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本と本の意外な「つながり」ってありますよね

【人口から分析する日本経済】書評:デフレの正体 経済は「人口の波」で動く

デフレの正体  経済は「人口の波」で動く (角川oneテーマ21)

デフレの正体 経済は「人口の波」で動く (角川oneテーマ21)

 

概要

 緻密なデータ分析からデフレの正体に迫る一冊。従来の経済学の理論を覆す驚きの理論が展開されます。

おすすめポイント

 経済学の知識がない僕でも面白く読めました。非常にわかりやすく書かれています。何事も客観的なデータを土台にして考えるのが重要であるということが学べる一冊でもあります。

感想

 端的に言ってしまえば、デフレの原因は若い人口が減っていること、という結論が導かれます。そこに至るまでに様々なデータを示し、客観的な事実からその答えに至った道筋を示していきます。

 この本から学べることは2点あると思いました。1点目は本題であるデフレの正体について。デフレがなぜ解消されないのか、今後日本はどうすればいいのかについて具体的な提言がなされています。2点目はデータを見るということの大事さです。世の中の雰囲気に流されることなく、実際の数字を読むことがなによりも確かなことです。緻密な分析を通して、数字の持つ確実性を示してくれる1冊です。

デフレの原因

 1点目のデフレの正体についてですが、僕は経済学の類を一切学んだことがないので経済学的な解釈は知りません。ですから、本書で繰り返し主張される「若者が減っているから内需が落ち込んでデフレになっている」ということは違和感なく受け止められました。もちろん様々な原因があるかと思いますが、国内の消費が萎んでいるのは間違いなく人口の変化に一因があるでしょう。

現在「一〇〇年に一度の不況」のせいにさらている現象の多くが、実は景気循環とは関係ないところで、このような住民の加齢によって起きているものなのです。「一〇〇年に一度」どころの騒ぎではない、今起きているのは日本始まって以来の「二千年に一度」の生産年齢人口減少なのですから。 

 日本の人口は今まで増え続けてきましたが、最近ようやく減少に向かい始めました。家も車も、主に若者が買うものです。その若者がどんどん減っている。今までこんな状況に陥ったことはありませんでした。一大転機なのです。経験則で対応できるものではないのでしょう。あたふたしてしまうのもある意味当然なのではないかと思います。

 内需が縮小していくのはやむをえない流れです。本書で挙げられている対策として有効そうだなと思ったことが2点ありました。

 1つ目は観光客を呼び込むことです。国内では消費者が減っているのなら、海外から呼ばなければならない。当たり前の思考法です。最近は中国からの観光客が非常に増えて景気が良いですが、まさに予言が当たった形になっています。

 2つ目は高級ブランドを育てることです。内需が縮小するなら海外で売らねばなりません。人件費がどうしても高くなりがちな日本製品を海外で売るためには、ブランド力を磨くしかありません。イタリアやスイスはそれに成功していて、立派に外貨を稼いでいます。これも重要な指摘だと思いました。

データを見ること

 2点目のデータを見ることの大切さですが、データを一切見ないのは論外だとして、どのデータを参考にするかというのも非常に大事なポイントです。著者曰く、日本人は意味のないパーセンテージばかりにこだわって、絶対数を見ないのがよろしくないとのことです。

つまり恒常的に失業率が低い日本では、景気循環ではなく生産年齢人口の波、つまり「毎年の新卒就職者と定年退職者の数の差」が、就業者総数の増減を律し、個人所得の総額を左右し、個人消費を上下させてきたわけです。これを理解せず、就業者増減を見ないで(失業者増減さえも見ずに)失業「率」と有効求人倍率で景気を論じるというのが日本で広く見られる謎の慣行であるわけですが、そういう景気判断が、就業者数に連動している日本経済の現実とずれるのは当たり前です。 

 就業者の数と失業者の数を見るのではなく、失業率と有効求人倍率ばかりにフォーカスをする日本の社会。これでは絶対数がどうなっているのかを知らぬまま、景気が良いだの悪いだのと議論をする羽目になってしまいます。都合のいい数字だけをこねくり回すのは一種のマインドコントロールだと書かれていました。操られないようにしたいものです。

 では僕らは何に気を付ければいいのか。僕らが社会で解決すべき問題には明確な解決策がありません。受験とは全く違ったものです。

 日本のお受験エリートの思考様式の大きな欠陥がここです。彼らが得点競争に勝利してきた試験の世界では、「理由つきで証明されている」ことだけが出題されてきました。その結果として、証明つきでオーソライズされた命題はたくさん覚えているのですが、証明ができない命題にどう対処するかという訓練ができていないのです。そんなの対処しようがないって?違います。証明はできなくとも、反証があるかどうかは簡単にチェックできる。反証のないことだけを暫定的に信じる、明確に反証のあることは口にしないようにすることが、現代人が本来身につけておくべき思考法です。実際には世の中の事象の多くは証明されていない(証明不可能な)ことなのですから、反証があるかどうかを考えて、証明はできないまでも少なくとも反証の見あたらない命題だけに従うようにしていれば、大きな間違いは防げるのです。 

 大きな間違いを防ぐことがまず重要であって、そのためには反証を探すことです。これは心掛けたい習慣だなと思いました。

 日本の経済問題という重大な課題を前にして、全くひるまずに持論を展開していく勇気に感動すら覚えます。面白かったです。Bランクに入れます。 

 

 

 

著者の藻谷さんの別の本。こちらも非常に面白かったです。

 

 

人口増減が種々の社会問題を引き起こしていると主張する本。

 

 

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【アル中地獄と生きる道】書評:今夜、すべてのバーで/中島らも

今夜、すベてのバーで (講談社文庫)

今夜、すベてのバーで (講談社文庫)

 

概要

 中島らもさんが吉川英治文学新人賞を受賞した作品です。おそらく作者の実体験が下敷きになっています。主人公の小島がアルコール依存症治療を受ける様子を描いています。

おすすめポイント

 アルコール依存症に関して入念な下調べがなされており、勉強になる一冊。しかし決して堅苦しくはなく、ひょうひょうとした性格の小島と、周りの個性的な人物が織りなす笑いあり涙ありの物語です。お酒に関する名言のオンパレードで、是非色んな人に読んで貰いたいと思える作品です。Aランクに入れます。

感想

 主人公の小島が病院に入院するところからスタートするこの物語。最初はどんな方向に転がっていくのか見当がつきませんでした。 

 この作品はアルコール依存との戦いを描いた作品です。設定だけ聞くと地味なのですが、素晴らしい文章に引き込まれました。アルコール依存とはいかなるものか、その治療法はどんなものなのか、そして何故人間はお酒に依存してしまうのか。おそらく作者の体験を下敷きにしたであろうこの物語からは、強い説得力を感じます。言葉のひとつひとつがずしりと重みを持っている一方で、ウィットに富む軽やかさがあり、すんなりと頭に浸透してきます。

アルコール中毒の原因

 アルコール依存症はお酒が切れると手が震えだす人のことを言うのだろうか、ぐらいの程度の知識しかない状態で読み始めました。自分が無知だったことを思い知らされました。この作品に出てくるアル中の患者は四六時中お酒を飲んでいる連続飲酒の状態に陥ったり、お酒を飲まないと肉体的にも精神的にもやってられない状態になっています。そこまで人は追いつめられるのだなと衝撃を受けました。

 なぜ、そんな状態になるまで飲んでしまうのか。キーワードは「時間」です。

退屈がないところにアルコールがはいり込むすき間はない。アルコールは空白の時間を嗅ぎ当てると迷わずそこにすべり込んでくる。

アル中の要因は、あり余る「時間」だ。国の保障が行き届いていることがかえって皮肉な結果をもたらしていることになる。日本でもコンピュータの導入などによって労働時間は大きく短縮されてくる。平均寿命の伸びと停年の落差も膨大な「空白の時間」を生む。「教養」のない人間には酒を飲むことくらいしか残されていない。「教養」とは学歴のことではなく、「一人の時間をつぶせる技術」のことでもある。 

 一人の時間をつぶせる技術を持たない人間が酒の誘惑に負けた時、アルコール依存への扉が開きます。逆に日々忙しくしている人間は、アルコールと関わることがあっても依存症にはなりません。自分の時間をどのようにコントロールしているかが問われているのだなと思います。

何かに依存してしまう人たち

 依存を引き起こすのはアルコールだけではありません。タバコやドラッグも引き合いに出されます。それらの間にさして大きな違いがあるわけではなく、日本ではお酒が簡単に手に入りすぎるから、アル中が非常に多いのだとか。

おそらくは百年たってから今の日本の法律や現状を研究する人は、理不尽さに首をひねるにちがいない。タバコや酒を巨大メディアをあげて広告する一方で、マリファナを禁じて、年間大量の人間を犯罪者に仕立てている。昔のヨーロッパではコーヒーを禁制にして、違反者をギロチンにかけた奴がいたが、それに似たナンセンスだ。まあ、いつの時代でも国家や権力のやることはデタラメだ。 

 マリファナをはじめとした禁止薬物の方が、アルコールより身体的被害が少ない場合もあるそうです。しかしお酒とタバコの既得権益がのさばりきってしまったこの日本では、この状態を覆すのは容易ではないでしょう。大手を振って陳列されているからといって、安全なわけではないのですね。

 アルコールにしろ薬物にしろ、依存症になる人は依存症になります。そのメカニズムも考察されています。主人公の小島曰く、みじめな現実を直視できるか否か。依存症になってしまう人間とならない人間との分かれ道がそこにあります。

「みじめな状態でいるよりは意識を失っていたほうがマシ」・・・か。みじめな人間がすべてジャンキーになるのだったら、世界中にシラフの人間は一人もいなくなるだろう。同じ苦痛を引き受けて生きていても、中毒になる人間とならない人間がいる。幸か不幸か、なにかの依存症になってしまった人間が、一番言うべきでないのが、プレスリーの台詞なのではないか。中毒におちいった原因を自分の中で分析するのはけっこうだが、"みじめだから中毒になりました"というのを他人さまに泣き言のように言ったって、それは通らない。それでは、みじめでなおかつ中毒にならない人に申し訳がたたない。"私のことをわかってくれ"という権利など、この世の誰にもないのだ。

 自分がみじめであるという現実を突きつけられたとき、目をそらすために酒をあおって酩酊する。ドラッグを吸って昏倒する。一度そちらの道に踏み出してしまったら、身体的な依存性も相まって抜けられなくなるのではないでしょうか。いくらお酒が手軽に手に入るからといって、そのような使い方をしだしてしまうと、アルコールは僕らを地獄へと引きずり込むのでしょう。直視するのがつらいほどの現実が僕に降りかかってくる可能性は低くないと思います。そんなとき自分がどうするか。どうなってしまうのか。考え出すとちょっと怖くありませんか。

アル中の呪縛からの脱出

 小島は自分自身が弱い人間だと自覚しています。わかっていても、お酒からは逃れられません。逆に嫌というほど自覚しているからこそ、逃げるのが難しいのかもしれません。一体どうすればいいのだろうと暗澹たる気持ちになるのですが、幸運にも小島の周りには未来を示してくれる人物がいます。

 同室の綾瀬君の死と、赤河医師との対話がひとつのきっかけになっているような気がします。未来ある若者の命が小島のすぐ近くで呆気無く奪われました。

子供なんてのは、人生の中で一番つまらないことをさせられてるんだからな。私だって十七までに面白いことなんか何ひとつなかった。面白いのは大人になってからだ。ほんとに怒るのも、ほんとに笑うのも、大人にしかできないことだ。なぜなら、大人にならないと、ものごとは見えないからだ。小学生には、壁の棚の上に何がのっかってるかなんて見えないじゃないか。そうだろ? 

 叶えたい夢を胸に秘めた才能あふれる若者が亡くなり、いい年こいたおっさんアル中が生き残るこの世界。これも直視しなければならない現実。

 小島にとっての希望は天童児はるかの存在ひとつです。彼女は強い方の人間です。まったくもって小島に同情してくれません。

生きよう生きようとしてても、たとえば雷が落ちてきて死ぬかもしれない。でも、それはあたしにとっては正しい、そうあるべき死に方だから文句は言わないわ。あたしは、自分とおんなじ人たち、生きようとしてても運悪く死んでしまう人たちの中で生きたいの。生きる意志を杖にして歩いていく人たちの流れの中にいて、そんな人たちのためだけに泣いたり笑ったりしたいの。だから、思い出になってまで生き続けるために、死をたぐり寄せる人たちと関わりたくないわ。そんな時間はないんですもの。

 死を自らたぐり寄せるかのようにお酒を飲み続けた小島に対して、はるかは一切同情しません。でも、アル中にはこのぐらいがちょうどいい。冷たいと思うぐらい突き放してくれたほうがいい。そうするべきなのだと思います。小島ははるかの側に行かなければならないのです。アル中のサイドにいては、結局またアルコールに依存する生活が始まってしまう。必死にはるかのそばにいようと努力しているときのみ、アルコールの呪縛から小島は解放されるのだと思います。そこに、この作品の救いがあるのではないかと思いました。

 

 

お酒つながりでバーが舞台の小説を紹介しておきます。こちらも面白かったです。

 

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【まさかの大転回】書評:生存者ゼロ/安生正

生存者ゼロ (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)

生存者ゼロ (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)

 

概要

 第11回『このミステリーがすごい!』大賞の大賞受賞作です。洋上の石油採掘プラットフォームの職員が全滅。危機は北海道から全国へと広がる兆しを見せます。ネタバレすると面白さ半減なのでお気をつけてください。(感想以降はネタバレします) 

おすすめポイント

 壮大なスケールと緻密な描写で引き込まれる作品でした。ストーリーも一筋縄ではいかない波乱に満ちた展開で、最後まで面白く読めました。

感想 

 主人公は自衛隊員の廻田。自衛隊の装備等が丁寧に書かれているので、そちらが好きな方は楽しめると思います。

 序盤の雰囲気は高野和明さんの「ジェノサイド」に似ています。謎の出撃要請から始まる人類滅亡の危機。知恵と勇気を武器にして、人類存続をかけた闘いが始まります。

 謎の感染症によりプラットフォームが全滅したという設定で感染症との戦いを描くのかと思いきや、中盤での大転回の末にまさかの犯人はシロアリ。この大胆な方針転換が面白かったですね。廻田と一緒に感染症の対策を考えていた読者は、方針転換を余儀なくされるわけです。シロアリに勝たなきゃいけないのかと。

 もうひとつ僕がいいなと思った点は、男気あふれる廻田の覚悟です。自分の部下をみすみす自殺させてしまった彼の行動は、とても力強いのに悲壮感を漂わせます。地獄よりも辛い「生」があり、その辛さと折り合いをつけるために彼は人類のためにシロアリとの戦いに身を投げ出します。頼りになる仲間が現れるのが唯一の救いでした。

 「パウロの黙示録」とやらが繰り返し出てくるのですが、いまいちピンときませんでした。スピリチュアルな世界に引き込まなくとも、自衛隊員の心意気と生物学の奥深さを両輪に据えただけで面白いのになと思ってしまいました。あれだけ酷い厄災がふりかかったときに、神様を意識してしまうのは当然だとは思いますが。 

 その辺は深く考えずに流れを楽しむといいのではないかと思います。怒涛の展開を全身で受け止めましょう。「このミス」にしては少し長いですが、ハマれば一気読みできるかもしれません。

 

 

 そのほかのこのミスシリーズ。一番のオススメは「さよならドビュッシー」です。

 

こちらも哲学的で面白かったです。

 

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【人情と諦念の妖怪退治】書評:しゃばけ/畠中恵

しゃばけ (新潮文庫)

しゃばけ (新潮文庫)

 

概要

 畠中恵さんのデビュー作。第13回日本ファンタジーノベル大賞の優秀賞を受賞しました。江戸の町を舞台に、裕福な商人の跡取り息子が妖怪とともに活躍する物語です。

おすすめポイント

 雰囲気がとても心地よい作品です。作中の江戸の町の暗がりには妖怪たちが当たり前のように暮らしています。一方で人間の世界は義理と人情の世界。活気に溢れています。二つの世界を包み込む江戸で起こる一大事件の謎を追っていく物語は、読み終わってしまうのが寂しくなってしまうような素敵な世界観を持っていました。

感想

 主人公は大商人の一人息子、病弱な「若だんな」。彼の周りには生まれた時から妖怪がいます。寝込みがちな若だんなは妖怪に助けられながら、薬屋で働いています。ある日、江戸を騒がす殺人事件に巻き込まれることになります。

 この物語の主軸は、その犯人と若だんなの対決です。仲間の妖怪とともに、悪しきものを討つ勧善懲悪の物語。魅力的なキャラクターと、すっきりとした読後感。万人に受ける時代小説だと思います。

 この物語は雰囲気が心地よいと書きました。活気のある江戸の町と、怪しげな妖怪の世界のベストマッチは確かに素晴らしい。でも、それだけではない魅力がこの作品には備わっている気がします。

 この作品が漂わせる空気感には、「諦念」が感じられます。叶わないものは叶わない。届かないものには届かない。そんな、ある種のあきらめの心です。

 例えば、主人公の若だんなはたびたび体調を崩して死にかけるほど病弱な体です。もしかしたら物語の最後でその原因が解明されて元気になるのかなとも思ったのですが、僕の見込み違いでした。若だんなは自分の病気と共存していくしかないのです。

 若だんなには腹違いの兄がいることが判明したときの、若だんなのセリフ。

「分かったよ、言うよ。生まれた子どもが男だって聞いたから・・・見てみたかったのさ」「男の子だから?」「その男の子は、きっと体も強くて、おとっつぁんに似て大柄で。こういう風に生まれたらうれしかったと思えるような、そんな子に違いない。きっと寝込むこと、死にかけてしょっちゅう心配をかけることもないんなよ。私と入れ替わって生まれていたら、皆も喜んだに違いないというような。そう考えたら、忘れられなくなったのさ」親しみの気持ちだけだったとは、己でも言えないよと、若だんなが笑う。 

 彼はおおらかな性格をしていますが、複雑な思いを内に秘めていたわけです。他にも、菓子屋の餡子作りは上手になりませんし、菓子屋の妹の恋は実りません。江戸という時代、職業選択の自由はほとんどありませんし、結婚相手を選ぶ自由もかなり制限されています。どうにもならないことと向き合いながら、人々は暮らしています。

 でも、諦めの気持ち100%でいるわけではありません。人生にはどうにも退けない瞬間があります。それを同時に示してくれるのが、この物語の面白いところではないかなと思いました。

ここで逃げたら、生まれてこなければよかったと思うことになる。自分さえいなければ、たくさんの人が死ななくて済んだのだから。おっかさんが反魂香を使ったことを、この身自信を、呪ってしまうかもしれない。そうなればどのみち生きていくことも難しい。「なんてことだろう。私はその、なりそこないを、何とかしなけりゃならないらしい」 

 いろいろ考えてみると、対決するしかない。だから、若だんなは逃げません。どうにもならないことと、自分の意志で切り開けることをきちんとかぎ分けるのです。

 若だんなが対決することになる「なりそこない」もこの諦念の議論の延長線上にあるような気がします。底が割れてしまった道具はもう使えません。「なりそこない」は付喪神にはなれない。それを諦めきれなかったとき、暴走が始まりました。

 叶わないことを受け入れ、そこからではどうやって歩いていくのか。物語の最後、結局兄の問題は解決しません。でも、一歩ずつやっていくしかないのです。若だんなは体調との折り合いをつけながら、今後も生きていくのでしょう。それと一緒なのだと思います。いろんなものと折り合いを付けながら、生きていくしかないのです。 

 誰もが面白く読める作品だと思います。Bランクに入れます。

 

 

そのほか、江戸が舞台の小説で最近印象に残っているのは天地明察です。面白かったです。 

 

 

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【エリート女性はなぜ堕ちたか】書評:グロテスク/桐野夏生

グロテスク〈上〉 (文春文庫)

グロテスク〈上〉 (文春文庫)

 
グロテスク〈下〉 (文春文庫)

グロテスク〈下〉 (文春文庫)

 

概要

 1997年に起きた東電OL殺人事件を下敷きにした長編小説。孤独を抱える4人の女性の生涯を描き、彼女たちの心の闇に迫ります。 

おすすめポイント

 タイトルから分かる通り、最初から最後まで重くて、暗いお話です。後半は鬼気迫るものを感じるほど凄まじい展開に。万人におすすめできる面白さを持った作品ではないですが、強く印象に残る一冊になると思います。

感想

 東電OL殺人事件の名前は聞いたことがありましたが、詳細は知りませんでした。知っていたほうが面白く読めたでしょうね。

 東電OL殺人事件を調べてみると、話題を集めそうなポイントが多数見つかります。その中でこの「グロテスク」が焦点を当てているのが、被害者の心理状態です。日本を代表する有名企業のエリート社員だった被害者女性は、夜な夜な売春行為を行っていました。しかもそのやり方は、相手を選ばず通りかかった男性に声をかけていくという最も原始的なもの。なぜ彼女はそんなことを続けていたのかと話題になりました。この作品は謎に包まれた被害者の心の闇を徹底的に突き詰めています。

 「グロテスク」の主要人物は4人の女性です。そのうち、東電OLと同じ運命をたどるのが佐藤和恵。和恵の気持ちにどれぐらい共感を覚えるかで、この物語を読み終わったときの感想はまったく違ったものになるはずです。文庫版の解説の斎藤美奈子さんは「爽快な読後感」と書いていましたが、僕には到底そうは思えませんでした。

 読書メーターの感想を眺めていると、和恵に共感できたという趣旨のコメントを残している人は女性が多い印象を受けます。なぜ男女で差ができるのかはわかりません。きっと根深い問題をはらんでいるのだと想像しますが、それを語るすべを僕は持ちません。僕の目線で気になったポイントを書いていこうと思います。

究極のスクールカースト

 序盤の舞台は和恵の高校時代。この時期の和恵には、僕も少し共感を覚える部分があります。和恵が入学したのは慶応義塾大学の高等部を模したQ女子高。そこでは初等部や中等部から進学してきた内部生と、高校から入学してきた外部生の間に歴然とした差があります。

 今までスクールカーストを扱った作品をいくつか読みましたが、ここで描かれているカーストはまさに格差です。富める者とそうではない者の差は、他のなにをもってしても変えられません。ひどい苛めがあるわけではないのですが、持たざる者は越えられない壁を前に絶望するしかありません。

和恵もそうでしたが、外部から来て内部生を真似して装う生徒には余裕というものがありませんでした。内部生が発散する富の淫らさが決定的に欠けていたのです。富というのは、常に過剰を生むものです。だからこそ自由で淫らなのです。それは、だらだらと内部から自然にこぼれ溢れるものなのです。その淫らさは、たとえ外見が平凡でも、その生徒を特別な存在に仕立て上げることができるのです。豊かな生徒は、皆淫らで享楽的な表情をしていました。わたしはQ女子高で富の本質を学んだのだと思います。 

 しかし和恵は鈍感でした。今まで愚直な努力で栄光を勝ち取ってきた彼女は、高校でも努力すれば成功できると信じてやまない、素直な女子高生でした。素直すぎたのです。なりふり構わず努力し、なんとか周りに認められたいと必死になる和恵。それを遠巻きに笑うクラスメイト。

 今思えば、もはやこの時点から運命が動き出していたのでしょう。絶対的な格差に気づかず、報われない努力を続けた和恵。高校生のときは努力することに夢中になっていましたが、その努力で彼女が得たものは後年の彼女の心の平穏を保ってはくれませんでした。全国の努力家を揺さぶる命題が読者に突きつけられます。「僕らはなんのためにがんばるのか」。

実は、僕は学校で真実を教えてこなかっただけどなく、別の「錨」を心に埋め込んでしまったのではないかと心配でならないのです。それは他人よりも優れる、という絶対的な価値観でした。それが本当の意味でのマインドコントロールなのかもしれないと僕は恐れるのです。なぜなら、努力しても報われない生徒は、「錨」の存在に一生苦しめられるからなのです。

 これは後半でQ女子高の先生が語る一節です。努力が価値を発揮する大前提として、他人よりも優れることが正しいという価値観があります。僕は努力の正しさを盲目的に信じていたのだと衝撃を受けました。そもそも、他人よりも優れていなければならないという決まりなどないではありませんか。僕や佐藤和恵の頭の中にはそれが「錨」として埋め込まれてしまっています。その錨が役にたつこともあるでしょうが、重荷になることもある。錨に潰されそうになっている若者は一定数存在する思うのです。彼らを救うことはできるでしょうか。弱者として切り捨てるしかないのでしょうか。 

チャンの上申書の意味

 話は打って変わり、下巻の前半は和恵を殺した容疑で裁判にかけられているチャンという中国人の上申書が占めています。彼が中国の田舎に生まれたところから始まり、日本に渡ってきて以降の生活までを語る身の上話を読むことになります。

 中国の貧しい農村部に生まれた者の、過酷な運命を知りました。真実かどうかは定かではないですが、こういう側面はきっとあったのだと思います。感動さえ覚えました。凄まじい状況に直面し、歯を食いしばって生きている人たちがいるのだと。こんなハングリー精神を持っている人が何億人といる国に、日本が勝てるわけないよなと思いました。

 しかし、この上申書の大部分は嘘だったと後に明かされ、一体なんだったんだと唖然としました。この上申書にわざわざ紙面を割いていたのはなぜだろうという疑問でいっぱいになりました。

 平然と嘘をつくような極悪人に和恵は殺されました。それを印象付けるために、涙を誘うような上申書を見せておいて、その内容が虚偽であったと暴露させた、という考えがまず浮かびます。

 しかし別の考え方もできます。チャンの話が嘘であったとしても、中国の格差はきっと事実。生まれた場所で一生が決まるような理不尽な格差は、和恵が苦しんだ高校時代のスクールカーストを思い起こさせます。ある面では、チャンと和恵は共通の苦しみを抱えて生きていた、そう考えることもできるのではないかなと思いました。引き寄せあってしまったというわけです。

真の怪物の誕生

 下巻の中盤からラストにかけて、和恵が二重生活をしていたころの手記という形式で物語が進みます。だんだんおかしくなっていく和恵の様子に、恐怖を覚えました。本人は冷静のつもりでも言動は常軌を逸していて、読んでいてこちらがおかしくなりそうでした。

 この物語の4人の主要登場人物は、誰もが怪物だと言われます(僕は和恵に特に興味を持ったので他の人物には言及しません)。その中でも、和恵は正真正銘の化け物だと思いました。フィクションであることはわかっていましたが、ここまで人間は堕ちることができるのかと衝撃を受けました。何故エリート社員が売春などしていたのかという問いが立てられるわけですが、僕の中ではその答えは簡単で、頭がおかしくなったから。そうとしか答えられません。

 しかし、身を売るという行為について、深く言及がなされていました。そこをもう少し深く理解できれば、僕の解釈も変わってくるのだろうとは思いますが、それを僕が理解することは非常に難しく感じます。

「この世でどうして女だけがうまく生きられないのか、わからないわ」「簡単よ。妄想を持てないから」ユリコは甲高い声で笑った。「妄想を持てば生きられるの」「もう遅いわよ、和恵さん」「そうかしら」あたしの妄想は会社という現実で擦り切れた。

 僕にとってこの「グロテスク」という小説は、女性の社会的な立場が生んだ悲劇としか捉えられませんでした。女性だけがうまく生きられない。この和恵の叫びは切実だなと。彼女をどうにかして救う手立てはなかったのかと考えてしまうのですが、和恵はそれを望んでいなかったのかもしれません。僕の理解の範疇を超えた深いところにも何かがあるのは分かるのですが、今はその正体を見極められませんでした。

 

 

 今まで「女性であること」を主題にした小説をいくつか読んできましたが、その度に消化不良だった気がします。当然といえば当然なのですが。

 

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【みんなの恋はきっと変】書評:泳ぐのに、安全でも適切でもありません/江國香織

泳ぐのに、安全でも適切でもありません (集英社文庫)

泳ぐのに、安全でも適切でもありません (集英社文庫)

 

概要

 江國香織さんが山本周五郎賞を受賞した短編集。全10編の物語が収められています。主人公はすべて女性です。 

おすすめポイント

  極めて短い短編の中で垣間見えるのは、彼女たちのちょっと変な恋愛の価値観。それがどのような価値観で、どのようにして形作られ、そしてどんな風に揺れ動くかを、ほんの短い短編の中で切り出していきます。その切れ味の鋭さを楽しめる短編集です。

感想

 それぞれの主人公が持つ恋愛観は、なんだかちょっと変なのです。みんな違ってみんな変。もしかしたら自分がおかしいのかとも思ってしまうぐらいです。しかしただ奇妙ではない。だから、なんだか妙に心に残ったりします。

人生は勿論泳ぐのに安全でも適切でもないわけですが、彼女たちが蜜のような一瞬をたしかに生きたということを、それは他の誰の人生にも起こらなかったことだということを、そのことの強烈さと、それからも続いていく生活の果てしなさと共に、小説のうしろにひそませることができていたら嬉しいです。 

 10編の物語の中で描かれる恋愛は、変わった状況のものもあれば、ごくごく普通の恋だったりします。だけど、主人公たちにとってはすべてが特別な今で、それは他の誰でもなく自分が経験していることなのです。上の引用には「強烈さ」という言葉が使われていますが、それは本当に強烈な事実です。

 印象に残った短編だけ感想を書いていこうと思います。引っかかるものがなかったお話も、きっと誰かの心に残ったりするのでしょうが、僕の中から湧き上がるものがないと感想も書きにくいので。

うんとお腹をすかせてきてね

 2番目に収録されています。主人公美代が恋人の国崎について語ります。

女は、いい男にダイエットをだいなしにされるためにダイエットをするのだ。 

 出だしからぐっと掴まれました。矛盾の塊のような文なのに、何故か言いたいことが分かってしまう。

国崎裕也は、あたしにとって恋人であると同時に、もっとずっと親密なもの,たとえば自分の心臓とか、であるような気がする。心臓が自分の外側にあり、あまつさえ勝手に行動しているというのは不便だけれど素敵なことだ。 

 美代は国崎の体が自分の一部にになる感覚を覚えます。それと同時に、自分の体について新しい発見をする。

あたしは美代について、すごくいっぱい発見をした。たとえば美代という女はたくさん食べることができる。それに実にいろいろな声をだすことができる。おどろきの、嬉しさの、官能の、ため息や言葉たち。それはあたしの知らない、奇妙な一匹の動物の声だ。 

 原始的で本能むき出しの恋。それは本当に予想外の影響を自分にもたらすものなのかもしれません。

犬小屋

 8作目に収録されています。

 夫にべたべた甘えるタイプの妻が主人公。夫の気持ちなど考えずに自分勝手にふるまうくせに、自分はいたって普通の人間だと思っている。ある日、犬を飼うために犬小屋を作ったら、夫がその犬小屋で寝るようになってしまった。

「それにほら、冬になれば寒いし」郁子さんの声は、ひどく遠くにきこえた。郁子さんの声だけじゃなく、周囲の音すべてが遠のいた。そのぶん色や匂いだけが、浮きあがって思えた。「みんな変だわ」私は言ったが、その声にも、怒りは全然含まれていなかった。つぶやくみたいな声になった。 

 端から見たら犬小屋に頭を突っ込んで寝る男なんて狂気的ですが、江國さんの筆にかかると「そういうこともあるだろう」と思わされてしまいます。自分が普通だと思っていることは、誰かにとっては普通ではありません。そんな当たり前のことを理解できていない主人公がひどく滑稽に見えます。

十日間の死

 9作目に収録されています。

 家族の都合でフランスの学校に通うことになった主人公は、やんちゃで問題児。ヤンキー。マークという既婚の男性と恋に落ち、人生が変わる恋をする。

あたしは十六歳の、不貞腐れた不機嫌な娘だった。いま思うと、それも当然のことだ。あたしは世界に参加していなかったんだもの。自分の目でなにもかもみるっていうことだけど。マークに出会って徐々にそれを教えられるまで、十六年間もよく生き延びてきたと思う。自分の人生も持っていなかったのに。 

 ろくに学校にもいかず、マークと遊びまわる日々。

あたしはこの街で、教育ではなく人生を手に入れてしまった。それも、ものすごく鮮やかな。 

 ようやく手に入れた自分の人生。しかし、それも急落してしまいます。

九ヶ月前にやっと生まれたあたしは、あたしの知っていたマークと一緒に死んでしまった。もうこの世の中のどこにもいない。あたしはマークの幸運を祈った。それから二人組だったかつてのあたしと、かつてのマークを深く悼んだ。深く深く悼んだ。あたしはまた泣き始める。あたしのはじめての恋とはじめての人生と、失われた真実のために。 

 はじめての恋と、はじめての人生が主人公の中で終わりを告げます。さんざん泣き散らした後で、きっと次の人生が始まるに違いありません。

愛しい人が、もうすぐここにやってくる

 10作目に収録されています。

 妙齢の男女の不倫の話。

「恋愛がすべてではないわよね」私は一度、大好きな男にそう言ってみたことがある。彼はすこし考えて、「すべてでは、ないだろうね」と、こたえた。それで十分だった。私たちはお互いに、どうあがいても愛している、と伝えあったのとおなじことだった。私たちは、たぶん単純な者同士なのだろう。複雑なことを、単純に複雑なまま受け入れてしまう。 

 不倫のお話は大抵不幸と隣り合わせですが、この物語の二人は全く違う。そこに悲壮感はかけらもありません。

大切なのは快適に暮らすことと、習慣を守ることだ。そう思いながら、私は本の頁をめくる。本の中では女性検事が同僚とお茶をのみ、随分とながい時間をかけて、ロンドン郊外で買物をしている。私の好きな男が妻と別れないのは、そこに帰るのが彼の習慣だからだろう。私はそんなふうに考えてみる。人にはみんな習慣があるのだ。 

 大人の余裕。習慣を守って自分のペースで生きれば、不倫だって怖くない。不倫も習慣のひとつにしてしまえばいい。そんな熟達した哲学が垣間見えます。 

 

 

 こちらも読みました。江國香織の短編集です。独特の言い回しが胸に残ります。

 

【真正面から向き合う】書評:ふくわらい/西加奈子

ふくわらい (朝日文庫)

ふくわらい (朝日文庫)

 

概要

 2013年度本屋大賞5位にして第1回河合隼雄物語賞受賞作。編集者の「定」は特殊な環境で育ったせいで一般的に人が抱く感情をうまく理解できません。ある日、雑誌に連載を持つプロレスラーの担当になったことから、物語が動き出します。

おすすめポイント

 魅力的な登場人物たちに引き込まれます。人とはちょっと違うところがある彼らが語る言葉は、妙な説得力を持って僕の心を打ちました。

感想

 僕が言っても全然説得力がないけれど、この人が言うと説得力がある、そんな言葉が世界には溢れていると思います。同様に、作者が直接言ったところで意味不明だけど、小説の登場人物が言うと妙に納得できる言葉というのもあると思うのです。この作品には、「コイツにしか言えない言葉」というものがたくさんあったように思います。

 登場人物の中でも特に目を引くのが主人公の定と、プロレスラーの守口、そして盲目の西洋人次郎。彼らは三者三様にぶっ飛んだキャラクターで、それぞれが重きを置いて大事にしているものは全く異なるのに、なぜか同じテーマについて語っているように聞こえてしまいます。

見ることと知ること、そして本当の自分

 定はふくわらいが大好きで子供の頃からふくわらいばかりをして育ってきました。タオルで目を隠して、顔を組み上げるだけの単純作業。それが大好きでした。

 定の乳母である悦子は片目が見えません。定の担当作家である水森康人も盲目。そして後に出会う次郎も盲目。定の周りには目が見えない人がたくさんいます。

 定と対照的なキャラとして登場するのが、美人編集者の小暮しずく。定と同僚である彼女は、自分を外見でしか判断しない世間に憤っています。一方で、定はお世辞にも美人だとは言いがたいというような描写がなされていますが、目の見えない人たちは定を好いています。

 目が見えないから外見に左右されない、という単純な話ではありません。視覚情報が得られない時、人はどのような判断をするのか。逆に目が見えている僕らが本当に見るべきものはなんなのか。

「小暮さんそのものとは、どういうことですか。」

「え。」

「小暮さんそのものとは、どういうことなのでしょうか。」

「いや、だから、私の顔とか容姿とかじゃなくて、本当の私のことです。」

「本当の私…。ということは、小暮さんの顔や容姿は、本当の小暮さんではないのですか。」

「…そういうわけではないですけど、それがすべてではないですよね。」

「すべてではない、そうですね。でも、小暮さんは、顔や容姿、そして、小暮さんのおっしゃる本当の小暮さんを含めて、小暮さんですよね」

 安易に、目に見えていない部分を「本当の自分」と決めつけることもまた、よくないのかもしれません。でもそうなると、人を判断すること、人を選ぶことの基準が全くわからなくなってしまいます。

でも、その情報が絶たれると、『知る』ということが、どういうことなのか、改めて考えざるを得なくなるんです。知るって何だろう。今も分かりません。だから僕は、自分で自分の『知る』を決めるしかないと思った。僕には定さんの姿が見えない。でも、僕の知っているすべての定さんは、見えている人よりも、もしかしたら小さな世界かもしれないけれど、とても美人で、優しくて、それが大切なんです。僕は、優しくて美人の定さんと一緒にいたい。短時間しか経っていないし、もちろんその『すべて』は、刻々と変わってゆくし、かといって『すべて』が完成されるときがくるとは思えないけれど、僕はただ、定さんのことが好きなんです。

 そこで次郎の滅茶苦茶な理論が、なぜか説得力を持って浮かび上がってきます。自分なりの基準を常に考え続けること。そして、完璧を求めないこと。長い時間をかけたって『すべて』が分かるわけではありません。次郎の発言は支離滅裂なようで、実は最初から一貫していたのだと、読み終わってから気付きました。

顔のパーツ、言葉、体

 定はふくわらいを通して、人間の顔はパーツの集まりにすぎないことを知りました。でも、それは尊いことで、目や鼻や口や眉毛の配置が少しでも変われば、人の印象はまったく変わったものになりますよね。

 ふくわらいと同様に、文章というのも言葉の寄せ集めにすぎません。しかし、寄せ集められた言葉が有機的に結合し、ひとつの意味を持つ文章ができあがる。そこに定は感動を覚えます。

 プロレスラーの守口は雑誌にコラムを持っていて、定期的に自分の文章でお金をもらっています。プロレスと執筆。体と言葉。その相反するものに挟まれて、彼は悩みます。

「プロレスは言葉を使わない。言葉を、きちんと文章にしなくていいんだ。体がそれをやってくらるから。何万語駆使して話すより、1回関節決められたほうが伝わることがあるんだ。俺は相手の体を体験するんだ。体が体験するんだ、わかるんだ。おいらの体が。おいらの、この、おいらの体がだぞ?ひとつしかねえんだ。わかるか。それが、どれほどすげぇことか。」

「分かります」

定には本当に、分かっていた。だがそれを、守口に伝える術を知らなかった。自分の体が、自分のものだけだということ。体の匂い、皮膚の皺ひとつひとつが、残らず自分のものだということ。

 パーツの寄せ集めで構成された自分の体は、同じく寄せ集めの文章に勝ることもあります。定は文章が好きで編集者をやってきました。彼女は一方で父親と旅をする中で、体で体験することの重要さも認識しています。でも、そのことに関してはプロレスラーの守口が一枚上手で、プロレスを通して定と読者に訴えかけてくるのです。終盤のプロレスのシーンは圧巻でした。体でしか表現できないものがあって、言葉にはできないけれど定もしっかりそれを受け取っていました。

真正面から向き合うこと

 ふくわらいは真正面の顔をいじくるものです。横顔のふくわらいなんてないでしょう。だから、定は人の顔の横顔をあまり意識しません。無意識に、いつも正面から向き合っています。でも、それは一般人にはなかなか難しい。どうしても、相手の見えていないところで相手の陰口を叩いてしまいます。相手の裏の顔を想像しようとしていまいます。正面だけが顔じゃないと僕らは思っているからです。

 でも、定は違う。守口は定をアントニオ猪木と同じく天才だと言いました。

「おいらにらは分かるんだ。おいら、ずっと天才を見てきたんだもの。まぢかで、見てきたんだもの。」

「私はそんな立派なものではありません。」

「分かるんだ。あんたは、まっすぐだから。全部、正面から、見て、それから、全部、受け止めるから。」 

 定は不思議なキャラクターをしています。その不思議さを、僕はなかなか言葉にすることはできませんでした。でも、守口はそれを綺麗に簡潔に表しました。全部正面から見て、受け止める。だから定は盲目の人たちから好かれたのだと思います。

 彼女は投げかけられた言葉をすべて真正面からきちんと受け止めます。横へ受け流したり、乱暴に投げ返したりはしないのです。読み返してみてください。返す言葉に詰まったとしても、定は相手の言葉をないがしろにはしません。それが、定という人なのです。次郎は、そこを彼女の美しさと定義したのかなと思いました。

 ぼんやりとした世界観なのですが、「ふくわらい」が色々なところにひっかかって不思議な重厚感を作り出している物語でした。

 

 

 僕はすごく気に入りましたが、「ふくわらい」は多少とっつきにくさを感じるかもしれません。西加奈子さんの作品は他に「きいろいゾウ」を読んだのでオススメしておきます。