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ネットワーク的読書 理系大学院生がおすすめの本を紹介します

本と本の意外な「つながり」ってありますよね

【魔王に気づけるか】書評:魔王/伊坂幸太郎

魔王 (講談社文庫)

魔王 (講談社文庫)

 

概要

 選挙を題材に、時代の大きな流れに抗う2人の兄弟を描いた物語。二人の名前は安藤。第1章は安藤兄、第2章は安藤弟の妻の視点で描かれます。

おすすめポイント

 政治に無関心な現代の日本人に向けた警告だと僕は受け止めました。このままではいつかとんでもないことが起きるぞ、暗に訴えかけてくる内容でした。

感想

 第1章、第2章を通じて犬養というカリスマ的政治家が登場します。第1章では、彼は旧来の政治家とは一線を画した思い切った政策を掲げて、国政選挙を戦っています。第2章は第1章の5年後、彼が政権を取り、憲法改正国民投票を行っている最中のお話です。

『今、この国の国民はどういう人生を送っているか、知っているのか?テレビとパソコンの前に座り、そこに流れてくる情報や娯楽を次々と眺めているだけだ。死ぬまでの間、そうやってただ、漫然と生きている。食事も入浴も、仕事も恋愛も、すべて、こなすだけだ。無自覚に、無為に時間を費やし、そのくせ、人生は短い、と嘆く。もっと言えば、まともに生活することもままならない人間が多すぎる。彼らは無料の娯楽で、毎日を過ごす。テレビとインターネットだ。豊富な情報と、単調な生活から生まれてくるのは、短絡的な発想や憎悪だけだ。』

 歯に衣着せぬ犬養の物言い。こんな政治家が現れたらどう思うでしょうか?個人的には応援したくなると思います。何か、今までと違うことをやってくれそうだと期待すると思います。

 しかし安藤兄は犬養を支持する気持ちになれません。彼の口癖は「考えろ考えろ、マクガイバー」。自分の頭で考えないと気が済まないたちであり、周りからは変な人だと思われることもあります。主人公は犬養が作り出す、熱にうなされたような雰囲気になんとなく危機感を覚えます。まるでライブで熱狂する観客のように、日本中が踊らされてしまうのではないかと暗い予感を覚えます。

『ふと気づくと目の端に、恐ろしい形相をした、悲壮感と切実さを滲ませた顔があるぞ、と気づいた。魔王か、と思い、目をやれば、テレビの画面に映る自分の顔面の影だ。』

 タイトルになっている「魔王」。読み始めた当初、僕は魔王は犬養のことだと考えていました。しかしその考えは徐々に変わっていきました。強いものに熱狂している大衆、そのエネルギーが魔王なのかなぁと思いました。

 シューベルトが作曲した「魔王」が引用されていますが、その中でも魔王は実体を持たない不気味な存在として登場し、馬を走らせる父にはまったく見えぬまま息子の命を奪っていきます。その魔王の姿は犬養にはかぶらないと僕は思います。大衆の熱狂は、大人が知らぬうちに大事なものの息の根を止めてしまうのではないでしょうか。だれかが魔王に気づかなければならない。そんなような解釈を僕はしました。

 一方で第2章の主人公の弟の方は、極めて楽観的です。特に第1章の最後で兄が亡くなってからはテレビを見ない生活をしているため、世の中の情勢をまるで把握していません。

『この地面をずっと延長していったどこかで、事故とか事件とかあるわけだろ?もっと延ばせば、戦争だってあるし、飢えとかそういうものだってあるんだろ。知らないけどさ。でも、そんなの考えなくて、ここでぼうっとしている分には、関係ない。深く考えなければ。考えない考えない。(中略)ここで七時間も空を眺めているなんてさ、嘘みたいだろ。こう言っちゃなんだけど、俺は七時間、鳥を探して、呼吸をしているだけだ。』

 第2章のタイトルは「呼吸」。呼吸という言葉が印象に残ったのは安藤弟のこのセリフでした。兄とは対照的に、考えないことをモットーにしている弟。呼吸をしているだけ。しかしそんな彼も、兄の姿を思い出し、小さな行動を起こしていきます。

『兄貴は負けなかった。逃げなかった。だから、俺も負けたくないんだよ。馬鹿でかい規模の洪水が起きた時、俺はそれでも、水に流されないで、立ち尽くす一本の木になりたいんだよ』

 この「洪水」が善なのか悪なのか、という視点も当然あると思いますが、物語の中ではあまり重要視されていないように感じました。つまり、犬養の掲げる政策が善か悪かということには意図的に触れられていないと思ったのです。

 それよりも、踊らされる人々とそれを見ている主人公たち、という対比の構図が注目されているように見えました。主人公たちのように「なにかがおかしい」ということを感じ、行動できる人が一定数いないと、いざという時に容易く間違った方向へ突き進んでしまうんでしょう。

 言い換えると「魔王に気づける人」でしょうか。そういう意味で「魔王」とは、もっともっと抽象的な存在で、世論の中を漂う雰囲気的なものなのかもしれないなと思いました。

 

 

直近で読んだ伊坂さんの作品。哲学的で面白かったです。

ytera22book.hatenablog.com