。

 死を自らたぐり寄せるかのようにお酒を飲み続けた小島に対して、はるかは一切同情しません。でも、アル中にはこのぐらいがちょうどいい。冷たいと思うぐらい突き放してくれたほうがいい。そうするべきなのだと思います。小島ははるかの側に行かなければならないのです。アル中のサイドにいては、結局またアルコールに依存する生活が始まってしまう。必死にはるかのそばにいようと努力しているときのみ、アルコールの呪縛から小島は解放されるのだと思います。そこに、この作品の救いがあるのではないかと思いました。

 

 

お酒つながりでバーが舞台の小説を紹介しておきます。こちらも面白かったです。

 

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