ネットワーク的読書 理系大学院卒がおすすめの本を紹介します

本と本の意外な「つながり」ってありますよね

【異世界医療が紡ぐ命の物語】書評:鹿の王/上橋 菜穂子

鹿の王 1 (角川文庫)

鹿の王 1 (角川文庫)

 

概要

 2015年本屋大賞第1位、そして第4回日本医療小説大賞を受賞した作品です。ファンタジー世界を舞台にした医療小説という異色の設定なのですが、丁寧に語られる物語にとっつきにくさは全くありません。

おすすめポイント

 恐ろしい感染症と対峙する人々の思惑を描く中で、「命」という究極のテーマに迫っていく壮大な作品です。老いや病が原因となり人はいつか死んでしまうという絶対的な事実を前にしても、勇敢に進んでいく人々に勇気づけられます。

感想(ここからネタバレします)

国家と身体

 様々な要素が組み合わされ、大長編となっている作品です。どこから感想を書いていこうかととっかかりを探していたのですが、あとがきで上橋さん自身が書いていた、この作品が書かれることになったきっかけから追っていくのが良さそうです。

『破壊する創造者』という、生物進化論の本です。人の身体を侵す敵であるウイルスが、時として、身体を変化させる役割を担う共生体としてふるまうことがあるのではないかという発想から、様々な事象を検証していく内容で、(略)

 人間の体の中には様々な菌類が住み着き、ときにはウイルスに侵入され、それを追い払う白血球などが生成されたりしています。私たちの身体は単一の生命体として存在しているようでミクロの世界ではベクトルの異なる生命活動がぶつかり合って、絶妙な均衡の上に成り立っています。

身体も国も、ひとかたまりの何かであるような気がするが、実はそうではないのだろう。雑多な小さな命が寄り集まり、そそれぞれの命を生きながら、いつしか渾然一体となって、ひとつの大きな命をつないでいるだけなのだ。
そういう大きなー多分、この世のはじまりのときに神々がその指で紡ぎ出したー理の中に、我々は生まれ、そして、消えていく。
小さな泡のような、一瞬の生。

 異なる人種の人間が住み着き、主義や思想もバラバラで、各々がそれぞれの生活を守るために寄り集まっている国家と、構造は同じなのではないか。そういうミクロとマクロの共通点を下敷きにして、この本の大枠が形作られているのだと私は解釈しました。

 そして、そんなバラバラな個である人間の代表として、全く共通点のない2人の主人公が、1つの病を通じて運命的な邂逅を果たします。彼らも私たちと全く同じように、「小さな泡のような、一瞬の生」を懸命に生きようとします。その姿勢に心を打たれるものがありました。

2人の主人公

 上記の思想に沿って形作られた大枠の中で、2人の魅力的な主人公が、それぞれの使命を全うしようと命を賭して戦います。2人は真逆で、全く似ていません。物語の中で触れ合う時間も長くはありません。しかし、まぎれもなくこの2人だけが描ける、命の物語が展開されていきます。

ヴァン

 最愛の妻と子を亡くした絶望の中で、命を捨てて戦っていた戦士。病で生き残ってしまった者。

 彼はすべてを諦めた人です。でも、再び見つけてしまった人でもあります。愛する人と、かけがえのない命の繋がりをもう一度手に入れてしまいました。それゆえに彼は悩むのですが、立派に前に進んでいく心意気が本当に素敵な人だなと思いました。

(病に命を奪われることを、あしらめてよいのは)
あきらめて受け入れる他に、為すすべのない者だけだ。
他者の命が奪われることを見過ごしてよいのは、たすけるすべを持たぬ者だけだ。
閉じた瞼の闇に、小さな鹿が跳ねるのが見えた気がした。渾身の力をこめて跳ね上がるたびに、命が弾けて光っていた。
(・・・踊る鹿よ、輝け)
圧倒的な闇に挑み、跳ね踊る小さな鹿よ、輝け。

 タイトルにもなっている「鹿の王」という言葉の意味には驚きました。犬を操る「犬の王」なる者が現れたので、「鹿の王」は鹿を操る人のことなのかなと思って読み進めていたのですが、答えは真逆。群れのために、命を投げ出す者。傍からみると命知らずの大バカ者。

 ヴァンのように、本当に命の大切さを知っていて、それでいて諦めを心の内に秘めている者。そんな存在だけが「鹿の王」になれる、なってしまう。それはある意味悲しいことです。しかし完全な悲劇ではなく、敬意を払われるべき、素晴らしき犠牲としてヴァンは「鹿の王」になります。この塩梅、すべてを読まないとなかなか伝えられないなと思いました。

ホッサル

 医術の探究者。高貴なる若者。傲慢の中に光る優しさ。医術のすべてを解き明かそうと理想に燃える若者。それでいて、たくさんの人の生死を見つめた結果、やはりどこかに諦めを悟った人でもあります。

病が神の手であり、死が在ることの意味を見せてくれているとしても、なお、そんな冷たい世界の中で、ちっぽけな命として生きていかねばならないのが人なのだ。
(その哀しみをーどうしようもない哀しみを背負って、それでも、もがいている者の手助けをするために、おれは医術師になったのだ)
滔々と流れる大河の中で、浮き沈みしながら、ようやく生きている小さな命をたすけるために、医術師になったのだ。

 助けられない命があることを彼は知っています。それでも、もがいている人を救いたいと医術の道を究めようとするその姿勢は、命というものに対してとても真摯です。

 清心教という、医術をある種の呪術と解釈し、非科学的な治療を行っている人たちとホッサルは対立をしています。ただ、病から回復する者とそうでない者の差を見つめれば見つめるほど、ホッサルの思想の中にも清心教的な考え方が含まれていることに気づきます。「病は神の手」であり、100%の制御はできないと知りながら、懸命に生きる人をホッサルは治療するのです。

ラスト

 森の中に消えてしまったヴァンを、みんなで追いかけようと決意し、物語は途切れます。見つけるところまで見せてほしいという寂しさはあるのですが、ユナとサエがいれば絶対にヴァンを見つけてくれるという安心感もあります。民族やしがらみを越えた、愛ゆえの行為に、胸が熱くなります。

 ホッサルはこの物語の中で起きたことを振り返り、以下のように思いを吐き出します。

(生き物はみな、病の種を身に潜ませて生きている)
生の中には、必ず死が潜んでいる。
(それでも、そうして生きるしかない。かぼそい命の糸を切られてしまわぬように、懸命に糸をつなぎ直しながら)
生まれて、消えるまでの間を、哀しみと喜びで満たしながら。
ときに、他者に手をさしのべ、そして、また、自分も他者の温かい手で救われて、命の糸を紡いでいくのだ。

 なんと冷静で、なんと温かい生命観でしょうか。「鹿の王」という大長編が、徹底して命の有り方について書かれているからこそ、この言葉はとても染みます。人間は脆いものです。病には勝てません。必ず老いて死ぬその定めのなかで、他者の命の糸を繋ぎ、自分の糸を繋ぎなおしてもらいながら、一緒に生きていくのです。永遠でないこの一瞬の命を、いかにして生きてゆけばよいか、ヒントをもらった気分になりました。

著者あとがき

 あとがきの中で上橋さんは、この作品の執筆中にご自身の母親を看取ったことを書かれていました。そこを読んでいるときになぜか涙が止まらなくなってしまいました。現実の体験として、命に真正面からぶつかったからこそ、この作品中の言葉には本当に説得力がありました。

 1つの作品を通して、壮大な生命の営みの深淵に、ほんの少しだけ触れたような気がします。私のつたない言葉で書き記すことは難しい、繊細な死生観が表現された作品でした。ぜひ読んで頂きたいです。Aランクに入れておきます。

 

 

僕のオススメの本はこちらにまとめています。

A. 誰にでもおすすめできる/是非読んで欲しい作品

B. 大多数の人が面白いと思うはず/この作家さんが好きなら絶対読むべき作品 

 

上橋さんが書いた「獣の奏者」も傑作でした。

ytera22book.hatenablog.com