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本と本の意外な「つながり」ってありますよね

【乱世を生きた海賊たち】書評:村上海賊の娘/和田竜

村上海賊の娘(一) (新潮文庫)

村上海賊の娘(一) (新潮文庫)

 

概要

 1570年、織田信長が大阪本願寺に籠った一向宗の信徒と対峙した「石山合戦」が舞台です。本願寺攻略のために、大阪湾で起こった海賊たちの戦いを描いた小説です。

おすすめポイント

 主人公は当時最強を誇った海賊、村上海賊の当主の娘。名前は「景」。男勝りの腕っぷしを持ち、不細工だったため嫁の貰い手がありません。景のキャラクターが素敵で、さらに彼女を取り巻く戦国の武将たちも個性豊か。それでいて戦いのシーンはしっかりと大迫力に描かれる、お腹いっぱい大満足の読書体験でした。

感想

 この物語は、一見すると景の痛快な活躍が描かれる軍記ものの小説なのですが、裏テーマのようなものが設定されていて、それが作品に奥行きを与えているのではないかと僕は思いました。

 戦国時代という乱世において、武将たちが最も重視したことは何でしょうか。領地を広げること、戦いで手柄を挙げること、天下を統一すること等、いろいろ考えられると思うのですが、一番は「自家が存続すること」だとこの作中では何度も語られます。

 確かに、領地を広げるのも戦いを続けるのも、自分の家が自分の代で潰えてしまっては何の意味もありません。少し保守的ではありますが、現状が維持されることが大事なのです。

 この物語では、織田信長と大阪本願寺の間に挟まれたいくつかの戦国大名にスポットが当たります。信長は第六天魔王などと呼ばれるほどの異端の存在、対する大阪本願寺戦国大名ですらありません。戦国時代における理から外れた存在としての両者に挟まれてしまった武将たちが、自家の存続の道を模索する物語であると言えます。

残るのは、からっぽの容れ物

 個人的に、この小説で一番痺れたのは3巻の終盤でした。

 大阪本願寺に兵糧を届けるため淡路島に集まった村上海賊。彼らは大阪湾に布陣する織田方の真鍋家を打ち破らないと兵糧を届けることができません。兵糧を積んだ船がたくさんあるため、単純な船の数では村上家が圧倒していますが、 実際の兵力は五分。そこで景は、真鍋家にも村上家の船の数だけは見えていることを利用して、和議を申し込みにいきます。

 ここで、真鍋家の当主である七五三兵衛からしてみれば、和議を受け入れて織田家を裏切るのが自家の存続に繋がります。村上家と真正面から戦って、負けてしまえばおしまいなのですから。

 しかし七五三兵衛は村上家と戦うことを選びます。その理由がなんとも深くて熱い。ポイントは、和議の交渉に七五三兵衛の9歳の息子が同席していたことです。和議を受け入れれば確かに自家の存続は果たせます。しかし、それで真鍋家が受け継いできた侍としての誇りはどうなるのかと。

大なるものに靡き続ければ、確かに家は残るだろう。だが、それで家を保ったといえるのか。残るのは、からっぽの容れ物だけではないのか。

 この心意気をもって、七五三兵衛は和議を拒否します。ここに至るまで、戦国大名が何より重視するのは自家の存続だとことあるごとに書かれていたのに、ここ一番でそれを裏切った七五三兵衛。作者が仕込んだ伏線であると同時に、この物語のもう一人の主人公は七五三兵衛だったことを気づかされました。

受け継がれた心意気

 さて、和議が拒否された結果、村上家と真鍋家は大阪湾で死闘を繰り広げることになります。戦国時代の戦いを描いた小説はいくつか読んだことがありますが、海戦を描いたものは読んだことがなかったので新鮮で面白かったです。馬と船では戦い方が全然違いますね。

 七五三兵衛は豪傑です。当時最強と言われた村上海賊に真っ向から立ち向かい、奮戦します。しかしこの物語の主人公は景ですから、最終的には討ち取られることとなります。主人公側の勝利でハッピーエンド。めでたしめでたしなわけです。

 しかし、作者が仕込んでくれたもうひとつの仕掛けが、七五三兵衛の無念を引き取ってくれている気がします。この戦いのあと、それぞれの登場人物がどのような生き方をしたのかを、史料をもとに書いてくれているのです。

 それによると、七五三兵衛の息子である次郎は、11歳で真鍋家の当主になったあと、父親と同様の剛勇さと無鉄砲を受け継ぎ、次々と武功を挙げ、秀吉や家康に重宝されたとあります。

 景が申し込んできた和議を七五三兵衛が拒否した結果、七五三兵衛は戦いで命を落とすことにはなったのですが、次代へと心意気が受け継がれ、立派に自家の存続が果たされたというわけです。いやあ、ニクイ仕掛けですね。

 あまり触れませんでしたが、ひとりひとりのキャラクターがしっかり立っていて、最初から最後まで楽しく読める作品です。Bランクに入れます。

 

 

戦いの面白さが際立つ他の作品。 

 

オススメの本はこちらにまとめています。

A. 誰にでもおすすめできる/是非読んで欲しい作品

B. 大多数の人が面白いと思うはず/この作家さんが好きなら絶対読むべき作品 

 

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【完結】岳飛伝 十七 星斗の章/北方謙三

岳飛伝 十七 星斗の章

岳飛伝 十七 星斗の章

 

概要

 水滸伝、楊令伝に続く北方謙三の北方水滸伝第3部。その17巻、最終巻です。

感想

 ついに岳飛伝も完結。長きに渡る旅路に終止符が打たれました。ひとまず、すべて読み切れたことでほっとしました。何らかのアクシデントで最後まで読み切れない可能性もなきにしもあらずでしたから。

 終わり方としては、梁山泊側がついに勝利をもぎとるという形になりました。水軍を叩き潰し、南に入った石信を撃破し、程雲を倒して南宋軍も壊滅、サケツを倒して金軍にも立ち直れないほどのダメージを与えました。

 しかし、あまり勝った気分がしません。喜びがありません。それは、勝利に意味がないからなのか、勝ったあとの描写が少なかったからなのか、それともこの物語が終わってしまうのが寂しいのか。

 物語の主人公岳飛は、この巻でついに中華の戦場の真ん中に復帰。彼が抱いた抗金の旗のもと、何十万という義勇軍を集めて戦に勝利します。働きっぷりはまさに英雄。しかしラストは南へ戻り、猿の骨郎だけに見守られて息を引き取ります。物寂しい最期でした。

 僕の勝手な予想では、胡土児が物語のカギを握るようになると考えていたのですが、あっさりと退場してしまいました。

 そして物語の最期を締めくくったのは候真と史進でした。長い長い時間の中で、史進だけがすべての戦いを経験することとなりました。水滸伝や楊令伝のころから死に場所を探していると言われ続けたこの男が、戦場で死ねなかったことは、ある意味最も残酷な仕打ちだったのかもしれません。

 このあと、中華の世界はどうなっていくのか。物流に飲み込まれ、金も南宋も機能を失っていくのでしょうか。ショウケイザイが途中から一切表舞台から姿を消していたのも、なにかを暗示しているのかもしれませんね。彼がいてもいなくても、時代のうねりは進んでいく。そんなことを思いました。

 

 

岳飛伝シリーズ。 

 

 

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【壮大なるスパイの激闘】リヴィエラを撃て/髙村薫

リヴィエラを撃て〈上〉 (新潮文庫)

リヴィエラを撃て〈上〉 (新潮文庫)

 

概要

 中国、アメリカ、イギリスの陰謀が渦巻くスパイ小説です。約20年に渡る時間の流れの中で、イギリスと日本を舞台に繰り広げられる壮大な物語です。日本推理作家協会賞日本冒険小説協会大賞を受賞しました。

おすすめポイント

 物語は非常に大きなスケールで組み立てられつつも、描写はどこまでも緻密、そしてスリリングなスパイアクションにドキドキします。おなか一杯のエンターテイメントです。

感想

 物語の主人公はジャック・モーガン。彼の父親アイルランド独立闘争を主導してきたIRAのテロリストです。父親の不審死をきっかけとして、ジャックもテロに加担してています。テロリストのひとりとして活動しているときに、CIAやMI5の暗闘に巻き込まれていくことになります。その戦いはリヴィエラというコードネームで呼ばれる人物を巡る陰謀の戦いでした。

 ジャックは冷徹に殺人をこなす優秀なテロリストである一方、恋するひとりの青年でもあります。いつかはテロリストをやめて、恋人のリーアンとともに暮らしたいと考えています。しかし、暴力の連鎖はそれを許してはくれません。

 国家の陰謀に巻き込まれたジャックとともに戦うのがCIA調査官のケリー・マッカンです。彼のコードネームは伝書鳩。自らの正義を貫き、立場を越えてジャックに信頼を寄せます。

主人公の結末

 人間ドラマをスパイスにしながら、ジャックとケリーはスパイとの長い闘いが描かれます。強大な力に立ち向かうふたりは素敵なコンビでした。彼らの活躍によって国家の陰謀は暴かれ、ジャックはリーアンと結ばれてハッピーエンド。僕はそんな予想を頭に描いて読み進めていました。

 しかし、冷静に考えてみれば、IRAとしてテロ活動をこなしてきたジャックは、はたから見れば冷徹な殺人鬼です。幸せな余生が送れるわけがありません。物語の途中でジャックとリーアンは亡くなり、以後物語の舞台からは退場してしまいます。

 ジャックたちは明らかに主人公特性を備えた良きカップルでした。彼らの恋路には障害が多くとも、最後には報われると信じていました。

そう語るリーアンの、もう何十年も喪が続いているような疲労と空虚に彩られた目を見つめながら、M・Gは自分の首を横に振った。このリーアンも、サラ・ウォーカーも、自分の愛した男の罪や罰を、自らとともに背負うことで、男と何かを分かち合うほかなかったというのは、一面の真実に違いなかった。しかし、人生はそんなものではない。「それは、断じて違う。ジャックがここまで来れたのは、君がいたからだ。彼が気づいていないのなら、それを彼に分からせるのは君の人生の仕事だよ」

 この物語は血なまぐさい男たちの暴力の応酬の物語であると同時に、愛の物語だと僕は捉えていました。殺人を重ねるジャックの唯一の心の支えはリーアンでした。(ちなみに上記サラ・ウォーカーはケリーの恋人です。)しかしジャックたちの最期はまともに描かれぬまま、亡くなってしまったことだけが淡々と書き連ねてありました。

 唐突に主人公がいなくなってしまうことに僕は当初困惑しました。ですが、そのページまでに描かれてきたことをもう一度思い出してみると、上巻の始まりの30ページほどで、実はジャックとリーアンが殺されたことがすでに書いてあるではありませんか。500ページ以上読み進めて改めてジャックたちの死が描かれているわけですが、さすがにロングパスすぎて覚えていませんでした。

 初めからジャックが死んでしまうことを念頭に置いて読めば、見える景色は違っていたでしょうか。その場合は、ジャックの死は物語の最後に来るはずだと予想することになったはずですから、どっちみち想定外の展開になったのかもしれません。

 物語の結末

 終盤、警視庁外事一課に勤める手島へと物語の視点が移ります。MI5のエージェントであるキム・バーキンとともに、 ジャックたちがたどり着けなかったリヴィエラの謎を解き明かそうと奮闘します。

 手島もバーキンも正義に燃える優秀な人物です。彼らのコンビはジャックとケリーを彷彿とさせ、今度こそ悪の親玉に鉄槌が下るかと期待が高まります。

 カギを握るのは世界的なピアニストにして、イギリスのスパイでもあるノーマン・シンクレア。ジャックとも交友が深い彼は、リヴィエラ事件の真相に誰よりも迫っていたひとりでした。

 結局、シンクレアは悪者の筆頭であったギリアムと呼ばれる人物を殺害したのちに、自身も殺されてしまいます。シンクレアが握っていた真相を探っていたバーキンも凶弾に倒れ、残った手島がリヴィエラとの直接対決に臨みます。

 最終盤、リヴィエラの口から、リヴィエラ本人は実はこの事件に関して大した役割を持っていなかったこと、つまり濡れ衣を着せられていたことが明かされます。ジャックたちをはじめとして幾人もの命を奪ったこの暗闘は、リヴィエラが起こしたとされていたのに。お金に目がくらんだ数人の人間と、国際政治で覇権を握りたい国家の鍔迫り合いでしかありませんでした。

実際、手島は意識があるうちに、幾度もこう考えた。《リヴィエラ》はもはや何ものでもない。彼らについて、何も応えることはない。多くの命が虚しく消えた彼方で、現実の世界は着実に動き続けただけだ、と。死者を追う旅はすでに終わり、そこには何もなかったのだ、と。 

 本当にそこには何もなかったのです。伏線が回収されるでもなければ、最後に大捕物があるわけでもないのです。これがまた僕の期待を裏切る展開でした。手島はリヴィエラとの対談後、拷問にかけられ深い傷を負います。正義感で動いた登場人物たちは誰もが暴力の餌食となってしまった一方で、リヴィエラは何もしていないので大きな罪にも問われず、のうのうと生き続ける。なんと虚しい結末ではありませんか。

 謎は解かれました。しかし結局、なんのために殺し合いが行われたのだろうという疑問が残ります。意味など問わず、必死に目の前の現実を追い続けた結果、自分たちが大いなる虚構の中にいたことを悟る。いや、悟るまえにほとんどの人物が亡くなってしまい、この虚しさを引き受けるのは読者だけなのかもしれません。

 唯一の希望。それはジャックとリーアンの残した子供が、子供を設けてこなかった手島夫妻に引き取られたことです。子供の成長を見守ることで手島の心の傷が癒えることを、そして子供が暴力ではなく対話で未来を創ってくことを学んでくれることを祈るばかりです。

 

 高村薫さんの別の作品です。映画を知っているひともいらっしゃるかもしれません。こちらもスリリングなアクションが展開される硬派なお話です。

 

リヴィエラを撃て〈下〉  新潮文庫

リヴィエラを撃て〈下〉 新潮文庫

 

 

 

オススメの本はこちらにまとめています。

A. 誰にでもおすすめできる/是非読んで欲しい作品

B. 大多数の人が面白いと思うはず/この作家さんが好きなら絶対読むべき作品 

 

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【首切り請負人】書評:君たちに明日はない/垣根涼介

君たちに明日はない (新潮文庫)

君たちに明日はない (新潮文庫)

 

概要

 人員削減を請け負うリストラ専門の会社に勤める主人公の村上が活躍するビジネス小説です。第18回山本周五郎賞を受賞しました。 シリーズ化されていて、5巻まで出ています。

おすすめポイント

 村上はリストラ候補にリストアップされた社員を自己都合退職へと誘導する業務をこなしています。えげつない仕事に携わる一方で、彼自身も葛藤を抱える普通のサラリーマンです。首を切る側と着られる側が織りなす人間ドラマはとても斬新で、しかも面白いです。

感想

 そもそも、リストラを依頼されてお金を稼ぐ形態の会社は実在しません。でも、もし仮にそんな会社があればどういうドラマが繰り広げられるかということを突き詰めた、ある意味実験的な小説です。

 普通のサラリーマンをやっていると、生きるか死ぬかのスリリングな状況に追い込まれることなど滅多にありません。数少ない瀬戸際の状況の1つが、リストラ候補にピックアップされ、退職を迫られているときなのではないか。そう考えて書かれたのが本作品です。

 日本では雇用主が一方的に首を切るのが難しいと言われています。だから村上の仕事は、リストラ候補者を説得して自主退職に誘導することです。そんな仕事を生業にしている村上は、血も涙もない冷徹な人間なのかというと、そうではありません。そこがこの小説の面白いところです。

分かっている。あんな下衆野郎など、クビになって当然だ。だが、それを今まで見て見ぬふりをしてきたこの建材メーカーと、その意向に沿ってもっともらしい理由を見つけ、辞職勧告を促す自分ーちくしょう。いったいおれは何様だ?ウンザリだ。何度か辞めようと思ったこともある。この仕事を、だ。だが、それでもこの仕事内容のどこかに、心惹かれている自分がいる。辞めきれずにいる。自分でもたまに考える。こんな仕事の、いったいどこがいいのかー。分からない。   

 本人はこの仕事に惹かれていることを自覚しています。ですが、なぜこの仕事が面白いのかイマイチ理解していません。そんな葛藤の中で、他人の人生を狂わせる決断を迫る毎日を送っています。

 とある候補者と面接したときのエピソードが心に残りました。大好きなオモチャ開発の仕事を続けられるなら、どんなに減給されてもこの職場に残りたいと訴えてきた緒方という男性と村上が面談します。

好きな仕事をつづけるために、なりふり構わなかった緒方。オモチャの男。今の自分にないものを、あの男は持ちつづけようとしている。うらやましいと思ったわけではない。ただ、あんな冴えないトッチャン坊やでもどこかで救ってあげれればと、無意識に願っていた。だから社長にこの件を詰められたとき、妙に苛立った。 

 ここで、村上は自分の過去を思い出さざるをえません。彼はロードバイクのプロを目指していた時期がありましたが、夢を諦めてサラリーマンをしています。

もう、夢中になれるものは無くしてしまった。だが、それがなんだって言うんだ。いろんなことを考えさせてくれるこの仕事があって、マジで好きになりかけている女がいて、こうして場を和ませてくれるーちょっと薄ぼんやりしているがー美人のアシスタントもいる。確かに今でも、揺れ動くものはある。でも、この世界も悪くはない。

 最終的に、村上の権限の及ばないレベルでの決定により、緒方は首を切られずに済みます。村上は緒方との出会いによって自分の仕事を見つめ直すことになります。というより、自分の人生と折り合いをつけるのです。やりたいことがやれなくても、そうやって自分の生き方を見つめ直すきっかけを与えてくれた出来事。それは、この仕事をしているからこそ出会えたものだったのでしょう。

 そのほか、数人のリストラ候補者とのあれこれが連作短編風にまとまっています。特別な立場の人間というよりも、どこにでもいそうな人間が、リストラの危機にさらされています。僕は自分の選んだ職業が緒方と重なるところがあったので緒方の話を紹介しましたが、他のエピソードが刺さる方もきっといると思います。

 登場人物が魅力的なので単なるエンターテイメントとしてもなかなか面白いですが、サラリーマンをやっているといろいろなところがチクチク刺激される作品なのではないかと思いました。

 

 垣根涼介さんの作品の中ではこちらの作品もすごく面白かったです。失敗したブラジルの移民政策の復讐に燃える男たちの戦いを描いた物語です。

ワイルド・ソウル〈上〉 (新潮文庫)

ワイルド・ソウル〈上〉 (新潮文庫)

 

 

 

 

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【時代の流れ】書評:岳飛伝 十六 戎旌の章/北方謙三

岳飛伝 十六 戎旌の章

岳飛伝 十六 戎旌の章

 

概要

 水滸伝、楊令伝に続く北方謙三の北方水滸伝第3部。その16巻です。

感想

 16巻目ということで岳飛伝も佳境に入ったのではないでしょうか。この巻は最初から最後まで戦ってばかりでした。

戦の形

 今まで、大きな戦があると物語も急速に進展していきました。戦がないところでも様々な動きがあったものです。しかし、この巻では戦が続いた割には物語に進展が少なかった印象を持ちました。

 その理由を複数の武将が語っていました。今までとは国の形が変わったために、戦の形も変わったのだと。

物流の道ができてしまえば、それでいい。つまり国が、かつての国としての力を持たなくなる。それは、ショウケンザイの考えだった。国の形骸に、かつて形骸ではなかったころの力が残っていれば、面倒なことになる。つまり、軍だ。旧宋は、ホウロウの乱のころ、実は倒れていた、と見ることもできる。しかし、強力な軍を、童貫という稀代の軍人が率いていた。それだけで、戦おうとする相手にとっては、圧倒的だったのだ。国が形骸となっても、軍が健在ならば、国としての力は持ち得る。いまの金国は、それに近いかたちになっていないか。 

 物流によって、国というシステムはどんどん形骸化します。しかし、強い軍事力を保持しているならば、その形骸もそこそこの存在感を発揮します。旧宋は腐りきっていましたが、軍事力があったので当時の梁山泊に負けませんでした。

大将を討ち取っただけで勝てるというほど、この戦はたやすいものではなくなっている。そのことを、梁山泊の指揮官ははっきりと理解して闘っていた。斜室も、そして沙ケツや阿刺の部下たちもそうだろう。残酷な戦だった。できるかぎり、兵を削り落とす。軍を軍ではなくしてしまう。そこから、別のものがはじまるのだ。史進が、コエンリョウが、自分に向かってくる。それは多分、古い戦を懐かしんでのことだ。 

 これからの戦は大将が死んだら終わりではありません。軍事力を減らさなければなりません。軍を完膚なきまでに潰す、つまり、兵力をできる限り削りあうことが今回の戦の目的なのだと武将たちは考えているのです。

 大きな戦いが起きているのにその割には物語が進展しないのは、ただただ兵力を削り落としているだけだからなのかもしれません。そこには華々しさなど欠片もありません。その中で、史進やコエンリョウやウジュは、戦術を駆使して相手の大将の首を取る往年の戦を楽しみたがっているのでしょう。僕としても、そっちのほうが面白いと思います。しかし、時代の流れは容赦がありません。

北と南

 ますます注目すべきは胡土児でしょう。あまり史実を知らないのでどうなるかまったく想像がつきません。

肉を焼く準備を、胡土児は見ていた。このあたりの香料を、胡椒と呼ぶことが多い。胡とは、中華以外の土地であり、南の香料も胡椒と言ったりするらしい。胡土児という名は、中華の外の土地の児ということなのか。ならば自分は、北辺で暮らすのが、最もふさわしいのではないか。 

 なんて意味深なセリフでしょうか。中華を一時離脱した彼が、もう一度戻ってきて「胡土児伝」が始まったりして。

 南宋は危うさを感じます。秦膾がいよいよおかしくなってきました。

戦に勝者などいないと、最初に見きわめたのは、梁山泊ではないだろうか。旧宋と戦い続けてきた。旧宋を倒しても、国らしい国を作ろうとしなかった。ある地域を、自分たちの領分のようにして、交易の手を方々にのばした。戦に勝者などいないという考えどころか、これまでの国の姿など、形骸にすぎない、という考えに至ったのではないか。動きを見ていると、これと指せる国に、大きな関心を持っているとは思えないのだ。それなら自分は、ただ形骸である国を、守ろうとしているだけなのか。なにもかも欲しい。そう思いながら、こういうことも考えてしまう。自分が、早晩死ぬと思うようになってからは、常にそうだった。 

 人間は老いには勝てませんね。これも時代の流れでしょうか。広い視野で戦況を見つめられなくなっているような感じです。 南は岳飛とシンヨウのコンビネーションにやられてしまいそうな雰囲気です。とは言っても、程雲はけっこう強い武将です。さらに石信という有力な将軍も出てきましたし、一筋縄ではいかないでしょう。

最期の百八星

 そして兵力を削りあうだけだった梁山泊vs金との戦は、最後の最後で大事件が起きました。まず、無謀な作戦を指揮した罪で3人の将校がウジュに処刑されます。衝撃だったのは、血のつながっている海陵王も容赦なく処刑されてしまったところです。直接的には書かれていませんが、ウジュがあそこまで言ったのなら、命はないでしょう。ウジュの強さを改めて垣間見た瞬間でした。容赦の欠片もありません。

 さらにその直後、史進の突撃によってウジュは死亡し、史進も瀕死の傷を負います。長年梁山泊を苦しめ続けてきたウジュのあっけない最期。そして、史進もここでお別れなのでしょうか。あの章はなんだかどちらに転ぶのかわからない書き方だと思いました。今まで、他人目線で梁山泊の戦士の死が描かれたことなどほとんどないような気がしますし、ましてや、彼は最後の百八星。こんな終わり方、アリ?というような感じです。

 だた、死に際の戦果としてはこの上ないものですよね。ウジュが死んだら金国はもうぼろぼろでしょう。死に見合うだけの活躍ではあるのですが、史進の心の内が知りたいものです。

「古い梁山泊の戦士で、残っているのは、ほんとうに、あの人だけなのだな」「そうだ、宣凱。いつ死んでもおかしくない戦を続けてきた人が、いまもまだ戦をしようとしている」「私は、しばしば考えたよ。いまの梁山泊が、あの人にどう見えているのだろうと」「見ていないようで、一番よく見ている人かもしれない。早く死んでくれよ、という思いがある。それと同じぐらいに、死なせてたまるかとも思う」「よせよ、王貴。あの人のことに、私は立ち入れない。なにか、登ることのできない山みたいなものだな」「あの人がここにいたら、私は、萎縮するだけだろうな。きわめて傲慢で、信じられないほど繊細で、そしていまも誰よりも強いのではないかな」「あの人の話はやめよう。いまにも現れそうな気がする」 

 王貴と宣凱の会話が死亡フラグになってしまったのでしょうか。こんな会話は毎度繰り返されてきたような気がしますが。もし死んでしまったとするならば、ついにひとつの時代が終わってしまった感じがしますね。

 

その他、話を覚えておくためのメモ。

  • チョウコウの陽動作戦が成功し、岳飛が程雲を奇襲。
  • 胡土児が謎の集団に襲われ、徒空に助けられる。
  • 南宋水軍200艘がゲンレイの艦隊を襲う。
  • ラシンが米を運び入れる輸送隊にまぎれて象山の造船所を焼き討ち。安否は不明。フウゲンを騙す形になる。
  • 七星鎮が石信の本隊に襲撃される。命からがら逃げてきた打狗を岳飛は従者にする。

 

 

岳飛伝シリーズ。 

 

 

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【見えない戦争に気づけるか】となり町戦争/三崎亜記

となり町戦争 (集英社文庫)

となり町戦争 (集英社文庫)

 

概要

 三崎亜記さんのデビュー作です。小説すばる新人賞を受賞しました。また、直木賞の候補にもなりました。となり町と戦争することになったのに、主人公には全然その様子が目に見えません。この戦争の果てに主人公は何を見るでしょうか。

おすすめポイント

 大きなストーリーの起伏はありませんが、深く考えさせられる作品です。

感想

 ある日突然、隣町との戦争に参加させられることになった主人公の北原。戦死者の報告はあるのに、その戦争は影も形も見ることができません。まったくいつも通りの日常。北原に課せられた偵察業務も、普段の街並みを見回っているにすぎません。いったい、この町で何が起きているのか。

 なにか大きな謎やトリックが仕込まれているのではないかと最初は疑って読み進めていました。「戦争」という言葉がまったく別の意味を持っている可能性を疑ったりしていました。最後まで読んでみると、そういう物語ではなかったことがわかります。この物語は素直に目に見えない戦争を描いた物語でした。

 北原の身の回りにはほとんどなにも起きません。目の前で大切な人を失ったりしません。だから北原は戦争を実感できないのです。でも、戦争は実際に起きているのです。自分とは遥か彼方にあると思っている戦争が実は身近にあったりするんだよ、と作者は伝えたいのではないかと思いました。主人公の偵察業務はまるで戦争に参加しているとは実感しがたいものでしたが、実際の戦争でも実はそういうものなのだと。関係ないと思っていることが実は戦争に加担している行為で、まわりまわって人を殺しているのかもしれないのです。 

 起伏のない、当たり障りない物語のようですが、読み終わって考えてみると裏に強いメッセージを感じる作品でした。もっと自覚的になれよと訴えかけてきます。

あはたはこの戦争の姿が見えないと言っていましたよね。もちろん見えないものを見ることはできません。しかし、感じることはできます。どうぞ、戦争の音を、光を、気配を感じ取ってください。

 遠すぎて見えない戦争が起きています。僕らはそれを直接見ることはできませんが、想像することはできます。 想像しなければなりません。

僕たちが戦争に反対できるかどうかの分岐点は、この「戦争に関する底知れない恐怖」を自分のものとして肌で知り、それを自分の言葉として語ることができるかどうかではないかと。スクリーンの向こうで起こっているのではない、現実の戦争の音を、光を、痛みを、気配を感じることができるかどうか。 

 戦争に反対できる人は、戦争を真に知っている人です。戦争の恐怖を知っている人です。だから戦争をもっと知るべきなのだと思います。

 ただ、この物語は最後の方を抽象的な言葉でぼんやりと締めるのです。だから、なんとなくぼんやりとした印象しか残りません。

考えてみれば、日常というものは、そんなものではなかろうか。僕たちは、自覚のないままに、まわりまわって誰かの血の上に安住し、誰かの死の上に地歩を築いているのだ。ただそれを、自覚しているのかどうか、それが自分の眼の前で起こっているかどうか。それだけの違いなのではなかろうか。僕はもう、自分が関わったことが戦争であろうが、なかろうが、そんなことはどうでもよくなった。たとえどんなに眼を見開いても、見えないもの。それは「なかったこと」なのだ。それは現実逃避とも、責任転嫁とも違う。僕を中心とした僕の世界の中においては、戦争は始まってもいなければ、終わってもいないのだ。 

 見えなければ「なかったこと」と言ってしまっています。それでいいのかと。わからないものはわからないじゃないかと開き直ったように感じます。せっかく面白い設定で重要な問題提起をしているのに、ちょっともったいないなと思ってしまいました。

僕はまた、変わらぬ日常へと戻っていく。もちろん、戦争の影を見ることがなかったとはいえ、この半年間の「特殊な日々」は、僕を容易に以前の変わらぬ日常へとは復帰させないかもしれない。それでも僕は、「僕の意志」として、「変わらぬ日常」を生きようと思う。誰かの死によっても変われなかった自分のままで生きようと思う。こうした、変わらぬ日常のその先にこそ、戦争は、そして人の死は、静かにその姿を現わすのだから。 

 変わらぬ日常を生きることが大事なのだと説いて終わるラスト。今までの日常をほんの少しだけでも変えようというメッセージなのかと思いきや、まったくいつも通りでいいと言っているような感じ。主張のブレを感じてしまうのは僕だけでしょうか。

 


テーマとしては伊坂幸太郎さんの「魔王」に近いのかなと思いました。自分だけが自覚できるおかしさに、声を上げることができるか否か。

 

 

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【雨が呼んだ不条理】書評:龍神の雨/道尾秀介

龍神の雨 (新潮文庫)

龍神の雨 (新潮文庫)

 

概要

 大藪春彦賞を受賞した作品。2組の兄弟を主人公に据えた悲劇の物語です。

おすすめポイント

 鬱々として悲しい物語ですが、トリックが仕込まれており、その謎が明らかになる中盤以降はかなりスリリングでした。あまりにも過酷な運命を背負ってしまった兄妹の姿は訴えかけてくるものがあります。

感想

道尾さんの仕掛けた罠

 両親を亡くした2組の兄弟の物語です。片方は継父の横暴に耐えながら暮らす兄の蓮と妹の楓。もう片方は実母のようになりたいと努力する継母と暮らす兄の辰也と弟の圭介。主に蓮の視点と圭介の視点から物語が進みます。

 蓮は働かずにぐうたらと暮らす継父を憎んでいます。妹に手を出そうとしたことをきっかけに、継父を殺そうとします。この設定は貴志祐介さんの「青の炎」と似通っていたので、蓮がいかにして継父を殺し、そしてバレずに生き延びるかというクライムサスペンス的な話に進んでいくのかなと予想して読んでいました。

 しかしそれが実は間違った先入観でした。真犯人が別にいるという可能性が頭から消えてしまって、道尾さんの仕掛けた罠にまんまとハマったしまいました。

 序盤はとにかく鬱々とした展開が続くのですが、仕掛けられた謎が姿を見せる中盤はすごくスリリングで面白かったです。叙述トリックとまではいかないのですが、黒幕の姿は巧妙に隠されていて、「あっ」と思ったときにはもうネタバレが始まってしまいました。気づくのが遅すぎました。

 道尾さんは常々「文章でしかできないことを」ということを仰っています。

作家の読書道:第78回 道尾秀介さん | WEB本の雑誌

 この作品よりもそれが顕著に現れた作品はたくさんあると思いますが(向日葵の咲かない夏とか有名ですよね)、根底にあるものはやはりそれなのかなと思いました。

 辰也と圭介の実母の死の真相に関しても、父が殺した可能性や継母が殺した可能性も微妙に残す絶妙な書き方がなされているわけです。言葉の持つ魔力を最大限に活かしています。

悪運を呼び寄せたもの、遠ざけたもの

 物語中で蓮は「いったいどこが最悪なのだ」ということを度々口にします。蓮たちの運命はとにかく悪い方へ悪い方へと転がり続けるのです。ラストではさらに人を殺めてしまいますし、「継父は実は死んでいなかった」との捨てゼリフも、確かめようがないという点で最悪の捨てゼリフです。 

 一方の辰也・圭介はハッピーエンドとまではいかないものの、良い方へと転がりだして物語が終わります。ここで目を引くのが下の圭介の回想。

しばらく前、圭介はほんの束の間ーたぶん数十秒のあいだだが、兄の心境がすべて理解できたような気持ちになったことがある。テレビで「サザエさん」を見ていて、仲良し家族の笑い声が胸に迫ったときのことだ。兄は、不幸でいたいのかもしれない。自分のことを可哀相だと思う瞬間の、この甘いような、花の奥がちりちりするような感覚が、兄は好きなのかもしれない。だから万引きしてきた商品をわざとテーブルの上に置いておいたりする。里江に叱られ、自分はなんて不幸なんだろうと歯を食いしばり、またあの感覚を味わいたいと思って。

 圭介の分析では、辰也は不幸になりたがっていました。本心かどうかはわかりませんが、不幸を望んだ辰也はハッピーになり、悪運の出口を求めてもがいていた蓮たちはどん底へと落ちてしまいます。なんという不条理な世界でしょうか。でも、それが実は現実によく起きたりするんですよね。

どこかで雨が降る。そこに人がいる。傘をさすのか、濡れて歩くのか。それとも立ち止まり、首を縮めながら、雨がやむのをじっと待つのか。何が正しいかなんて誰にも判断することはできない。しかし行動の結果は思わぬかたちとなって牙を剥き、人の運命を一瞬でコントロールしようとする。ときには人生の足場を跡形もなく消し去ってしまう。それでも最初の選択は当事者の胸に押しつけられる。人は、手にした傘と空とを見比べて立ち往生するしかないのだろうか。

 この世界では、「最初の選択は当事者の胸に押し付けられる」と蓮は言います。選択の結果がどんな影響を及ぼすのかは誰にもわかりません。一瞬で今までの世界が崩れ去ってしまうかもしれません。それでも僕らは常に選択をしなければならず、そしてその責任や失敗した時の後悔は自分が被ることになるのです。 

しかし、だから何だというのだ。雨は決して人を動かしたりはしない。いくつもの場面場面で、自らの行動を決めてきたのは自分自身だった。罪を犯してしまった者が許しを請うことなど、できるはずもない。この手で他人の人生を壊してしまった自分には、もう二度と晴れた空を見上げる資格などない。この雨が降りはじめる前に戻ることができるなら、自分はどんなことでもするだろう。最後に暗い空を振り返り、蓮は思った。日々は、決して晴れた日の川面のようにきらきらと光ってはいなかった。それでも自分の人生は、小さなことで笑い、そのかわり小さなことでも泣いている、平凡で緩やかな川だった。見知らぬこんな場所に流れが行き着いてしまった理由を、蓮は無数の雨滴の先に見つけようとした。しかし、そこにはただ黒々とした闇が広がっているだけだった。いつだって、気づいたときには手遅れなのだ。

「いつだって、気づいたときには手遅れなのだ」というのは蓮が何度か心の中で思うセリフです。上の引用にも現れているように、蓮は実はすごくネガティブな性格をしているのかもしれません。物語では前を向いて頑張ろうとしている様子が描かれていますが、ところどころにすごく後ろ向きな一面がかいま見えるのです。それが悪運を呼び寄せてしまったと考えるのは、スピリチュアルすぎるでしょうか。

 

 

道尾さんの他の作品。こちらも巧妙な罠が仕掛けられていて面白かったです。 

 

叙述トリックの王道といえばこれですよね。緻密な作品でした。 

 

 

オススメの本はこちらにまとめています。

A. 誰にでもおすすめできる/是非読んで欲しい作品

B. 大多数の人が面白いと思うはず/この作家さんが好きなら絶対読むべき作品 

 

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