ネットワーク的読書 理系大学院卒がおすすめの本を紹介します

本と本の意外な「つながり」ってありますよね

【宗教を通して世界を理解する】書評:池上彰の宗教がわかれば世界が見える/池上彰

池上彰の宗教がわかれば世界が見える (文春新書)

池上彰の宗教がわかれば世界が見える (文春新書)

 

概要

 池上彰さんの対談をまとめた一冊。対談相手は仏教やキリスト教などに精通されたスペシャリスト7人です。

おすすめポイント

 それぞれの宗教についての基礎知識を仕入れることのできる1冊です。入門書の入門書といった内容です。宗教についてざっくり知りたいという方におすすめです。

感想

 正直言って、タイトルの「世界が見える」というのは内容に合っていないと思います。イスラム教を学ぶことによって現在の中東情勢が見えてくる、といった流れの本なのかと思って購入しましたがちょっと違いました。

 池上さんが宗教家たちに質問を投げかけていくのですが、彼が一番興味を持っていたのは「団塊の世代が死を意識し始める時代に宗教がいかなる役割を果たせるか」という点だと思いました。それはそれで興味深いテーマでしたので面白く読めましたが、今の自分と直接関係があるわけではないので実感を持って捉えられるお話ではなかったです。結論は、お寺にいるお坊さんや神社にいる神主さんがもっと地域社会に分け入ってできることがあるんじゃないかというものでした。僕の家の周りにもお寺や神社はありますが、なにか積極的な活動をしていると聞いたことはないので、まだまだ動いてはいないのかなぁと思っています。

 他にもいろいろな話題に触れられていました。普段宗教家のお話を聞く機会などないので、興味深い話題がいくつもありました。一部を紹介します。

パワースポットが流行る時代

 宗教学者で東大教授の島田裕巳さんとの対話での一節です。現代の宗教観が江戸時代に似てきているとの文脈の中で、パワースポット巡りが流行っていることと、新興宗教と既成宗教の関係が語られれます。

『若い人がパワースポット巡りをしたり、あるいは既成宗教の巻き返しが行われているというのは、平安、江戸に続く安定期ゆえの現象ですか。 』

 世が乱れる時代は新興宗教が強くなります。鎌倉時代に日蓮などが登場したのが例で、一番最近の出来事はオウム真理教だそうです。逆に平和な時代には過激な思想など必要ないので相対的に既成宗教が力を取り戻します。最近新興宗教の話題を聞かないのは、平和な時代だからだというわけです。

 乱世において民衆は身の安全を切に願うため、パワースポットでカジュアルな願い事などしません。明日死ぬかもしれないのにパワースポットで癒やされたいとか思う人はいませんもんね。「日常的な娯楽としての宗教」というフレーズが出てきますが、日本の若者の宗教観はその程度であるというのは感覚的に同意できます。宗教は時代を色濃く反映しています。

グローバルスタンダードを作れるか

 浄土真宗のお寺の住職である釈徹宗さんとの対話で、宗教の広まり方にスポットが当たります。日本は伝わってきた宗教をひたすら受け入れてきた歴史があります。

『日本はなかなかグローバルスタンダードをつくれないという話になったんです。欧米人は、これが国際基準だよと提示する。日本はその国際基準に合わせることしか考えない。どうしてかというと、欧米の場合はキリスト教の布教の経験がある。これが信じるべきものだよと世界に訴えて説得することを、ずうっと続けてきた歴史がある。逆に日本は受け入れる側ばかりだった。』

 これは池上さんの発言です。本当なのかはわかりませんが、これも面白い指摘です。何かをゴリ押しで広めていくということに関して、キリスト教徒は圧倒的なノウハウを持っているとの主張です。しかし現代を生きる人たちにまで宣教師の心意気が受け継がれているのかと言われると疑問が残ります。今も布教活動に熱心な信徒が多いのなら説得力があるかもしれません。日本人の気質についても、宗教だけに原因があるとは僕は思いません。なんでも器用に受け入れる日本人の良さの裏返しであるとも言えますね。

 上の発言に賛同しつつ釈さんは『(イスラム教キリスト教の人を例に挙げ)神に支えられた自我ほど強いものはないな、と思います』と返します。欧米の人の自信満々に見えるあの感じは、信仰によるものなのかもしれませんね。神様がいつもついてくれているという感覚は、僕にはわかりません。一神教の絶対的な後ろ盾が効力を発揮する場面はいろいろとあるのだろうなと思います。ちょっとうらやましいです。

マスメディアと一神教

 解剖学者の養老孟司さんとの対話で、一神教の宗教と多神教の宗教があるという文脈から、メディアの話に飛んだ一節。

『「唯一客観的な現実」が存在するという信仰です。池上さんはNHK出身だから言いにくいんですが、NHKが自称する「客観報道」なんて、完全な宗教ですよ。唯一客観的な現実というのは、神様がいない限り成り立ちませんから。この世界のあらゆる出来事を知っているというのは、全知全能の神様だけでしょう。にもかかわらずメディアに流れる情報が唯一の現実だ、と思い込んでいる人が多い。これはかなり危険な兆候です。』

 「テレビの言っていることはすべて正しい」という考えを持つ日本人は減っていると思いますが、メディアと宗教を繋げてくる辺りが面白いと思いました。視点の問題なんですよね。唯一絶対の神様がこの世界を見てくださっているという一神教の考え方と、マスメディアが僕たちのために真実だけを報道してくれているという考え方は似ています。唯一絶対のものを信じたくなる。

 日本は昔から多神教の国ですから本来このような考え方は持ち合わせていないのですが、どうもそちらに傾いているのではないかと養老さんは警鐘を鳴らします。テレビをグーグル検索と置き換えれば若者にも当てはまるとのこと。じゃあ逆に言えば一神教の人たちは世界をどのように見ているのだろうかと気になります。絶対の神がなんでも決めてくれるとしたら、生きるのが楽にはなりそうです。

 

 

池上さんの他の本