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【家族はやはり特別だ】書評:東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~/リリー・フランキー

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

 

概要

 2005年に出版された長編小説。ベストセラーとなりました。作者のリリー・フランキーさんの実体験をもとにしています。

おすすめポイント

 作者の幼年時代から現在までをなぞっていく内容です。リリーさんと、母、父の絶妙な関係は涙なしでは読めません。そしてその書き方も秀逸。流れるような、詩的な誘導文があり、それに続いてひとつひとつの出来事が温かく丁寧に書き出されます。芸術的でした。

感想

 新幹線でうっかり読んでいて、ぼろぼろと泣いてしまいました。ストレートに子を想う母と、何をやっているのかも分からないのに不思議とやるべきことは実行する父と、主人公である作者。家族のきずなは、こんなにも特別で、大切なものなんだと再認識しました。

 この物語はあくまでも実体験であってフィクションではないので、特に明確な主題があるわけでもないと思います。だから読む人なりの捉え方があるのだと思います。僕が気になった話題を2つ紹介したいと思います。

人生・時間について

 この作品中には、人生における「時間」についての記述がたくさん登場します。僕自身が経験したことのない状況に関しては想像するしかないのですが、どれも核心をつく鋭い言葉だと感じました。

『大人の一日、一年は淡白である。単線の線路のように前後しながら、突き出されるように流されて進む。前進なのか、後退なのかも不明瞭なまま、スローモーションを早送りするかのような時間が、ダリの描く時計のように動く。順応性は低く、振り返りながら、過去を捨て切れず、輝きを見出す瞳は曇り、変化は好まず、立ち止まり、代わり映えがない。 ただ、「なんとなく」時が過ぎていく。自分の人生の予想できる、未来と過去の分量。未来の方が自分の人生にとって重たい人種と、もはや過ぎ去ったことの方が重い人種と。』

 ここで言う「未来の方が自分の人生にとって重たい人種」。たぶん今はまだ、僕はこちら側の人間です。どんな未来が待っているのか分からない。未来に大きな期待をかけている。天秤は、未来の方を下にしている。しかしいつかはこれが逆になるのです。

『この世界と自分。その曖昧な間柄に流れる時間は果てしなくなだらかに続くが、誰にでもある瞬間から、時の使者の訪問をうける。 道化師の化粧をした黒装束の男が無表情に現れて、どこかにあるスイッチを押す。その瞬間から、時間は足音を立てながらマラソンランナーのように駆け抜けてゆく。 それまで、未だ見ぬ未来に想いを傾けて緩やかに過ぎていった時間は、逆回転を始める。今から、どこかにでなはなく。終わりから今に向かって時を刻み、迫り来る。自分の死、誰かの死。そこから逆算する人生のカウントダウンになる。今までのように現実を回避することも逃避することもできない。その時は、必ず誰にでも訪れる。誰かから生まれ、誰かしらと関わってゆく以上。自分の腕時計だけでは運命が許してはくれない時が。』

 人生における時間の捉え方の変遷を書いたこの文章。この「時の使者」の訪問を受けると、未来と過去の天秤の傾きも反転するのでしょう。僕の人生でまだこのスイッチは押されていないです。でも、このスイッチの持つ意味は理解できます。黒装束の時の使者が、僕に何をもたらすのかをはっきりとイメージすることができます。

 いったい、このスイッチが押されたとき、僕はどうなってしまうでしょうか。逆算する人生。不可避の悲しみ。人生のどこかのタイミングで、未来を見据えた自分だけの時間の使い方ができなくなる。頭では分かっています。でも、どうやって折り合いをつけていけばいいのでしょう。

『希望を込めて想う"いつか"はいつまでも訪れることがないのかもしれないけど、恐れている"いつか"は突然やってくる。』

 これもまさにその通りで、「いつか叶う」と思うものが叶わないことは往々にしてあるだろうけど、「いつか死んでしまう」と思っていたものが死なないことはないのです。そんな当たり前の事実でさえ、僕は目を背けているような気がします。時間は自分の思う通りには進んでいかない。わかっているつもりなのだけど、たぶんわかってないんですね。きっと。

 なぜリリーさんはこんなにも時間という概念にたいして鋭敏なのでしょうか。死に物狂いで生きてきたからこそ、わかる境地があるのでしょうか。不思議です。

母について

 「僕とオカンと」というぐらいなのでこの物語でオカンが果たす役割は非常に大きいです。オカンの物語であると言っても過言ではないぐらい。

『人間が生まれて、一番最初に知る親子という人間関係。それ以上のなにかを信じ、世に巣立ってゆくけれど、結局、生まれて初めて知ったもの、あらかじめ、そこに当たり前にあったものこそ、唯一、力強く、翻ることのない関係だったのだと、心に棘刺した後にようやくわかる。世の中に、様々な想いがあっても、親が子を想うこと以上の想いはない。 求めているうちは、それがわからない。ただひたすら、与える立場になってみて、やっとわかってくる。かつて、親が自分になにを思っていたのか。その日のことを知り、今の日に、自分がそのようになろうと思う。 その時、人は確かなるなにかを手に入れるのかもしれない。』

 当たり前のことなのですが、親子関係というものは僕が生まれた瞬間から始まっている、もっとも付き合いの長い人間関係なのです。今でも本当に煩わしく感じることがあるのですが、絶対に翻ることのない、裏切られることのない人間関係だと言い切ることができます。その他大勢とはまったく性質の違う、特別なものです。

 親が子を想う気持ちはまだわかりません。リリーさんは子を持ったから上のようなことを考えたのではなく、母に与えるようになったからわかったのだと言います。一方的に与えられる関係は、ときに煩わしくなるでしょうが、僕が母に何かを与えるような状態になったとき、変化がおきるでしょうか。

 『オカンとボク。親と子。その関係と立場が少しずつ変わっていく中で、オカンのことがひとりの人間として見える瞬間が時々起きる。母親という絶対的なヴェールを外したところにある、ひとりの人としての表情。つまずいてきたもの、思い残してしたもの。完全ではない人間の溜息にふと気付くことがあった。』

 僕が母を一人の人間として見れるようになったのはかなり最近です。それまではどうも母は母であって、周りの人とは違う存在でした。でもあの人にも、僕が生まれるまでの物語が当然あり、僕が生まれたおかげでいろいろと筋書きが変わったのかもしれないなと思ったりしました。 

 いつか母には恩返しがしたいですし、感謝の気持ちを伝えたいと思います。でも、僕はまだまだガキで、面と向かっては上手く言えそうもありません。せめて、僕がそれを伝えられるようになるまでは、母には元気でいてほしいと願っています。

 普遍的な家族の物語。久しぶりにAランクに入れようと思います。

 

こちらは子を想う母の話。

ytera22book.hatenablog.com

 

そしてこちらは父と息子の不器用な関係が描かれています。

ytera22book.hatenablog.com