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本と本の意外な「つながり」ってありますよね

【目指せ覇権】書評:ハケンアニメ!/辻村深月

ハケンアニメ! (マガジンハウス文庫)

ハケンアニメ! (マガジンハウス文庫)

 

概要

 ハケンとは覇権のこと。派遣ではありません。1クール12話のアニメ放送で、同時期の作品の中でのナンバーワンの称号。アニメ制作を仕事としている登場人物たちが、覇権を目指して奮闘する物語です。

おすすめポイント

 複数の視点から物語を描き、アニメ制作の裏側が立体的に描写されていきます。誰もが良いアニメを作りたいという想いで仕事に打ち込む姿に胸を打たれます。自分も仕事を頑張ろうという気分になれます。

感想

 単行本で出版されたのは2014年のことなので、もう6年も前の話なのですね。でも古さを感じませんでした。変化が激しい業界とはいえ、アニメを観る側の意識は大きくは変わっていないのかもしれません。

 僕はゲーム会社に勤めています。アニメとゲームは近い業界なので、共感することが多かったです。作中ではアニメ制作に関わる人はみんなアニメ愛を持っているということが繰り返し言われますが、ゲームも同じだと思っています。みんなゲームが大好きです。

 僕はクリエイターではなく、コーディネーターという立場です。直接手を動かしてゲームを作るのではなく、その前段階や、作り始めてからの外側の調整をする役目です。この作品で言うと有科や行城の仕事に近く、彼らの苦労や、彼らの仕事観により共感を覚えました。板挟みになりながらも、クリエイターに良い仕事をしてもらうために奔走し、クリエイターを守る仕事です。

 

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 有科が冒頭で言う下記の言葉。

香屋子はもう子どもではなく、わからないからこそ神秘的で魅力的だった世界の輪郭を獲得してしまった。専門用語に通じ、技術にさえ詳しくなってしまった以上、それは仕事だから当然だ。誰かのファンになったとしても、それは仕事相手への「尊敬」だという側面が強い。 

 僕がゲーム会社に入ったときに感じたことを、とても上手に言語化していてびっくりしました。これからはファンではなくて、届ける側の一員として働いていかねばならないのだと心に念じた新入社員の頃。自分が大好きなゲームを作った人に出会うこともあるのですが、ファンではなく、仕事人としての尊敬を持って、彼らのような仕事がしたいと思うようになりました。

 もう1つ印象に残ったのが下記の王子監督の言葉。

「どうして、いじめなんて言葉で括らなきゃわからんないかなぁ。わかりやすくしたいなら、そういう理解でもいいけど、ちょっと繊細さに欠けすぎなんじゃない?そんなとこまで行かないような浮き方や疎外感ってのが、この世には確実にあるんだよ。で、そういう現実に溺れそうになった時、アニメは確かに人の日常を救えるんだと思う」

 いじめとまではいかなくても、なんとなく環境になじめないということは往々にしてあると思うのです。悩んでいる人にとって、アニメやゲームは救いになれる。誰かの救いになればよいなと思って、今日も仕事を頑張ろうと思えます。

 本気で頑張っている人たちの姿勢に共感できるから、いろいろな場面でじーんと目頭が熱くなりました。

 

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 小説としては、視点が切り替わるごとに少しだけ時間を動かしていくという面白い構成をとっていました。別の視点から「その後」を描くというのは簡単なように見えて難しいことだと思います。肩に力をいれずにさらっとやっているのが本当にすごいです。

 王子監督の「リデルライト」と斎藤監督の「サバク」の、どちらが覇権を取るのだろうと思って読み進めていくと、ぽっと出の第三者が覇権を取ってしまう。辻村さんらしい決着の付け方だなと思いました。そのうえで、「覇権」とは数字ではないということを語れるのが、ちゃんとアニメファンのことをわかっていて素晴らしかったです。

 第3部で、今まで出てきた登場人物が1つのお祭りに向けて収束していくシーンは、とっても胸が熱くなりました。アニメを作るというのは傍から見ると地味な絵になってしまうと思うのですが、こういう盛り上げポイントがあると、面白い物語になりますね。

 

****

 

 この作品も辻村ワールドの一部。「スロウハイツ」で登場したチヨダコーキが脚本を書いてみるという挑戦をしていました。飄々とやってのけるのが彼らしいですね。物語の最後で王子監督が行城プロデューサーとデビュー作「V. T. R.」を実写化すると言っていたのも胸熱でした。 

 

  

 

僕のオススメの本はこちらにまとめています。

A. 誰にでもおすすめできる/是非読んで欲しい作品

B. 大多数の人が面白いと思うはず/この作家さんが好きなら絶対読むべき作品 

 

【新時代の企業戦略】書評:D2C 「世界観」と「テクノロジー」で勝つブランド戦略/佐々木康裕

概要

 今までとは全く違うメーカーが現れている、ということを解説した1冊です。モノだけを作るのではなく、プロダクトにストーリーを作り、デジタルを駆使して販売戦略を組み立てる企業。Direct to Consumerを略してD2Cと呼ばれています。

感想

 自分のおさらいも兼ねて、本書から表を2つ引用します。

 

D2C企業と伝統的な企業との違い

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D2C企業と伝統的な企業の世界観の比較

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 正直に言うと、わかるような、わからないようなという感じなんですよね。これは著者が触れていますが、アメリカと日本の違いに起因しているのでしょう。

 アメリカではリーマンショックで世代が大きく分断されました。景気減速を理由に雇用に大きな影響が出たので、ミレニアル世代以下はお金がなく、今までとは違う倫理観を持っているとのことです。一方バブル崩壊を経験した日本では、リーマンショックでそこまで大きく雇用を絞らなかったので、目に見える形で世代の分断が起きていません。

 アメリカで新たに現れたミレニアル世代以下の人たちに刺さるのがD2Cのやり方です。日本ではまだまだ浸透していないのが実情だと思います。上の表を見てもイマイチピンときません。

 D2Cは価格が安価だと言いますが、日本は長らくデフレが続いているので、良いものが安く買える環境がずっと続いています。価格が優位性につながらないのでしょうね。

 

*****

 

 アメリカで流行ったものはやがて日本にもやってきます。D2C企業がアメリカでこれからも繁栄を続ければ、いずれ日本にもそのトレンドがやってくるでしょう。

 デジタルを主戦場にしてデータドリブンで経営を進めていくというやり方は、すでに日本でも取り入れられています。プロダクトそのものではなくライフスタイルを売るというやり方も、無印良品みたいな感じでどんどん浸透してくるのではないでしょうか。

 つまり、部分的に取り入れていくということになると思うんですよね。例えば、プロダクトにストーリーを付与するとはどういうことかを示した下記は参考になる考え方だと思うのです。

「プロダクトがコンテンツ化する」とは、「プロダクトがストーリーをまとう」ということだ。ストーリーをまとったプロダクトは、意味レベルの価値を持つ。そして、意味レベルの価値を持ったプロダクトは、機能レベルでの比較などされない。他のプロダクトとまったく違う価値を持ち、マーケットの中で、ユニークで絶対的なポジションを獲得することができる。

 アメリカとは違う形で、日本の企業にも徐々に変化が出てくるのだろうと思います。アメリカの事例を学んでおくことで、その変化を先取りすることができるかもしれません。そういう意味で、頭の片隅に置いておきたい内容だなと思いました。

 

 

僕のオススメの本はこちらにまとめています。

A. 誰にでもおすすめできる/是非読んで欲しい作品

B. 大多数の人が面白いと思うはず/この作家さんが好きなら絶対読むべき作品 

 

【異世界医療が紡ぐ命の物語】書評:鹿の王/上橋 菜穂子

鹿の王 1 (角川文庫)

鹿の王 1 (角川文庫)

 

概要

 2015年本屋大賞第1位、そして第4回日本医療小説大賞を受賞した作品です。ファンタジー世界を舞台にした医療小説という異色の設定なのですが、丁寧に語られる物語にとっつきにくさは全くありません。

おすすめポイント

 恐ろしい感染症と対峙する人々の思惑を描く中で、「命」という究極のテーマに迫っていく壮大な作品です。老いや病が原因となり人はいつか死んでしまうという絶対的な事実を前にしても、勇敢に進んでいく人々に勇気づけられます。

感想(ここからネタバレします)

国家と身体

 様々な要素が組み合わされ、大長編となっている作品です。どこから感想を書いていこうかととっかかりを探していたのですが、あとがきで上橋さん自身が書いていた、この作品が書かれることになったきっかけから追っていくのが良さそうです。

『破壊する創造者』という、生物進化論の本です。人の身体を侵す敵であるウイルスが、時として、身体を変化させる役割を担う共生体としてふるまうことがあるのではないかという発想から、様々な事象を検証していく内容で、(略)

 人間の体の中には様々な菌類が住み着き、ときにはウイルスに侵入され、それを追い払う白血球などが生成されたりしています。私たちの身体は単一の生命体として存在しているようでミクロの世界ではベクトルの異なる生命活動がぶつかり合って、絶妙な均衡の上に成り立っています。

身体も国も、ひとかたまりの何かであるような気がするが、実はそうではないのだろう。雑多な小さな命が寄り集まり、そそれぞれの命を生きながら、いつしか渾然一体となって、ひとつの大きな命をつないでいるだけなのだ。
そういう大きなー多分、この世のはじまりのときに神々がその指で紡ぎ出したー理の中に、我々は生まれ、そして、消えていく。
小さな泡のような、一瞬の生。

 異なる人種の人間が住み着き、主義や思想もバラバラで、各々がそれぞれの生活を守るために寄り集まっている国家と、構造は同じなのではないか。そういうミクロとマクロの共通点を下敷きにして、この本の大枠が形作られているのだと私は解釈しました。

 そして、そんなバラバラな個である人間の代表として、全く共通点のない2人の主人公が、1つの病を通じて運命的な邂逅を果たします。彼らも私たちと全く同じように、「小さな泡のような、一瞬の生」を懸命に生きようとします。その姿勢に心を打たれるものがありました。

2人の主人公

 上記の思想に沿って形作られた大枠の中で、2人の魅力的な主人公が、それぞれの使命を全うしようと命を賭して戦います。2人は真逆で、全く似ていません。物語の中で触れ合う時間も長くはありません。しかし、まぎれもなくこの2人だけが描ける、命の物語が展開されていきます。

ヴァン

 最愛の妻と子を亡くした絶望の中で、命を捨てて戦っていた戦士。病で生き残ってしまった者。

 彼はすべてを諦めた人です。でも、再び見つけてしまった人でもあります。愛する人と、かけがえのない命の繋がりをもう一度手に入れてしまいました。それゆえに彼は悩むのですが、立派に前に進んでいく心意気が本当に素敵な人だなと思いました。

(病に命を奪われることを、あしらめてよいのは)
あきらめて受け入れる他に、為すすべのない者だけだ。
他者の命が奪われることを見過ごしてよいのは、たすけるすべを持たぬ者だけだ。
閉じた瞼の闇に、小さな鹿が跳ねるのが見えた気がした。渾身の力をこめて跳ね上がるたびに、命が弾けて光っていた。
(・・・踊る鹿よ、輝け)
圧倒的な闇に挑み、跳ね踊る小さな鹿よ、輝け。

 タイトルにもなっている「鹿の王」という言葉の意味には驚きました。犬を操る「犬の王」なる者が現れたので、「鹿の王」は鹿を操る人のことなのかなと思って読み進めていたのですが、答えは真逆。群れのために、命を投げ出す者。傍からみると命知らずの大バカ者。

 ヴァンのように、本当に命の大切さを知っていて、それでいて諦めを心の内に秘めている者。そんな存在だけが「鹿の王」になれる、なってしまう。それはある意味悲しいことです。しかし完全な悲劇ではなく、敬意を払われるべき、素晴らしき犠牲としてヴァンは「鹿の王」になります。この塩梅、すべてを読まないとなかなか伝えられないなと思いました。

ホッサル

 医術の探究者。高貴なる若者。傲慢の中に光る優しさ。医術のすべてを解き明かそうと理想に燃える若者。それでいて、たくさんの人の生死を見つめた結果、やはりどこかに諦めを悟った人でもあります。

病が神の手であり、死が在ることの意味を見せてくれているとしても、なお、そんな冷たい世界の中で、ちっぽけな命として生きていかねばならないのが人なのだ。
(その哀しみをーどうしようもない哀しみを背負って、それでも、もがいている者の手助けをするために、おれは医術師になったのだ)
滔々と流れる大河の中で、浮き沈みしながら、ようやく生きている小さな命をたすけるために、医術師になったのだ。

 助けられない命があることを彼は知っています。それでも、もがいている人を救いたいと医術の道を究めようとするその姿勢は、命というものに対してとても真摯です。

 清心教という、医術をある種の呪術と解釈し、非科学的な治療を行っている人たちとホッサルは対立をしています。ただ、病から回復する者とそうでない者の差を見つめれば見つめるほど、ホッサルの思想の中にも清心教的な考え方が含まれていることに気づきます。「病は神の手」であり、100%の制御はできないと知りながら、懸命に生きる人をホッサルは治療するのです。

ラスト

 森の中に消えてしまったヴァンを、みんなで追いかけようと決意し、物語は途切れます。見つけるところまで見せてほしいという寂しさはあるのですが、ユナとサエがいれば絶対にヴァンを見つけてくれるという安心感もあります。民族やしがらみを越えた、愛ゆえの行為に、胸が熱くなります。

 ホッサルはこの物語の中で起きたことを振り返り、以下のように思いを吐き出します。

(生き物はみな、病の種を身に潜ませて生きている)
生の中には、必ず死が潜んでいる。
(それでも、そうして生きるしかない。かぼそい命の糸を切られてしまわぬように、懸命に糸をつなぎ直しながら)
生まれて、消えるまでの間を、哀しみと喜びで満たしながら。
ときに、他者に手をさしのべ、そして、また、自分も他者の温かい手で救われて、命の糸を紡いでいくのだ。

 なんと冷静で、なんと温かい生命観でしょうか。「鹿の王」という大長編が、徹底して命の有り方について書かれているからこそ、この言葉はとても染みます。人間は脆いものです。病には勝てません。必ず老いて死ぬその定めのなかで、他者の命の糸を繋ぎ、自分の糸を繋ぎなおしてもらいながら、一緒に生きていくのです。永遠でないこの一瞬の命を、いかにして生きてゆけばよいか、ヒントをもらった気分になりました。

著者あとがき

 あとがきの中で上橋さんは、この作品の執筆中にご自身の母親を看取ったことを書かれていました。そこを読んでいるときになぜか涙が止まらなくなってしまいました。現実の体験として、命に真正面からぶつかったからこそ、この作品中の言葉には本当に説得力がありました。

 1つの作品を通して、壮大な生命の営みの深淵に、ほんの少しだけ触れたような気がします。私のつたない言葉で書き記すことは難しい、繊細な死生観が表現された作品でした。ぜひ読んで頂きたいです。Aランクに入れておきます。

 

 

僕のオススメの本はこちらにまとめています。

A. 誰にでもおすすめできる/是非読んで欲しい作品

B. 大多数の人が面白いと思うはず/この作家さんが好きなら絶対読むべき作品 

 

上橋さんが書いた「獣の奏者」も傑作でした。

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【残業を減らせ】書評:人間使い捨て国家/明石順平

 

人間使い捨て国家 (角川新書)

人間使い捨て国家 (角川新書)

 

概要

 著者はブラック企業訴訟に数多く携わってきた弁護士。人間を使い捨てるように働かせる日本企業の問題点を糾弾し、解決策を提言する一冊です。

おすすめポイント

 僕自身の肌感覚として、本書の主張は真っ当だなと感じました。労働者にきちんと対価を払い、稼いだお金を消費に回してもらわないと日本全体が沈没していってしまうのではないかと思います。

感想

 「人間使い捨て国家」。なかなかインパクトのあるタイトルだと思いませんか。センセーショナルなタイトルを付けて、なかば炎上気味に売り上げを取りに来ている本なのかなと読む前は思っていました。

 著者は労働問題をメインで扱う弁護士さん。彼の主張を端的にまとめたタイトルが「人間使い捨て国家」であり、最後まで読むと良いタイトルだなと思うようになりました。日本の法律が、人間の使い捨てを助長するものになっている現状を鋭く指摘した一冊です。

現状

 経団連と密接に結びついた自民党政治、そしてアベノミクスの負の側面が、最近ようやく顕在化してきているように思います。自分の仕事を通して日本の消費者の動向を見たときに、明らかに悪くなってきているのです。

 日本人にはカネがありません。しかも、カネだけでなく時間もないようなのです。長時間低賃金労働で、消費がどんどん縮こまっています。もともと、自民党の政治には反対派ではなかったのですが、時間をかけてゆっくりと、日本の経済が悪い方向へと進んでしまったのかもしれないと思うようになりました。

 企業や経営者を第一に考えた政策を実行していると、消費者の生活が苦しくなり、結局は企業の業績が悪くなってきます。それが目に見える形で表れてくるまでに、時間がかかったということなのでしょう。

解決策

 本書で多くの紙面が割かれているのが、残業代の支払いをあの手この手で回避しようとする企業の実態であり、それを防げていない法体系の話です。法律を厳格化して、ちゃんと残業代を支払わないといけないようにすれば、残業代を抑えるために残業そのものが抑制されてくるだろうというのが筆者の主張です。

 いまはそれなりに景気が良いので、残業そのものは減らないのではというのが僕の肌感覚ではありますが、残業代が増えればその分だけ消費に回ることになるでしょう。最近、有給消化が厳しく監督されるようになったので、僕の会社でも有給に関する制度が変わりました。正しく法律を変えれば、その効果はちゃんと出てくると思います。

 そのほかにもいろいろな提言がなされていますが、メインの主張はとにかく残業をなんとかしろというふうに僕は受け取りました。長時間低賃金労働になっている一番の原因は残業代が支払われないことだと思います。企業の業績に大きく影響することなく、少しずつ良い方向に変わっていくと良いですね。

 

 

労働に関する本。

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【結婚式場のドタバタ】書評:本日は大安なり/辻村深月

本日は大安なり (角川文庫)

本日は大安なり (角川文庫)

 

概要

結婚式場の1日を追いかけていく群像劇形式の長編小説です。この日執り行われれる4組の式には、それぞれ問題がありました…。無事に幸せな式を上げることはできるでしょうか?

おすすめポイント

 最近友人の結婚式に立て続けに出席した自分としては、なかなかリアルな話だなと思いながら読んでいました。辻村深月さんらしいミステリー調の展開で、先が気になるお話の作り方でした。

感想

 4組が1つの会場で式をあげる様子を描いていきますが、それぞれの物語の重なりは大きくはありません。それぞれに1つずつのドラマがあります。

相馬家・加賀山家

 双子姉妹である新婦の、姉と妹の両方の目線からお話が展開されていきます。双子ならではの、そして女同士ならではの繊細でややこしい問題が丁寧に紡がれます。辻村さんらしいなあと思いながら読んでいました。良く似ている双子だけに芽生えてしまう対抗意識のようなものは、さすがに双子じゃないとわからないなあという感じでした。

十倉家・大崎家

 この式を担当するウエディングプランナー山井の目線で語られます。1番面白かったです。

 嫌なクライアントに当たってしまった担当者の苦悩のお話です。しかもウエディングプランナーは相手の幸せを願わなければならない仕事。この仕事ならではの葛藤に焦点を当てたお話でした。

 辻村さん自身が結婚式場を取材されたようで、本当にこんな苦労があるんだろうなと同情してしまいます。ウエディング業界の裏側に踏み込んだ内容でもあり、一生に一度だからという理由で高いお金を払ってもらうことを、リアルに描いたお話でもありました。

東家・白須家

 新婦の弟の目線から展開されます。親から結婚にケチをつけられたカップルのお話。これもあるあるですね。終始、子供の勘違いだったという結論ありきでお話が進んでいる感じがあったのであまり好きなタイプではありませんでした。

鈴木家・三田家

 新郎の目線なのですが、すべてが清々しいほどのクズ男な新郎のふるまいに終始イライラさせられっぱなしのお話でした。別作品のキャラが絡んでくるお話なので、そこに見せ場を作りたかったのかなと思いました。

別作品とのつながり

 辻村深月さんの作品は、緩い繋がりが形成されていることが多いです。今回も2点ありました。

狐塚、恭司、月ちゃん

 東家の物語で登場する狐塚は狐塚孝太、恭司は石澤恭司。どちらも「子どもたちは夜と遊ぶ」の登場人物です。名前を隠すことが多いですが、今回はストレートに登場してきました。

 二人は大学の同級生で、新郎の東も同じ大学だったということでした。「子どもたちは…」は、狐塚は大学院へ進学し、恭司は商社に就職したものの辞めてフリーターになった頃の物語でした。この時間軸ではどんな生活を送っているのでしょうね。

 恭司が「月ちゃん」と呼ぶ友達が、鈴木家のクズ男の彼女の貴和子と友達ということでした。「月ちゃん」は「子どもたちは…」の月子でしょうね。

礼華女子高

 貴和子と、加賀山家の双子の妹である妃美佳は礼華女子高の出身とのことでした。この高校は「名前探しの放課後」の登場人物である椿が通っているお嬢様高校ですね。

 作中で椿には言及していなかったように思います。彼女たちの年代が近いかどうかはわかりませんからね。一方、貴和子と妃美佳は年齢的には近いはずですが、この二人のかかわりも特に示唆されませんでした。

  

 

僕のオススメの本はこちらにまとめています。

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合わせてどうぞ。

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【解説が本編】書評:V.T.R./辻村深月

V.T.R. (講談社文庫)

V.T.R. (講談社文庫)

 

概要

 「スロウハイツの神様」の登場人物「チヨダコーキ」のデビュー作をそのまま文庫にしたという、面白い建付けの作品です。「スロウハイツ」を読んだあとに、表紙や帯や解説まで含めて楽しむのが正しい味わい方です。

おすすめポイント

 短い作品なので、「スロウハイツ」と一緒にぺろっと読んでしまうのがオススメです。赤羽環はこういう作品に影響を受けて育ってきたんだなというところがとても感慨深い一冊でした。

感想

 最後のたった数ページなのですが、赤羽環による解説が本編みたいなところはあるかなと思いました。そもそも環のメッセージそのものにもすごく共感するのですが、「スロウハイツ」で起こった出来事を乗り越えた彼女の心境が透けて見えて、立体感を感じられる構造になっています。

こんなにおいしいケーキを、日常のものとして知っている作家と、田舎で彼の本を読むことしかできない自分とが、なんて遠いのかと、それを思うと、涙が出た。

  「スロウハイツ」の出来事が起きる前、赤羽環とチヨダコーキの間には、こんなにも距離があったんですよね。その隔たりを、環は文字通りの死に物狂いで飛び越えていき、いまではこんなに偉そうに解説を書くまでになっているのです。感慨深い。

 幼少期に環がどんな想いでチヨダコーキの本を読み、その経験をいまどう思っているのかが、短い文章ですが克明につづられていきます。「スロウハイツ」の中では多くを語らなかった彼女の、熱い想いを感じ取れます。

人は誰も、十代の頃に自分にとっての「神様」と呼べる存在と、一生ものの出会いをする。それは、現実の誰かでも、芸能人でも、作家でも、歌手でもいい。そんな出会いに心当たりがないという人がいるとしたら、気の毒に思う。十代の頃、誰とも出会わなくてももちろんいい。問題なくそれで生きていけるなら、そんなまっとうな生き方は素晴らしいとさえ思うが、私にはできない。そして、神様は確実に、私の人生を豊かにしてくれた。

 この文章の内容にはそもそもすごく共感するのですが、環が言うからさらに説得力があるんですよね。幼少期にチヨダーキの本をむさぼるように読んだ経験を礎にして、彼女は脚本家としての才能を爆発させました。それと同時に、辛い境遇に置かれても彼女はめげずに歯を食いしばって生き延びることができました。バックグラウンドを知っているからこそ、環が書いた解説の行間が読めるような仕掛けになっていて面白いです。

鈍化した大人が薦める読み物や、何ら魅力を感じない文化の対岸にある、エッジの立った本を探して読み、アニメや漫画に触れて、歌を聴き、「ここが時代の最先端」と思えることは、あなたたちの特権だ。どうぞ、権威の向こう側に行った愚鈍な大人を思う存分バカにして、彼らに向けて言葉の引き金を引いてほしい。

 僕自身、20代の後半に差し掛かり、さらにゲームを作るという仕事をしている関係上、環の言っていることにすごく共感ができます。10代のころのように夢中になってゲームにプレイできなくなった自分が、環の言葉を借りるなら、権威の向こう側に行ってゲームを作っているのです。時代の最先端は、いまの10代にあるということを、忘れずに生きていきたいですね。

 

*****

 

 幼少期にハマったコンテンツは、自分の”芯”になります。ゲームを作るときは今までの自分のゲーム体験を振り返る機会が多く、「このゲームのココが面白かった」という記憶はある種の財産になって、いまの自分の仕事を支えてくれています。

 この解説が書かれたのが「スロウハイツ」のころから何年経過したのかはわかりません。環は解説の中で「余生を生きるクリエイターの一人」と自らを称していますが、実際そんなにおばあちゃんになったわけでもないはず。この言い方が面白いなと思ったのは、楽しむ側から作る側に回った人間は、エンターテインメントの世界では”老いた側”という見方です。

 ゲーム業界だとまだまだヒヨコのような若輩者の自分ですが、実は広い目でみると自分はもう”老いた側”である。大切なことを再認識させてもらいました。ちゃんとお客さんの方を向いて商売していきたいものですね。

 

*****

 

 「V.T.R」の話に戻りましょう。この作品はチヨダコーキのデビュー作です。つまり、「スロウハイツの神様」で描かれていたストーリーが展開されるよりもずっと前に書かれたお話。彼らがまだ出会っていなかったころに発表された物語ということになります。

 「スロウハイツ」との関わり方でもっとも大きなものは、解説で環が書いていたとおり、幼少期の環が貪るように読んだ中の一作ということだけです。実はそこまで大きくはありません。

 アールの生き方が環のようだなという考えが一瞬頭をよぎるのですが、「V.T.R」が書かれた時点でチヨダコーキは環のことを知らないわけで、むしろ環がアールのようになったと捉えられる時系列です。解説の中ではアールのファッションにあこがれていたエピソードが記されていて、内面のことはとくに語られていません。そこまで書くのはさすがに個人的すぎて、恥ずかしかったのでしょうか。

 チヨダコーキはこういう物語を書いていたのだなと知れるのも面白いポイントですね。たしかにこれは小中学生が好きそうなお話だなと。辻村深月さんは普段こんな文体では書かないので、別人格を筆に乗り移らせたのだなと思うと、作家さんってすごいなと感心してしまいます。

 

 

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【経営戦略の名著】書評:企業参謀―戦略的思考とはなにか/大前研一

企業参謀―戦略的思考とはなにか

企業参謀―戦略的思考とはなにか

 

概要

 大前研一さんの名著。何度も改定を重ねられています。初期の部分は1975年に書かれたということで、実に40年以上も前なのですが、全く色あせない面白さがあります。

おすすめポイント

 難しい内容のはずなのに、不思議と簡単に読めてしまうのがすごいところです。僕は経営に直接かかわったことはないのですが、意外と内容が理解できるものだなと驚きました。著者の技量の高さを思い知ります。

感想

 「企業経営を戦略的に考える」というテーマは、ものすごく需要がある一方で、会社ごとに状況が全く異なるため、一般化しにくいと思っています。経営戦略を助けることを仕事としているのがコンサルティング会社であるわけで、大前さんはマッキンゼーで働いていた中で得た知識をわかりやすく解説してくれています。いろんなノウハウがあるのだなあと勉強になりました。

 戦略的思考とは何かということを突き詰めた、次の一文が心に残りました。サラリーマンとして求められる技量そのものだと思います。

私が戦略的思考という場合には、戦うときと退くとき、また妥協の限界を常に測定しながら、究極的には、自分にとって最も有利な条件を持ち込む、柔軟な思考方法を指している。状況の変化によって、最も現実的な解を導き出せる頭脳の柔軟さを指す。白か黒でないと、考えられないというような硬直した頭ではなく、どのくらいの灰色までなら妥協してもよいかを判断できる人物が戦略的思考家である。

 いろいろなトピックについて書かれていますが、PPM(Product Portfolio Management)については多くの紙面が割かれていて、知識ゼロだった自分もだいぶ理解が深まりました。そんな業態であっても、どの製品にどのぐらいのリソースを投入すべきかというのは最重要の検討課題なので、こういうフレームワークを知っていると役に立ちそうだなと思いました。

 いろいろなことが網羅的に書かれている本ですが、ここに書かれていないことはなにかを考えるのも面白いかもと思いました。この本が書かれた当時は、ソフトウェア産業がまだ発達していなかったのですね。マイクロソフトGoogleなどがまだ出現していない時代。ソフトウェアは材料や原価をあまり考えないため、ゲームチェンジが起きた事例ですよね。企業を経営していくという本質においては、あまり変わらないのかもしれませんが。

 

 

その他ビジネス関連の本。

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