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【東京が魅せる夢と現実】書評:返事はいらない/宮部みゆき

返事はいらない (新潮文庫)

返事はいらない (新潮文庫)

 

概要

 宮部みゆきさんの初期の短篇集。直前に書かれた「龍は眠る」に続き連続で直木賞の候補になりました。

おすすめポイント

 お話の着地点を予想させないドキドキ感、含蓄に富んだセリフ、そして爽やかな読後感という宮部作品の好きなところを詰め込んだ短篇集でした。宮部さんファンはぜひ読むべき一冊です。

感想

 「火車」や「理由」といった宮部さんの代表的な長編につながりを感じさせる作品が多かったです。東京という街の持つ華やかさとその後ろにある闇を描き出します。出版された1992年は僕の生まれた年。少し時代を感じさせる描写も出てきますが(黒電話とか)バブルの余韻が残る中、東京に渦巻く希望と絶望が入り混じったリアルな雰囲気を感じました。

 短い物語の中にも味わい深い謎を仕込み、そのパズルをきっちりと解ききってみせる手腕が鮮やかです。しかし謎解きに終始するのではなく登場人物の内面にもしっかりとスポットを当て、味わい深いセリフがぽつっと生まれたりするのです。最後の一行まで手を抜かず、どの短編も余韻の残るあたたかいラストに仕上がっています。文句なしのできばえと言った感じ。「火車」や「理由」は面白かったですがちょっと長いなぁと感じてしまいましたし、「模倣犯」や「ソロモンの偽証」は読んでみたいのですが長くて手を出せません。そんな僕にはこの短篇集はジャストフィットでした。

 

返事はいらない

 失恋のショックから自殺を考えていた千賀子。とある老夫婦に銀行口座の不正取引に協力しないかと持ちかけられます。カンペキだった犯罪がバレるきっかけになったのが元彼の口座の暗証番号が自分の誕生日だったこと。元彼への未練が徐々に消えていく、微妙な心の移り変わりが見事に描かれています。

『あの人は、わたしにさよならを言ったんです。さよならには、返事はいりませんよね 』

 事件から何年も経って、もう一度元彼に会いたいかと千賀子が聞かれたときに答えたセリフです。ふっきれたとは明言されていないのですが、整理はできたのでしょう。さよならに返事はいらない。そんな言葉が言えるぐらいには彼への依存を断ち切ったのですね。

 

ドルシネアにようこそ

 6篇の中で一番美しいと思った作品です。東京で速記術を学ぶ主人公の伸治。毎週金曜日にあてどなく「ドルシネアで待つ」との伝言を駅に残すという寂しい趣味を持っています。六本木の格調高いディスコ「ドルシネア」にいつか行ってみたいと思いつつも、自分はその場にふさわしくないとあきらめている。ところがある日突然、その伝言に返事が返ってきて・・・。短編らしく登場人物が意外な形で絡んだドラマが作られています。

 「火車」でテーマになっていたカード破産の一歩手前の状態の女性が登場します

『ふと、彼女が可哀想になった。地下鉄に乗ってやってきて、クレジットカードで豪遊するシンデレラ。』

 カードを使うことでお金を払っている感覚を失い、借金にまみれる女性。それを鋭く描写した詩的なワンフレーズです。宮部さんはこのテーマにはもともと関心があったのでしょう。

 ドルシネアとは「ドン・キホーテ」に出てくるお姫様の名前です。しかしそのお姫様は実は妄想の中だけで出てくる架空の人物。伸治が入店を諦めていたそのお店も、伸治が勝手に作った幻であり、経営者はいろんな人に入ってほしいと思っていた。東京という街が伸治に見せた幻の、その裏にある生身のあたたかさに触れるハートフルな物語でした。

 

言わずにおいて

 主人公聡美が深夜に土手を歩いていると、前から走ってきた車の運転手が「やっと見つけた」と叫び、ハンドル操作を誤って壁に激突。助手席の妻もろとも死亡してしまった。聡美はいったい何に巻き込まれたのか。不可解な事故の裏に隠された真実を丹念にたぐっていく物語。

 単純な男女の関係のこじれという決着ではなく、相手を思うがゆえの哀しい決意が見えてくるお話でした。練り上げられています。真相を追っていく過程で、さりげなく聡美が抱えている問題にに対してもフォローを入れてしまうあたりが宮部さんのすごいところでしょうか。きっと今の会社で働き続けるのでしょう。

 『「男はだいたい十字砲火でやられちゃうもんなのよ。酒と博打。酒と女。博打と女。借金と博打。たまに、女房と二号なんて組み合わせもあるけどさ。どっちにしろ、そういうのを全部ひとことで置き換えられちまうものなんだ。根は一つだから」「何に置き換えられるの?」「夢と現実」』

 途中で出てくるハードボイルドな掃除のおばさんがつぶやくセリフ。脇役の登場人物にも魂がやどっていますよね。男はいつも、夢と現実の十字砲火で身を滅ぼされるということは、夢を追いかけることと現実をみて堅実な暮らしをすることの両得は叶わないということでしょうかね。「東京」と明言されているわけではありませんが、息遣いを感じます。

 

聞こえていますか

 引っ越しをした新居で奇妙な体験をする少年の物語。主人公の勉は夜中に幽霊を目撃する。備え付けてあった黒電話の中には盗聴器が仕掛けられていた。いったい以前の居住者は何者だったのか。

 宮部さんお得意の、ちょっと賢い少年が主人公の物語です。勉の家の嫁姑問題を背景に据えつつ、じんわりと家族の絆をからめとって読者に突き付けてくる感じのお話です。「どうしようもないことはあるのだよ」。ついに本音を明かせなかった人の切なさが漏れ出し、締め方に余韻が残ります。

 

裏切らないで

 歩道橋から転落してひとりの若い女性が亡くなった。刑事の加賀美は女性の自宅を捜索中に大量のクレジットカードの支払督促状を見つける。借金を苦にした自殺だとの見方が強まる中、加賀美は隣人が被害者を突き落して殺したという真相を突き止める。

 この短篇集の裏に設定されたテーマのようなものを一番言語化している作品だと思います。

『だが、「東京」は幻だ。すべての人にとって、公平に幻なのだ。外から見れば、国際都市・情報都市TOKYOがあるのだろう。無限に金の稼げる都市、黄金郷東京があるのだろう。地方から見れば、夢が実り富が待ち華やかな暮らしが約束されている東京があるのだろう。だがそれは、しょせん虚像だ。外からしか見ることのできない、つかむことのできない都市。最初からどこにもない都市。そして、つかのまでもそこの住人になるためには、若くなければならない。歳をかさねたら、この都にはいられなくなるのだ。道恵も陽子も、言ってみれば「東京」に騙されたようなものなのかもしれない。「東京」に、「幸せ詐欺」をかけられたのだ。「東京」は無限に金を与えてくれる。楽しみを与えてくれる。決して裏切らないような顔をして。だが、陽子が歩道橋から突き落としたのは、彼女を裏切った「東京」だった。』

 僕は大学院を卒業したら東京で働くつもりですが、なんだか怖くなってしまいますね。宮部さんのこの「東京観」はいったいどこから生まれてきたのでしょう。何も知らない今の僕は、人生で一度は日本で最も華やかな場所「東京」で暮らしてみたいと思っています。若いころはいいのかもしれませんが、年を取るともう住めなくなってしまうと言っています。それはいったいどんな理由なのでしょうか。

 

私はついていない

 頭の切れる少年が主人公のお話ふたつめ。従姉が婚約相手にもらった指輪を借金の形にとられてしまい、大事な会食までになんとしてでも返してもらいたいと泣きついてくる。両親の結婚指輪を代役にする妙案を思いつくも、こんどは詐欺師にその指輪をとられてしまう。従姉のピンチを救えるか。

 「ドルシネアにようこそ」「裏切らないで」に続いて浪費癖のある女性(従姉)が登場。若さにものを言わせて楽しそうに生きる従姉と、それを妬んだ会社のお局様。

『職場にやって来る、ああいう頭の軽い女の子たちの面倒をみて、尻拭いをすることがあたしの天職らしいから。あたしはツイてないのよ。あの娘たちに運を食われてるのよね。苦労はみんな、押し付けられて』

 その言葉に対して、主人公はひとつの見解を示します。

『逸美姉さんは、たしかに軽いし、無責任でミーハーで浪費家だけど、それでも僕は姉さんを嫌いにはならない。だって、姉さんは、自分の人生に起こる良くないことを、他人のせいにして、被害者顔することだけはないから。』

 大人ですね。この「僕」は。「ついていない」と思ったときにどう振る舞うかで人間的魅力が垣間見えたりするもんですね。

 

最近読んだ宮部さんの作品はこの2作。