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【人付き合いの絶望と希望】書評:対岸の彼女/角田光代

対岸の彼女 (文春文庫)

対岸の彼女 (文春文庫)

 

概要

 角田光代さんが直木賞を受賞した作品です。一児の母である小夜子と女社長の葵の交友を描きます。小夜子が主人公の現在と、葵の高校時代の過去を行き来しながら物語が進みます。

おすすめポイント

 学校という閉鎖的な空間に倦んでいたあのころ、そして大人になった今も、他人との距離の保ち方は難しい。人と交わることの苦しさをくっきり抉り出しつつも、ラストで少しだけ希望を見せてくれます。

感想

 この物語は一風変わった時間軸を持って進んでいきます。主人公は小夜子と葵。彼女たちは同い年。娘を持つ小夜子は葵の経営する会社で働くことになります。主婦と女社長。引っ込み思案な小夜子と、快活な葵。境遇も性格も全く違う二人の人生は現在において交差します。

 一方で現在と並行して語られる葵の過去の物語には、引っ込み思案な葵と快活なナナコが登場します。読者はここで角田さんの仕掛けた挑発に乗らざるを得ません。一体、現在と過去の間で、葵に何があったのか。ナナコはどうなってしまったのか。その謎が、否が応でも気になってしまうのです。

 謎を紐解く旅は、人類普遍の悩みである人付き合いのわずらわしさというテーマを背景に据えて進んでいきます。学生のころも、大人になったいまでも、小夜子と葵は悩み、そして考え続けます。

スクールカースト

 葵の過去編は中学生、高校生と進んでいきます。いじめを苦に引っ越しをした葵は、周りをうかがいながら、決していじめの標的にされないように、細心の注意を払って学校に通います。クラスを流れる不穏な雰囲気、それを敏感にとらえて息をひそめる葵。それとは対照的に、スクールカーストなどまったく意に介さないナナコ。

結局さ、のっぺりしすぎてるんだよ、とナナコは言っていた。何もかもがのっぺりしてる。毎日、光景、生活、成績、全部のっぺりしてるから、いらいらして、カーストみたいな理不尽な順位をつけて優位に立ったつもりにならなきゃ、みんなやっていられないんじゃないかな。 

 大抵の人が経験したであろうスクールカースト。あの理不尽な階層化はなぜ起こるのか疑問に感じる人は多いでしょう。あのときの息苦しさの中で、彼女たちは彼女たちなりに考えています。

いじめをするほど幼稚ではないが、けれど何かむしゃくしゃする、人を見下し順列をつけ優位に立ちたい。そんな気分が、どこにも出口を見つけられないまま鬱積していっているように、葵には感じられた。 

 彼女たちの持っているスクールカースト観。葵はなんとか仲間を作って最下層に転落しないように心がけ、割り切れない思いを抱えたまま学生生活を送っていきます。ここで注目したいのが下のセリフ。これは現在の時間軸において、葵が小夜子に言ったセリフです。過去に起きた出来事を僕ら読者は知っているからこそ、この言葉の重みが分かるのです。

お友だちがいないと世界が終わる、って感じ、ない?友達が多い子は明るい子、友達のいない子は暗い子、暗い子はいけない子。そんなふうに、だれかに思いこまされてんだよね。私もずっとそう思ってた。世代とかじゃないのかな、世界の共通概念なのかな。 

 スクールカーストに悩んでいた過去と、こんなセリフを言えるようになった現在。時を経て、葵の価値観は大きく変化したことが見て取れます。

私はさ、まわりに子どもがいないから、成長過程に及ぼす影響とかそういうのはわかんない、けどさ、ひとりでいるのがこわくなくなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何かと出会うことのほうが、うんと大事な気が、今になってするんだよね。

 葵にとって「ひとりでいてもこわくないと思わせてくれるなにか」は何だったのだろう。葵の過去を同時並行で追っている読者は気になります。ナナコの存在がこれにあたるのかな、なんていう風に。こんなに強いセリフを吐いている葵も、起業した当初はいっぱいいっぱいになっていました。

人と関わることに疲れている自分がいた。人を雇い彼らとともに働くことは、できることできないことを単純に分散させるのとはわけが違った。適当に仕事を怠け不満ばかり並べたてる。笑顔で近づいてきて、仕事を横取りしていく。自分の欠点は棚に上げ、こちらの非ばかり言い募る。葵の過去を 何も知らないはずの人々は、いつのまにかそれをどこかで小耳に挟み、奇妙な好奇心で立ち入ってくる。何人もの人がやってきては去り、やってきては去る。私のできないことのなかに、人と関わるという基本的なことも含まれているのではないか。そう思いついて葵はぞっとした。 

 人と関わることのむずかしさ。これは小夜子も悩むテーマであり、この作品を貫くテーマでもあると僕は感じました。スクールカーストのころから変わらない苦手意識。これを、払しょくできる日はくるのか。非情に難しい問題であることは間違いありません。その永遠のテーマに対する答えとして小夜子を主人公とする現在が描かれているのだと思います。

年を重ねることの意味

 物語の終盤、小夜子は年を重ねて大人になる意味について思いを巡らせます。そして、人付き合いに対する自分なりの答えを得ます。

なんのために私たちは歳を重ねるのだろう。大きな窓の外、葉を落とした銀杏並木を眺め小夜子はぼんやり考える。園児を待つあいだのお茶のお誘いを、忙しいからと数度断れば、元々同じ幼稚園に子どもを通わせているわけではないのだし、彼女たちはもう誘ってこなくなるだろう。けれど そんなことでもう自分は傷ついたりしない。高校生のように暇じゃないのだ。自分にも、彼女たちにも、それぞれの家庭があり生活がある。 

 「高校生のように暇じゃない」というのは、退屈がスクールカーストを生んだと考察したナナコの言葉に重なります。大人は忙しいから、カーストなんて作っている暇がないんだと。

なんのために歳を重ねたのか。人と関わり合うことが煩わしくなったとき、都合よく生活に逃げこむためだろうか。銀行に用事がある、子どもを迎えにいかなきゃならない、食事の支度をしなくちゃならない、そう口にして、家のドアをぱたんと閉めるためだろうか。そんなことを思う。 

 忙しさは人付き合いを避けるための言い訳なのか。いや、そんなことはない。そんなことはないと言ってほしい。僕はそう思いながら読んでいました。そして次の文章でようやく小夜子は答えを悟ります。

その思いつきに顔を輝かせ、早くも献立を考えなじめる妻を見ていて、小夜子はようやくわかった気がした。なぜ私たちは歳を重ねるのか。生活に逃げこんでドアを閉めるためじゃない、また出会うためだ。出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いて行くためだ。 

 小夜子が気づいた真実はシンプル。出会うために、僕らは年をとっていく。この文章を読んだとき、鳥肌が立ちました。なぜなら過去編の最後で、ナナコと別れざるをえなかった葵の言葉を思い出したからです。

おとうさん、なんであたしたちはなんにも選ぶことができないんだろう。父の言葉にうなずきながら葵は心のなかで叫ぶように言った。何かを選んだつもりになっても、ただ空をつかんでいるだけ。自分の思う方向に、自分の足を踏み出すこともできない。ねえおとうさん。もしどこかでナナコが ひどく傷ついて泣いていたら、あたしには何ができる?駆けつけてやることも、懐中電灯で合図を送ることもできないじゃないか。なんのためにあたしたちは大人になるの?大人になれば自分で何かを選べるようになるの?大切だと思う人を失うことなく、いきたいと思う方向に、まっすぐ足を踏み出せるの? 

 高校生の葵は何もできない無力感を嘆きました。「大人になれば自分で何かを選べるようなるの?」と。一方で大人になった小夜子は真実に気づきました。年を重ねることは「出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いて行くためだ。 」なのです。大人になるにつれ、僕らは窮屈になると思いがちです。でも、角田さんはそうじゃないと言ってくれているように感じました。大人になったからこそ、出会いを選び、自分の人生を思うがままに生きられる。

二人は飛び跳ねながら少し先を指差す。指の先を目で追うと、川に架かる橋がある。二人の女子高生は小夜子に手招きし、橋に向かって走り出す。対岸の彼女たちを追うように、橋を目指し小夜子も制服の裾を躍らせて走る。川は空を映して、静かに流れている。 

 小夜子は川を渡り、対岸の彼女たちに会いに行くことを決めました。そうやって、僕らはきっと自分の人生を選んでいける。序盤は暗いトーンで物語が進んでいきましたが、最後は前向きな気分になりました。いろんなことを現実的に考えさせられる素晴らしい一冊です。Bランクに入れます。

 

 

Kindle版 

対岸の彼女 (文春文庫)

対岸の彼女 (文春文庫)

 

 

 

角田さんの別の作品。誘拐した女の子を育てる女性の生涯を描きます。