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【究極の選択を前に人は】書評:レイクサイド/東野圭吾

レイクサイド (文春文庫)

レイクサイド (文春文庫)

 

概要

 中学受験のための勉強合宿と称して別荘に集まった4人の子供とその家族、そして塾講師。その場にふいに現れた主人公俊介の愛人が殺されてしまう事件が発生。しかし殺人が起きたのにもかかわらず、警察に通報せずに死体を湖に沈めることする当事者たち。背後には何があるのか。緊迫のミステリーです。

おすすめポイント

 ずっと同じ別荘地で進んでいく暗い物語です。ときに退屈に感じてしまうかもしれませんが、ラストで待っている衝撃は大きいと思います。様々なことを考えさせられる作品でした。

感想

すべてはこのラストのために

 正直に言うと、読み進めるのはなかなか苦痛でした。僕は東野圭吾さんが好きなのですが、今回は外れを引いてしまったかなぁと思っていました。子供を思うがあまり、お受験のための猛勉強を強いる親たち。一方で顔なじみとなった夫婦の間柄にはどうも不埒な雰囲気が見えます。主人公の俊介は4組の夫婦の中で唯一、血の繋がっていない子供を持ちます。連れ子にきちんと愛情を注いでいるのかなじる妻。俊介は浮気をしていますから、そこを突かれると痛い。人間のドロドロとした部分がいたるところににじみ出ていました。

 しかしそんな鬱々とした展開はすべてがこのラストのためのお膳立てでした。このラストを描きたいがために構成された物語だったのだなぁと僕は思いました。このラストに到達するまでに、いろいろな問題提起を見つけることができます。子供に勉強を強いることの是非だとか、裏口入学のチケットを買えるチャンスがあったときどうするべきか、とか。または夫婦の愛情の形などもやり玉にあがっているのかもしれません。でも僕自身はそれらの問題に関わりがないので実感として掴むことができません。僕が感じたのはただ一点。究極の選択を突き付けられたときに、人はどうすべきかということです。

 ラストで俊介が迫られた選択はどちらを選ぼうとも地獄でした。その苦しさの種類が異なるだけです。正解などありません。東野さんは周到にそういう状態を作り上げました。自分ならどうするかをいやでも考えさせられます。

『わかっているつもりよ。でも、それはここにいる人全員がそうなの。あなたの主張はよくわかる。だけど、事実は動かせない。ここまできたら、もうロシアンルーレットと同じ。誰かに必ず弾が当たる。その確率は全員同じなの 』

 そしてこのラストを迎えるに当たって大事なことは、物語を通して俊介の心情描写が一切ないことです。これは解説で千街晶之さんが指摘するまで気づかなかったのですが、この物語には登場人物の内面は一切ブラックボックスとして描かれています。俊介が最後にどのような決断を下すのかはわかるのですが、その思考プロセスは読者には明かされません。だから僕らはこの判断を、まったく真っ白の状態から考えるしかないのです。俊介が考えた足跡をなぞれるのならそれが一つのたたき台として機能するのだと思うのですが、それが巧妙に隠されてしまっているのです。憎いことをしますね、ほんとに。

究極の選択

 東野さんはこの物語を通じて読者に恐ろしいほど難しい選択をせまったのです。解説で千街さんは次のように書いています。

『誰もが同じような結論しか出さないような選択など、所詮は大した選択ではないのだ。正しい結論が容易に出せない難題に、それでも答えを出さなければならない厳しい立場に置かれた登場人物に、読者は他人事とは思えない共感を覚えるのではないだろうか。』

 今まで僕が下してきた選択は、ひょっとしたら選択と呼べないほどのものであり、全然大したものではなかったのかもしれません。人が真に決断を下すのはどういうことなのかを教えてくれる小説でした。かくも苦しい状態に追い込まれたときに、自分なりの思考プロセスで自信を持って決断を下せるか。難しいですね。

 ちなみに僕が俊介なら警察に通報したと思います。だって、子供が人を一人殺しておいて、その後何十年にもわたって普通に暮らしていけるとは思わないからです。きっとバレるか、気づくか、ばらしてしまうかだと思うのです。

 

 

 極限の状況に追い詰められた時に人はなにを守ろうとするのか、ということに関しては「半落ち」に近いものを感じます。

 

 

東野圭吾さんの作品でいったら「手紙」が近いでしょうか。答えの出ない大きな問題に向き合う作品です。